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第24話

「本当によいのですか?」と尋ねる金花に「布に文を添えてあるからよいのだ」と答え、都へ向かう道とは別の道へと足を向けた。  母上に泣き崩れられるのは堪えるが、母上好みのよい布を送るのだから大丈夫だろう。文にはこれから金花を迎えに行くのだと書いたし、あと少しで帰るとわかっただろうから文句は言うまい。 「そういえば、わたしは母の看病で家に戻っていることになっていたんでしたねぇ」 「滅多にないことではあるが、斎宮様の名を出せば母上も否とは言わないからな」 「いまの斎宮は母上様の姉君でしたか」 「腹違いで随分と歳も離れているが、小さい頃大層かわいがっていただいたそうだ。おまえの母は二代前の斎宮様付きだったと言ってあるから、斎宮様と聞くだけで親しみを覚えるのだろう」  東国へ向かう前に金花の母が病に倒れたと母上に相談し、しばらく故郷に戻すことで話がついた。異例のことではあったが、俺が長く屋敷を留守にすることもあってなんとか言い含めることができた。  兄上の末の姫の輿入れも重なったことでうまくいったのだと思っていたが、金花は母上にも気に入られていたようだし、案外そのおかげで納得してくれたのかもしれない。東国から戻る前に金花を迎えに行くということは最初から伝えてある。もうしばらくは都を離れたままになるが、いま都に帰るのはいろいろ面倒だからちょうどよかった。 (そもそも勝手に婿入りの話を進めようとするなど、もっての外だ)  俺には金花という唯一の妻がいるというのに、何を考えているのだ。  婿入りを促す二度目の文でも詳しくはわからなかったが、兄上のどちらかが絡んでいそうな気がする。それも気に入らなかった。都へ戻ったあかつきには、しっかりと苦情を申し入れなければいけない。いや、そんな面倒があるならいっそのこと都へ戻るのをやめようか。 「案外、それもいいかもしれないな」 「カラギ?」 「あぁいや、なんでもない」  振り返った金花に道を確認しながら、よしと気合を入れ直した。  結局俺は、師匠のもとを発つまでに鬼に転じるかどうか決めることができなかった。金花も答えを急かすことはなく、俺自身が決めるまで口を挟まないことにしたらしい。時折り何か考え込む素振りを見せることはあるが、どちらにしても俺が決めるまで見守るつもりなのだろう。  鬼に転じるかは別として、俺は鬼の王に会いたいと思っていた。死んだと思われていた敦皇(あつおう)親王が生きているとわかった以上、本当かどうか確かめなくてはならない。  それを金花に言うと、しばらく考えたあとに「では、案内はしましょう」と言ってくれた。 (生きていたからと言って、帝にご報告すべきではないのだがな)  いまさら過去の親王が存命だったからといって、いまの御所には何の変化も起きない。敦皇(あつおう)様は第一親王ながら都の外れに追いやられていた身、もはや後ろ盾もなく都に戻っても仕方がなかった。  それに、本当に鬼に転じたとなれば都に戻ることは不可能だ。いや、そもそもまだ生きていること自体があり得ないのだから、どのみち都には戻れないだろう。 (もし、本当に鬼になっているとしたら……)  それは俺が願う姿になったということだ。  鬼に転じたという敦皇(あつおう)様がどうなっているのか興味があった。姿は人と同じなのか、たしか十八あたりで鬼に攫われたと聞いているが歳は取っているのか、自分を攫った鬼の王のことをどう思っているのか、何もかもを知りたい。  なにより鬼になってから人を食らったのか――それが一番知りたいことだった。人から鬼へと転じたものが人を食らうことに耐えられるのか、もし耐えられるのだとしたら……。 「カラギ、宿は寺社にするのですか?」 「あ、ぁ、そうだな、もう少し行けば関白家の荘園もある。宿には困らないだろう」  いけない、また考え事に耽ってしまった。鬼の王に会うまではいままでどおりにしようと決意したというのに、これでは金花に余計な心配をかけてしまう。  鬼に転じるか考えている俺を、おそらく金花は心配している。普段はいつもと変わりない様子に見えるが、気遣うような視線を感じないわけじゃない。鬼になりたいと思うのは俺の勝手であり、そのせいで金花が思い悩む姿は見たくなかった。 (胸の内まで気になるほど好いているのだなぁ)  そんなことを思うたびに口元がにやけてしまう。金花への気持ちを確認するたびに己の気持ちも再確認した。 (あぁそうだ、俺はとっくに心を決めている)  ただ口に出せないだけで、それはすべて金花を慮ってのこと。俺が決めたことで金花が苦しむのは本意ではないし、この先ずっとわだかまりになっても困る。  だからこそ鬼の王に会い、敦皇(あつおう)様にもお会いしたいのだ。もし鬼となっていれば、そこから俺が鬼になったあとの予想ができる。金花の側に居続けるためのよりよい方策が見つかるかもしれない。 (すべては金花の側にいるため、そのためには何だってしよう) 「先ほどから、なにやら変ですよ?」 「そうか? いや、変にはなるだろう。なんといっても目の前に美しい奥方がいるのだからな」 「……やはりあなたは、少し意地悪になったと思いますよ?」  わずかに頬を薄桃色に染めた金花はとても美しく、体の奥が甘く疼くのを感じた。 ・ ・ ・  都の近くを通り過ぎて十日目、ついに目的の場所が目の前へと迫っていた。  途中、かつて俺が立ち寄った渡辺津に寄り、海とは場所によってこうも違うのかと二人して感心したりもした。そこからは川を使うのが早かったのだろうが、金花が眉を寄せたため陸路をひたすら歩いて進んだ。馬を使うことも考えたが、そこから斎宮様のもとへ向かわなかったことが兄上たちに知られでもしたら面倒だと思い、馬は諦めた。  それに金花は思った以上に健脚で、どんな荒れ道も平然と進んだ。東国へ向かうときも思ったのだが、俺より細い足なのにと何度感心させられたことだろう。 (あの山が住み処なのか)  到着した賑やかな町並みの奥には大きな山が見える。その山こそ鬼の王のねぐらだということだが、金花のときと違ってあまりに人に近い場所だということに驚かされた。 「鬼とは、もっと静かで人に悟られない場所に住んでいると思っていたんだがな」 「以前は人里離れた奥地に住んでいましたが、きっと大事な方が寂しくないようにとねぐらを変えたのでしょう」 「……敦皇(あつおう)様のためか」 「棘希(いばらぎ)の血肉を食わせるくらいですから、よほど好いているのだと思いますよ?」  敦皇(あつおう)様を鬼に変えるために犠牲となった棘希(いばらぎ)――この鬼のことは道中、何度か話題に上ることがあった。  その昔、都のあたりは鬼の王の右腕と言われた大鬼・棘希(いばらぎ)が縄張りにしていたのだという。それも鬼の王の命令で、いつでも若く美しい女を手に入れるためだったそうだ。  ちょうどその頃、都を治めていた侘千帝(いちのみかど)は退魔の太刀を集めて鬼の討伐隊を作っていた。そのとき鬼に攫われたのが敦皇(あつおう)様で、敦皇(あつおう)様の父君は侘千帝(いちのみかど)でいらっしゃった。  当時都では、敦皇(あつおう)様が攫われたのは討伐隊を作った帝への仕打ちに違いないと噂されたという。そういうこともあり、討伐隊は早々に解散されてしまった。それからは検非違使や蔵人所、貴族たちが各々で雇った武士(もののふ)たちが鬼退治を担っている。 (棘希(いばらぎ)は大層美しい鬼だったらしいが)  そのため何人もの女が惑わされ、なかには自ら進んで鬼の元へ行った姫君もいたそうだ。  そんな棘希(いばらぎ)だったが、師匠の先祖に髭切でもって腕を斬られた。その後どういう経緯かはわからないが命を落とし、そうして敦皇(あつおう)様が食らうことになった。大鬼と呼ばれるほど強い鬼の血肉を食らえば、間違いなく人も鬼になれるのだと金花は言う。  そうして鬼に転じた敦皇(あつおう)様はその後、鬼の王の奥方になった。 「しかし、敦皇(あつおう)様を奥方にしては子が成せないのではないか? 鬼は子を成すために女を攫うのだろう?」 「あぁ、そのことですが、……いえ、実際に会えばわかることです」 「?」  何か言いかけたものの、結局金花は口を閉ざしてしまった。 「それより、二日後には鬼王(きおう)に会うのですから、それまで体を休めることにしましょう」 「二日後か。しかし、おまえは本当に鬼の王の兄弟だったのだな」 「兄弟だから会えるのではありませんよ? 鬼王に仕える烏たちに舞を舞う代わりに、鬼王へ取り次いでもらったのです」 「そういえば烏が親代わりと鬼の王が言っていたが、いや、それより舞とは、おまえ、舞が舞えるのか?」 「おや、言っていませんでしたか?」 「聞いていない」 「舞と言っても大したものではありません。昔、都にいたときに見聞きしたものを真似ているだけ。ただ、どうしてか烏たちはそれを気に入ったようで、事あるごとにねだってくるのです」 (金花が舞を舞えたとは……)  知らなかった。これまで話題に上らなかったこととはいえ、教えてもらえなかったことがやけに寂しく感じる。他にも俺が知らないことがもっとあるのだろうなと思うと気が沈みそうだ。  以前なら知らないことがあってもそこまで気にすることはなかったが、金花を好いているとわかってからは新たなことを知らされるたびに寂しいやら悔しいやら、複雑な思いを抱くようになった。それなら先に自分から訊けばよいのだろうが、そうすると過去に誰彼と交わったのかまで気になりそうで、結局訊けないままでいる。 「ふふっ、わたしが隠し事をしていたと思ってしょげてしまうなんて、かわいい方」 「……うるさい」 「知りたいことがあれば、何を尋ねてくれてもよいのですよ? わたしは隠したりなどしませんし、もちろん嘘をつくこともしませんから」 「それはわかっている。ただ、……いや、なんでもない」  金花の鬼の面を知ることには、もはや抵抗も怯えもない。ただ、精を食らったという話だけは、きっと正気では聞いていられなくなる。かと言ってその話に触れないようにする自信が俺にはなく、そうであれば最初から訊かないほうがいいに決まっている。 「もしや、過去の男たちのことを気にしていますか?」 「男……! いや、そうではない。おまえは精を食らわねば生きていけないんだ。だから食事だと思えば、あぁいや、だからそういうことじゃなくてだな、」 「前にも言いましたが、好いたお方はあなただけ。たしかに精をもらうために男たちと交わりはしましたが、すぐに飽きてしまうのです。どれも口に合わず、けれど仕方ないので精をもらう。それに首をとるだの何だの騒ぎ立てることに少々腹も立っていましたから、心を寄せることなど決してありませんでした」  男たちということは、どれだけの数と……、いや、いまはそんなことに気を取られても仕方がない。金花も言っているとおり、それはすべて食事、あとは腹立ちまぎれの行為だったのだろう。  そうだ、俺も最初はそう感じたじゃないか。男としての、いや武士(もののふ)としての心を折る手段だと思ったのは正しかったのだ。 「誰一人のことも、もう覚えていません。いまのわたしの体はカラギのことでいっぱいなのです。カラギの精に満たされ、血に酔い、カラギでなければ息ができないほどに……」  うっとりとした顔が、すぃと近づいてきた。狩衣姿にもすっかり慣れたが、女房装束のときとはまた違う美しさにぼうっとしそうになる。  あぁ、金花はなんと美しいのだろうか。顔も髪も体も美しく、いつまででも見ていたい、触れていたいと思わせる。 「わたしのすべてはカラギのもの。いつ何時、好きに蹂躙してくれても構わないのですから」  そうささやきながらニィと笑み、その紅い唇が俺の口に触れた。 「……! 金花、ここは往来だぞ!」 「ふふっ、そんなに顔を赤くして、本当にかわいい方」 「おまえは……!」  睨む俺を見て笑ってはいるものの、やはり儚い笑みに見えて胸が苦しくなる。  金花は、俺が胸の内ではとっくに鬼になろうと決めていることに気づいているのだろう。鬼になった俺が苦しむだろうと考え、そのことに金花のほうが苦しんでいるのだ。それに俺が鬼になりたいと考えるきっかけを、自分が与えてしまったのだと思っているに違いない。 (俺は金花を苦しめたいわけじゃない)  それでももう決めたことで、そこにあとひと押しがほしかった。それを俺は鬼の王と敦皇(あつおう)様に求めている。己一人で決められないのかと笑いたくもなるが、鬼になった先のことを考えると相当な覚悟が必要で、やはり誰かに背中を押してほしいと思ってしまう。  俺はこの先もずっと金花と共にありたいと強く願いながら、町の奥にそびえる山を見つめた。

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