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第23話

 東国へ向かう旅では青々とした木々や眩いばかりに輝く海、それに嫌になるほどの暑さを感じた。ところが西へ向かう今回の旅では落ち葉もほとんど終わり、陽が傾くのも随分と早くなっている。昼日中も日陰は肌寒く、師匠のところで冬の着物と交換しておいてよかったとつくづく思った。  あと二日ほどで都の近くを通るが、屋敷に寄るのはやめておこうと決めていた。母上にはまた泣かれそうだが、いま立ち寄ったところで俺によいことは何もない。 「まったく、俺にはもう妻がいるというのに、どういうことだ」  立ち寄りたくない理由はこれだった。すでに金花という奥方を迎えた俺に、新たな婿入り先の話が出ているというのだ。 「おや、貴族とは何人もの奥方を持つのが普通なのでしょう? 兄上様方にも、余所の屋敷に何人も奥方がいらっしゃると聞きましたよ?」 「そういうのが嫌なんだ。奥方は一人いれば十分。それに俺を婿にしたところで、関白家には何の影響も与えられないんだぞ? そんな俺を婿に迎えてどうするというのだ」  不機嫌そうな顔をしているだろう俺を見て、金花がふふっと笑みを浮かべる。 「関白家の後ろ盾を望む家もあるのでしょうけれど、なかにはカラギを好いて婿に、と望む姫君がいてもおかしくないと思いますよ」 「はぁ? 俺はこんな武士(もののふ)まがいのことをしている男だぞ? どんな家柄の出であったとしても、姫君にとっては婿になどしたくないだろう?」  いまでは蔵人所に勤める貴族子息もいなくはないが、姫君の婿として人気かと言われれば、そんなことはないだろう。東国武士たちと土着の貴族たちが婚姻関係を結ぶというならまだしも、雅な公達のいる都でわざわざ俺のような男を選ぶ理由はない。 「そうですかねぇ。だって、こんなに逞しい体に鴉丸(からすまる)を振るう腕を持ち、目元は涼やかで公達に劣らない風貌をしているじゃないですか。よい目を持つ姫君ならば、好いて当然だと思いますが?」 「そ……んなことは、ないと思うが」 「ふふっ、照れる顔もかわいいこと」 「金花!」  からかわれたのだとわかり、ぎろりと睨みつける。当然そんな睨みなど金花が気にするはずもなく、すぃと近づいてきた。 「それに、こちらの逞しさにはどんな姫君も夢中になると思いますよ?」 「……っ! おまえという奴は……!」  不意に逸物を撫で上げられ、慌てて腰を引いた。それを許さないと言うように金花はますます身を寄せ、甘い声で囁き続ける。 「精を食らうわたしでさえも虜になるくらいですから、人にとっては法悦の極みでしょうねぇ」 「おい……!」 「それに何度でも逞しくなるほど強く、子種もとても濃くて多い……」 「金花……!」 「おかげで、わたしの中はいつでもあなたで満ちあふれています。渇く間もなく、油断すればこぼれ出てしまいそうなくらいですからね」 「……ッ!」  ぐぐっといきり勃ってしまった逸物を、金花の淫らな手がねっとりと撫でいじった。着物の上からとはいえ、その手つきに抗うことなど無理な話だ。やめろと言ったところでその言葉に意味はなく、俺の体はいますぐ金花を蹂躙したいのだと訴えるように熱くなる。  それでもこんな山道では駄目だと、かろうじて残っている理性が訴えた。 「今朝方まで、交わっていただろう……!」 「えぇ、とても濃厚でたまらなく心地よい時間でした。三度も奥深くに子種を頂戴して、わたしの中はまだぬるりとしているはずです」 「……っ!」 「これだけ濡れていれば、きっと心地よいと思いますよ……?」  (とど)めと言わんばかりの甘い声と広がる伽羅の香りに、俺の理性はぷつんと途切れた。  表向きは以前と変わらない態度を取らねばと思っているが、俺の本心は金花と同じなのだ。側にいたい、触れていたい、一刻でも時間(とき)が過ぎるのが惜しい――焦りのような思いが沸々とわき上がってくる。  細い手首を掴んで、ぐいぐいと木々の間を分け入った。ふと目に入った大きな木に金花を押しつけ、背後から抱きしめるように腕を回し、しゅるりと紐を解いて袴を落とす。相変わらず簡単に脱げるようになっているのだなと思わず苦笑いを浮かべてしまった。 (師匠のところで冬物を仕立てるときに言っていたことは、本当だったんだな)  金花いわく、簡単に脱ぎ着ができるように縫い方に工夫がされているらしい。「一人で脱ぎ着するのに手間は省きたいですから」と言っていたが、それだけではないだろう。 (こうやっておけば、誰彼と交わるときに都合がよかったに違いない)  そう思ったら苛々とした熱が胸の奥をちりりと焦がした。俺と出会う前のことを考えて苛つくなどどうしようもないというのに、つい気にしてしまう。それに金花にとって精とは食事と同じことなのだから、いちいち過去のことを考えても仕方がない。  わかってはいるものの、どうにも苛立ちが募って手つきまで乱暴になってしまった。 「それだけ俺は、好いてしまったということだな」 「カラ――……~~っ!」  俺の手つきに何かしらを感じたのか、金花が木に手をついたまま振り返った。その美しい顔を見ながら、どうにもならない苛立ちごと容赦なくひと突きで逸物をねじ込む。  さすがの金花も衝撃が大き過ぎたのか、息を呑み、爪で木の皮をがりがりと掻くのが見えた。いつもなら爪を痛めるのが気になりやめさせるところだが、カッカとした頭のまま乱暴に逸物を抜き差しし続けた。もっと優しくしてやりたいと思うのに、同時に壊れるほど乱暴にしてしまいたいという凶悪な気持ちが湧き上がってくる。 (俺は金花を、キツラを手放したくない……!)  もう二度と、誰彼わからぬ男に触れさせたりしない。キツラは俺のものだ。俺だけのもので、この先ずっと側にいたいし、いてほしいと思っている。  そうだ、そのために俺は鬼の王のもとへと向かっているのだ――。 「ぁ、あっ、カラギ、カラ……っ」 「おまえが言ったとおり、ぐっしょり濡れて、奥まで、すぐに入る、な……っ」 「ぁあっ! おく、に……、はぁ、ぁ、逞しくて、熱い、カラギが、ぁあ、ぁ、()ぃ……!」  甘く蕩けた声にぐぅんと膨らんだ逸物を、これでもかと奥深くにねじ込んだ。そうして乱れた襟元からちらちらと覗く首筋に、がぶりと噛みつく。 「~~……!」 「ぐぅ……ぅ!」  噛みついた瞬間、キツラの腰がガクガクと震え、中がまるで別の生き物のように激しくうねり脈打つように収縮した。  あまりの心地よさに俺の逸物はぐぅと膨れ上がり、弾けるように子種を吐き出した。どくりどくりと吹き出すのに合わせ、腰がぐっぐっと奥を突く。そのたびにキツラの背がしなるのが見え、たまらない気持ちになった。 「キツラ、キツラ」  名残惜しげに腰を動かしながら覆い被さる俺に、キツラの掠れた声が応えた。 「わたしは、あなただけの、ものですよ」  俺の不安や苛立ち、暴走する気持ちに気づいているのだろう。それでもなお、キツラはそれ以上のことは言わない。その様子に俺のほうはなんと情けなくなったのかと思い、美しい首筋に残る噛み痕を何度も舌で撫でた。 ・ ・ ・  夏の暑い日に師匠のもとへ到着した俺たちは、そのまま三月(みつき)と少しを東国で過ごした。東国武士たちは誰もが気さくで、関白家という後ろ盾を気にすることなく俺と接してくれた。おかげで日々の鍛錬も充実し、自分でもわかるほどに太刀の腕が上がったように思う。  実際、師匠も「強くなったなァ」と褒めてくれた。それでも五回に一度しか師匠に勝つことができないままで、まだまだ鍛錬が必要なのだと痛感もした。  俺が鍛錬をしている間、金花はずっと俺を眺めていた。さすがに何日も見ているだけでは退屈だろうと声をかけてはみたものの、日々腕を上げる俺を見るのが楽しいのだと言って、結局ずっと俺を見続けた。  それを師匠はニヤニヤと眺め、東国武士たちは「都人(みやこびと)は変わっているなぁ」と呆れ半分で見ていた。 (あれも最後だからと思っていたのかもしれない)  以前ならそれほど気に留めなかった金花の様子だが、何もかもが最後だと言っているように感じる。そう考えた俺は、一月(ひとつき)が過ぎたところで鬼の王に会いに行こうと思っていることを金花に伝えた。 「会って、どうするのです?」 「俺は、この先もずっと金花と共にありたいと思っている」 「わたしはあなたの奥方ですから、あなたが望む限り側にいますよ?」 「そういうことじゃない!」  思わず声を荒げてしまったことに自分でも驚いた。  離れを借りているとはいえ、師匠や東国武士たちが大勢寝ている屋敷で夜更けに大声を出しては何事かと起き出してしまう。ぐぅと口を閉じ、落ち着かねばと深く息を吐く。 「カラギ?」 「奥方とか、そういうことじゃないんだ。その……おまえは鬼だ。鬼とは人よりもずっと長く生きるだろう?」 「そうですね」 「俺は、おまえと、……鬼であるおまえと共にありたいと、そう思っているんだ」  金花はただ黙って俺を見ていた。高灯台の灯りに照らされた金花の黒目からは、何を考えているか読み取ることはできない。そんな金花を見つめ返しながら、ふぅと息を吐き言葉を続ける。 「俺は鬼の王に会い、鬼に転じる方法を訊ねたいと思っている」  虫たちの鳴き声がぴたりと止んだような気がした。真夏の暑い夜だというのに、俺たちの周りだけが真冬の夜のようにシンと静まり返る。  どのくらい時間が経っただろうか。長くも感じ、瞬きするほど短くも感じた無音のときは、金花の声で破られた。 「カラギは、鬼になりたいのですか?」 「……あぁ」 「鬼を嫌っているのに?」 「そ、れは……嫌うのは、鬼たちが人を襲うからだ。人を攫い、そして食らう。理不尽に命を散らされる側としては、嫌って当然だろう」 「それなのに、鬼になりたいと?」 「だが、おまえは違う! おまえのことは心の底から好いている。最初は責任だなんだと言っていたが、その……ただおまえが愛しいと、そう思っているのだ」  本音ではあるが熱く語るにはどうにも恥ずかしく、金花から少しばかり視線を逸らす。 (いや、これが俺の(まこと)の気持ちなのだから恥じることはない)  そう思い直し再び金花へと視線を戻すと、そこにはうっすらと笑みを浮かべた顔があった。それはとても美しく、それでいて灯りに照らされているからか妖しくも見え、どきりと胸が鳴る。  しかし、その笑みにはどことなく違和感がある。じぃと見ているうちに、ふと思い出すことがあった。 (……そうだ、この笑みは以前も見たことがある)  あれはいつだったか……都に到着したばかりの頃だったか。いや、一度ではなく何度か見た気がする。美しい笑みではあるがどこか寂しげにも見え、消えてしまいそうな儚さも感じる顔に胸が詰まる思いがこみ上げてきた。 「わたしがあたなの側にいたいと、何度も言ったのがよくなかったのでしょうね。そのせいで、あなたはとんでもない決意を抱くようになってしまった」 「違う!」  まるで自分のせいだと言わんばかりの言葉に、思わず声を荒げてしまった。 「あぁ、まずは聞いてください」  すっと背を伸ばした金花に、俺も居住まいを正して顔を見る。 「わたしは精を食らって生きる妖魔、ただそれだけの存在でした。けれどあなたに出会い、なんと甘美な精があるのかと、初めはよい獲物を見つけたと思ったのです。精は強く濃く、さらに血も極上のもの。妖魔としても鬼としてもこれほどの獲物はいないと思い、逃すのはもったいないと手練手管であなたを虜にしようとしました」  そうだ。そんな金花に惑わされ、出会ったその日に交わってしまい、そこからすべてが始まったのだ。 「そのはずだったのに、離れがたくなってしまった。ただの獲物以上に思い始め、ただただ側にいたいと願った。側にいられればそれでよいと思った。……けれど、そうはいかないでしょう?」 「なぜだ? 側にいたいと思うのなら、側にいられるようにすればよいではないか」 「いいえ、駄目なのです」  やけにきっぱりした言葉に、なぜだと眉が寄る。 「人はわたしが思っていた以上に鬼を畏れ嫌っています。都の人々は鬼に怯えならが暮らしている。あぁ、他の人のことなどどうでもよいのです。けれど、あなたはそんな人々の中で暮らし、人々を鬼から守ってきた。そんなあなたを鬼にしてしまうなど、あなたを変えてしまうなど……」 「俺は何も変わらない」 「それは無理というもの」 「いいや、変わらない。鬼に転じるくらいで変わるはずもない」 「それでも変わるのですよ」 「そんなこと、転じてみなければわからないじゃないか」 「いいえ、確実に変わるのです」  強い口調に、それ以上の言葉が続かない。そんな俺に寂しげな笑みを浮かべた金花が、ゆっくりと口を開いた。 「鬼になるということは、すなわち人を食らわねばならなくなるということなのですよ」 「……!」  そうだ、鬼は生きるために人を食らうのだ。……あぁ、俺はなんと浅はかなのだろうか。  ただ金花の側にいたいがために鬼に転ずることを願い、鬼の王にまで会おうと考えた。その先は、ただ好いた金花の側にずっといられるのだと浮かれたことしか考えなかった。  俺は項垂れるしかなかった。鬼に転じることの真の意味を知り、短絡的な己に嫌気がさしてくる。  そんな俺の頭を愛しんでくれるように金花の腕が包み込んだ。 「わたしは嬉しいのです。鬼を嫌うあなたが、わたしのために鬼になろうと思ってくれるなんて、これほど嬉しいことはありません」 「……しかし、俺は浅はかだ」 「それも妖魔であるわたしのせい。ただただあなたの側にいられる時を惜しみ、()いてしまうわたしのせいです。ずっとあなたを忘れないように、いまのうちに体に深く刻んでおきたいと願う、わたしの醜い欲のせいなのです」  静かに話す金花の声が、すぅと胸に入り込む。  そうか、昼夜問わず俺を誘っていたのはそういうことだったのか。いつか訪れるであろう別れを考え、俺を忘れないようにしたいと思っていたとは……。それほどに金花は俺を好いてくれているのだとわかり、目頭が熱くなる。 「……好いた相手を残してしまうのも、残されてしまうのも、つらいな」  ぽろりと漏れた言葉に、俺の頭を抱く金花の腕に力が入った。あぁ、金花はこれほどに俺を思ってくれている。金花ほど俺を好いてくれるものはいないだろうし、金花以上に愛しいと思える存在は他にいないだろう。 (だとすれば、俺は……)  細くも力強い金花の手を撫で、抱きしめる腕から頭を起こす。  美しい顔がはっきりと見えるということは、涙を流さずに済んだということか。そのことに安堵した。ここで俺が泣いては金花に心配をかけてしまう。 「鬼の王の件は、ここを発つまで保留にしたい。それまで、じっくりと考えようと思う」  じっと俺を見た金花は、静かにこくりと頷いてくれた。

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