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第26話
「突っ立ってないで座ったらどうだ?」
鬼の王の声は力強く、是とも否とも答えられないほどの威圧感を持っていた。
俺は何も答えられないまま、ただ廊下に腰を下ろすしかなかった。後ろをついて来ていた金花も同じように廊下に座る。面を付けた男はそのまま部屋の前を通り過ぎ、どこかへ消えてしまった。
「席をはずしましょうか?」
鬼の隣に座る男が静かにそう告げた。声は若く涼やかに聞こえる。「やはりこの方が」と思いながらそっと視線を向けた。
「かまわん。それに、其処 の男はおまえにも会いたがっているだろうからな。今回は特別だ」
「わたしに……?」
男の目が俺を見た。思わずじっと見返してしまったが、さすがに無礼だと気づき慌てて頭を下げる。
少年と呼んでもよさそうな小柄な体つきで、たしかに高貴な雰囲気に感じられる。しかし鬼のようには見えず、ただの人にしか感じられない。だが鬼の王の傍らにいるということは、この男こそが敦皇 親王なのだろう。
「……その顔立ちは、もしや」
「どの程度の繋がりかは知らんが、おまえの血縁者だろう? 匂いが少しばかり似ている」
「ということは、成皇 様か良皇 様の子孫でしょうか?」
やはりこの方が敦皇 様に違いない。問いかけに答えねばと思ったが、開きかけた口をきゅっと閉じた。果たして答えてもよいのだろうか。勝手なことをして鬼の王の不興を買ってしまっては、ここまで来た意味がなくなってしまう。
迷う俺の頭上に鋭い声が響いた。
「さっさと答えろ」
「もう、そう急かすものではないでしょう? あなたはせっかちすぎるのです」
敦皇 様のたしなめる言葉にギョッとして思わず顔を上げてしまった。いくら大事にされているとは言え相手は鬼、しかも鬼の王なのだ。そのような言葉遣いでは鬼の王の機嫌を損ねやしないだろうか。
「あぁあぁ、わかっている」
しかし鬼の王の返事はぶっきらぼうながら柔らかな声色で、口元には笑みさえも浮かべていた。
御所で対峙したときとはあまりに違う様子に、俺はただ呆気にとられてしまった。これは本当にあのときと同じ鬼の王なのか、顔はたしかに同じに見えるが別人ではないだろうか、そんな考えが頭をよぎる。
「おい、此 れが優しいからと言って、いつまでも黙 りか? おまえにとっては仕えるべき主人 の一族だろうが。さっさと答えろ」
再びの鬼の王の声にハッとし、慌てて頭を下げた。敦皇 様と思われる男は、鬼の王を恐れることなく「朱天 」と再びたしなめている。
聞いていたとおり鬼の王が奥方として敦皇 様を扱っているのなら、俺にとっては僥倖かもしれない。しかしまずは、この男が本当に敦皇 様なのか確かめなくてはいけない。
「ご無礼しました。我が祖先は良皇 親王にて、のちに後壱帝 となられました」
「良皇 様のほうでしたか。涼やかな目元は成皇 様にも似ていらっしゃると思いましたが、お二人は顔立ちのよく似たご兄弟でしたから、なるほど納得しました」
敦皇 様は、ふむふむと口元を指でなぞりながら頷いている。それを見る鬼の王の目は驚くほど優しく、本当に奥方として傍らに置いているのだろうことがわかった。
「わたしは現関白の末の弟になります。我が関白家は、北家右大臣の血を継いでいます」
「そうですか」
「……恨んでは、いらっしゃらないのですか?」
「もし恨んでいたとしても、はるか昔のこと。それに当時からわたしは右大臣を恨んでなどいませんでした」
「しかし右大臣は、その……あなたを帝にさせまいと都から追いやった人物、と聞いています」
当時、右大臣だった関白家の先祖が帝に娘を嫁がせ、自分の血を引く親王を帝にしようと画策したということは朝廷や御所の誰もが知っている。いまの関白家が力を持っているのは敦皇 様を排除し、二代続けて右大臣の血を引く帝が誕生したからだと誰もが思っていた。
(本当に恨んでいらっしゃらないのだろうか)
二歳で左大臣家の姫だった生母を亡くし、元服間近の十二歳で後ろ盾の左大臣であった伯父を失った敦皇 様は、都を追われたせいで守りが手薄となり鬼に狙われた。つまり敦皇 様からすべてを奪い、鬼の元へと追いやったのは右大臣ということになる。
であれば、右大臣の血を引く関白家を恨んでいてもおかしくないはずだ。
「当時のことがどのように伝えられているかわかりませんが、養母の彰后 様にはとてもよくしていただいたんですよ? それに、お父上である右大臣も笛を教えてくださったり、幼い頃はかわいがっていただいたものです。……たしかに都を離れ寂しいと思ったことはありますが、恨むことなどありません」
「……そうであればよいのですが」
「それに、都の外れに住んでいたからこそ朱天 と出会い、共にあることができるのです。そういう意味では、感謝しているくらいです」
なるほど、この方は間違いなく敦皇 様だ。
のちに皇太后となられた彰后 様は、最後まで敦皇 様のことを気にかけ、小さな仏像を手元に置き祈られていた。その仏像にひっそりと“敦”の文字が彫られていたことは、それを見た祖父と、祖父から聞いた俺や兄上たちしか知らない。
後壱帝 は笛の名手であったが、真の名手は亡き兄だっただろうとおっしゃっていたという話も、祖父から聞いたことがある。
(やはり敦皇 様は鬼になったのか)
当時のことをよく知り、なおかつ少年とも呼べる雰囲気をわずかに残す姿は、十八歳で鬼に攫われた話と合致する。その姿のまま生きているということは、まさしく鬼になったに違いない。
「俺はおまえが御所にいたとしても攫っているがな」
「もうっ! それでは都の皆が驚き怯えてしまうじゃないですか」
それに鬼の王にこのようなことが言えるのは、やはり鬼の王の奥方しかいないだろう。
(どうやら敦皇 様は、右大臣の血筋を恨んでいらっしゃらない様子。それならば、やはり俺にとっては僥倖ということだ)
鬼の王が駄目だったとしても、敦皇 様を介して頼めば願いが叶うかもしれない。それに敦皇 様を見る限り、鬼になれば老いることなく鬼と等しく生きられることもわかった。
それならば、やはり何としても願いを叶えてもらわねばならない。
「で、俺に聞きたいことがあるんだろう? さっさと言え」
「朱天 、」
窘めるような敦皇 様の言葉に勇気をもらい、鬼の王をしっかり見ながら口を開く。
「俺は鬼になりたい。鬼の王、俺を鬼にしてはくれまいか」
俺の言葉にあたりは一瞬、しんと静まり返った。それを破ったのは、鬼の王の大きな笑い声だった。
「ふはははは! おまえ、本気か? 退魔の太刀を持つおまえが、鬼になりたいだと? いやはや、おもしろそうな奴だとは思ったが、ここまでとは、ははははは! なんともおかしく、腹がよじれそうだ!」
人が大声で笑うのと変わらない様子だというのに、鬼の王が笑うたびに部屋のあちこちがびりりと震え、庭の木々でさえもゆらゆらと揺れるようだった。睨みつけられ脅されているわけでもないのに、笑い声を聞くだけで背中を冷や汗が流れ落ちる。鬼の王とはなんと恐ろしいものなんだと、いまさらながらに痛感した。
「朱天 、少し静かに」
敦皇 様の声に、ぴたりと鬼の王の笑い声が止まる。先ほどまで少年のようだった敦皇 様の顔からは表情が消え、どこか冷たい雰囲気に変わっていた。
「あなたは、鬼になりたいのですか?」
「……はい。そう願ってここまで来ました」
「鬼になるとはどういうことか、わかって……。あぁ、それでわたしに会いたいだろうと……。わたしが何者か知っているのに驚かないのは、そのせいでしたか」
敦皇 様が唇に指を添えたまま考え込んでいる。隣に座る鬼の王は黙ってはいるものの、おもしろいと言わんばかりにニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「わたしが鬼に転じたことを知ってもなお、鬼になりたいと願うのですね」
「はい」
「鬼に転ずるのは、そう簡単なことではありませんよ?」
「知っています。その……女は、鬼の精を受けると稀に鬼に転ずると聞きました。しかし男が鬼になるには……、大鬼を食らうしか、方法がないのだと」
「そのとおりです。わたしも棘希 の血肉を食らい、鬼になりました」
「……俺が知る限り、そんな大鬼は他にいません。であれば他の方法はないかと、鬼の王であれば何か方策を知っているのではと思い、ここまで来たのです」
俺は鬼になることを決意したが、棘希 と同じくらいの大鬼は都の周辺にもいない。というよりも、そんな大鬼の話など聞いたことすらなかった。そうなれば別の方法を考えるしかなく、鬼の王であれば知っているのではないかと思ったのだ。
「鬼は、生きるために人を食らうのだということは聞いていますか?」
「……知っています」
「それでも鬼になりたいとは……」
敦皇 様の声が、やや呆れたような雰囲気に変わった。
(それはそうだろうな)
俺が鬼に転じるには、まず大鬼と呼ばれるほどの鬼を食わなくてはならない。それだけでも嫌悪すべき行為だというのに、鬼になれば今度は生きるために人を食わねばならなくなるのだ。わかっていて鬼になりたいなど、正気の沙汰とは思えないだろう。
それでも俺は鬼になると決めた。正気のすべてを捨て去っても鬼になりたい、金花の側にいたいと思ったのだ。
「もしや、キツラの側にいたいがために?」
敦皇 様の言葉に、後ろで黙っていた金花の気配が揺らいだのがわかった。
そういえば、屋敷に入ってから金花はずっと黙ったままだ。気配も消しているようで、いままで金花が後ろにいることをすっかり忘れていた。その金花にも聞かせるように、思いの丈を込めて言葉を口にする。
「俺は、この先もずっと金花の、……キツラの側にいたいのです。そのためなら鬼になることも厭 わない。たとえ鬼を食らい、人を食らうことになっても、それでも俺はキツラの側にいたい」
鬼の王がどう思うかはわからない。しかし、少なくとも人であった敦皇 様には俺の言葉が届くのではと一縷の望みをかけた。
「……己のことを置いて、それは駄目だとは言いにくいものですね」
「敦皇 様、」
「わたし自身も相手が恐ろしい鬼だと、人を食らう鬼だと知ってもなお、離れがたかった。ただ愛しいと思った相手が鬼だった、それだけのこと」
静かに語るその声は少年の声色でありながら、老成し悟りを開いた聖 のようにも聞こえた。それが敦皇 様の思いを表しているようで、二人のことを何も知らない俺でも胸が詰まる気持ちになる。
「おまえのせいじゃない。俺がおまえを手放せなかっただけだ」
「いいえ、朱天 のせいではありません。最後にすべてを決めたのは、わたし自身。鬼となることを望んだのも、わたし。そうしてまでも、ただ朱天 の側にいたいと思ったのです。……あなたも、そうなのですね?」
敦皇 様の言葉に、はっきりと大きく頷いた。
俺はただ金花の側にいたい。好いた相手とより長く、叶うことなら死ぬ間際まで共にありたい。しかし鬼である金花の命は長く、このままでは一瞬で離れてしまうことになる。それは、どうにも堪え難いことだった。
愚かだと言われようとも、神仏の罰がくだろうとも、俺はただ金花の側にありたかった。側に居続けるためなら鬼にもなる。この決意は今後も決して揺らぐことはない。
「……やはり、駄目です」
「金花?」
ずぃと膝を踏み出したのは、これまで気配さえも消していた金花だった。
「人が鬼に転じるなど、本来あってはならないこと。それにカラギは都を守るため、長く鬼を退治してきました。鬼を憎み、鬼を屠 ってきたカラギが鬼になるなど、そんなこと、」
わずかに俯いた金花の声は、どこか頼りなく細い。まさか泣いているのかと驚いたが、クッと上げた顔に涙はなく、凛とした美しいものだった。
「わたしはカラギが鬼になることなど望んでいない。わたしのために鬼になるなど……きっと後悔するに違いないのだから」
「金花、俺は、」
「あなたは後悔します。体は鬼に転じることができても、心は人のまま。いかに胆力に優れたあなたであっても、鬼になったことに耐えられるとは限りません」
「いいや、耐えられる。耐えてみせる。それほどの決意なのだ!」
「いいえ、いいえ、鬼になるなど、決して許されないことなのです」
「金花!」
一歩も譲らない金花の言葉に、俺はなぜわからないのだと美しい顔をひたすら睨みつけた。俺を見ようとしない金花の美しい横顔を睨み、俺の思いはそう簡単に諦められるものではないのだと視線に込める。
「鬼王の前で鬼と人が痴話喧嘩とは、本当におもしろい奴らだ」
鬼の王の言葉にハッと我に返った。相変わらず鬼の王はニヤニヤと笑い、敦皇 様は「静かにと言ったでしょう」と鬼の王の口に立てた人差し指を当てている。
「いつまでもおまえらの痴話喧嘩など聞いてられん。俺は早く此奴 と二人きりになりたいんだ」
「朱天 」
「まぁ待て、俺に任せておけ。さて、其方 のは鬼になりたい。でもって理由は至極簡単、半鬼に惚れたからだな」
俺は頷いたが、金花はすっと鬼の王から視線を外した。
「まぁその気持ちはよくわかる。半鬼とはいえ半分は俺と同じ血が流れている鬼だ。見目はいいし、人にはたまらんだろうからなぁ」
鬼の王は何の話を始めたんだ? からかうような言葉に思わず眉が寄る。
「それに、其 れは妖魔の血が濃い。誰彼構わず誘い、股を開く。これまで大勢が惑わされ吸い尽くされたように、おまえが死んだ後も大勢と交わり続けるだろう」
鬼の王の言葉にカッとなった。いや、それが金花の生きる術であり、そこに心が伴わないことはわかっている。俺がいなくなれば、俺以外の男の精を食らわねばならなくなることもわかっている。
しかしそうなれば大勢の男たちが金花の美しい肌に触れ、濡れた声を聞き、熱い中に逸物を突き入れるということだ。そう考えるだけで腹の奥がぐつぐつと煮えたぎる思いがした。そんなこと……そんなこと、許せるはずもない!
「おまえが死ねば、すべて元のとおりというわけだ。これまでどおり、其 れは大勢の男たちと交わり続ける」
「朱天 、言い方が……」
「朱天 !」
敦皇 様の声に被さるように金花の鋭い声が響いた。聞いたことのない声に驚いた俺は、思わず金花の横顔を凝視してしまった。それは敦皇 様も同じだったようで、ぽかんとした顔で金花を見ている。
鬼の王だけは予想していたのか、相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「……カラギを焚き付けるために、わたしを呼びましたね」
「目の前にいたほうが、より実感できるだろう?」
「鬼王たるあなたが、なぜ人に肩入れするのです」
「人のことなどどうでもいい。もちろん其奴 も然り、あぁ、おまえも然りだ」
「ならば、」
「だがなぁ、此奴 がおまえのことを気にしていてなぁ。どうでもいいだろうと言うのに、事あるごとにおまえの話をする」
「それはそうでしょう。だって、あなたのたった一人の家族、兄弟なのですよ? 兄弟は大事にしなければ」
「ほらな、いつもこうだ。いい加減、此奴 の中からおまえを追い出したいんだよ、俺は」
敦皇 様が「そういうことを言わない」と言いながら、鬼の王の胸をぺしりと叩いている。……これは、一体どういうことだ?
「あのとき、呼ばれても都へなど行かなければよかった」
金花がぽつりとそんなことを口にした。
「そんなことを言わないで。わたしは朱天 の弟に会えて嬉しかったのですから。だって、大事な人に家族がいるのなら会ってみたいと思うでしょう?」
「俺にはわからん感情だが、まぁそういうことだ。あのとき逃げたとしても、烏たちがすぐにとっ捕まえて来ただろうしな」
「……あなたと兄弟だなんて、一度も思ったことはありませんよ」
「それはお互い様だ。だが、此奴 にとっておまえは弟なんだと。不愉快だが、そう思っている此奴 もかわいいから、まぁ仕方がない」
金花は俯き、鬼の王はニヤニヤと笑い、敦皇 様は二人を見ながら目を瞬 かせている。どういう状況かよくわからないが、鬼の王が俺の願いを聞き入れてくれるかもしれないことだけは理解できた。
「で、おまえはまだ鬼になりたいと思っているんだな?」
俺を見た鬼の王にびくりとしながらも、しっかりと頷いた。それに俺が死んだ後の話を聞かされればなおのこと、金花を残してなどいけるかとますます本気で思った。
「まぁ、方法がないわけじゃない」
「よかった」
「鬼王!」
「本当か!?」
三者三様の反応に鬼の王はまたもや大声で笑い、敦皇 様は小さく手を叩いて喜んだ。一方、金花は眉を寄せて不快さを隠そうともしなかったが、俺は言わずもがな飛びつくように鬼の王を見る。
「おまえは其奴 が鬼になるのを止めようとしていたみたいだが、いいのか?」
「それはまぁ、考えることもありますけど……。でも、キツラを真剣に思っているのはわかりましたし、わたしにも覚えのある気持ちですから」
「……そうか」
敦皇 様の言葉に感謝した。敦皇 様がいなければ、鬼の王に話を聞いてもらうどころか会うことすらできなかったかもしれない。なにより敦皇 様が金花のことを気にかけていなければ、こうしたことにはならなかっただろう。
思いの丈を込めて敦皇 様に頭を下げれば、にこりと微笑み返してくれた。
「それに朱天 のことだから、よい案があるのでしょう?」
「おまえのためだ。烏の爺 らに、わざわざ話を聞きに行ったぞ?」
俺は言葉こそ発しなかったが、食い入るように鬼の王を見た。金花はわずかに反応したものの、やはり不快なのか視線を逸らしたままでいる。
「本来、確実に鬼に転じるには、それ相応の力を持つ鬼を食らうのが一番だ。食らう鬼が強ければ強いほど、鬼に転じたものの寿命も長くなる。だから俺は棘希 の体を取り戻し、此奴 に血肉を食わせた。他に棘希 ほど強い鬼はいなかったからな」
そうだったのか。鬼の王なら命も相当長そうだが、では半分しか鬼ではないという金花はどうなのだろう。どのくらいの大鬼を食らえば金花と同じ命になるのか想像もつかない。
そもそも、俺の腕ではあの赤い目の鬼にすら敵わないのだ。こんなことなら、あの鬼を捕らえておけばよかった。いや、もういない鬼のことを考えても仕方がない。まずはどうやって大鬼を手に入れるか、いや、そんな大鬼はやはりいないのではないのか。
そんなことを考えていた俺に、鬼の王が「おまえ、本当におもしろい奴だな」と笑った。
「鬼を食らうと聞いて怯えもしないどころか、この前の愚か者を食らえばよかったなどと考えているだろう? いや、なんともおもしろい。たしかに人にしておくのはもったいない」
「……鬼になる方法を教えてもらえるのか?」
「あぁ、此奴 のためだからな。俺は人が相手でも嘘はつかん」
「鬼王!」
「おまえは黙っていろ」
「……っ!」
ぞわりとした何かを感じた次の瞬間、金花の周りに薄墨のようなものがまとわりつくのが見えた。おそらく鬼の王の仕業だろう。目では鬼の王を睨みつけているものの、金花の口は決して開こうとしなかった。
「一応聞いておくが、おまえは其 れと同じだけ生きられればいいのだな?」
「キツラの側にいられればいい」
金花よりも長く生きたいとは思わない。可能であれば金花の死を見届け、すぐさま後を追うつもりだ。それだけの命があれば十分。
「ならば簡単だ。其 れの血なりを食らえばいい」
「…………は?」
驚いたのは金花も同じだったようで、声は出ていないが目を見開き鬼の王を凝視している。敦皇 様も「え? それでよいのですか?」とつぶやいた。
「其 れは中途半端な存在だ。俺と同じ血を持ちながら、半分は妖魔という劣等の血でできている。そもそも妖魔が鬼の子を生むなど前代未聞だ。鬼の血に耐えられるはずもなく、其 れの母親は生みながら死んだ」
ということは、金花の母は……。あぁ、だから烏たちが親代わりだと言っていたのか。
「生まれたものの、強いのか弱いのかさっぱりわからん。だからこそ鬼たちは煙たがり、気味の悪いものなら消してしまおうと考えるのだろう。だが、その中途半端さが今回は功を奏する。強くもあり弱くもある其 れの血は、ちょうどよくおまえを其 れと同じ程度の鬼にするだろうよ。あぁ、もうしゃべってもいいぞ」
鬼の王の言葉と同時に、金花がけほりと小さく咳をした。
「……わたしの血なりを、と言いましたか」
「肉を食らっては鬼の力が強く出過ぎるだろうというのが、烏の爺 らの話だ。ならば、血を少しずつ食らうのがちょうどよいだろうな。それならば鬼になるのも緩やか、人を食らう必要さえない。どうだ、俺の案はおまえらの願いをすべて叶える素晴らしいものだろう」
鼻を高くしてニィと笑う鬼の王に、敦皇 様がぱちぱちと手を叩いた。その様子を呆気に取られたまま見ていると、ついでにと鬼の王が言葉を続けた。
「人ゆえに血は好まんというのなら、食らうのは精でもいいが……」
鬼の王が、俺を見ながらニィィと嫌な笑みを浮かべている。
「すでに精は食らったようだな。であれば、今後も精を食らえばいい」
言われてカァッと頭に血が昇った。そうだ、俺は鬼の王の元へ来るまでの二日間、何度か金花の精を飲んでいる。それを鬼の王は知っているということだ。
(なぜだ、どうしてそんな閨のことを……。いや、見ただけでそういうことまでわかってしまうのが鬼の王なのか!?)
「さすがに精では時間がかかり過ぎるだろうから、たまには血を食らえ。食らう量は自ずとわかってくるだろうよ」
それが鬼に転ずるということだ、鬼の王はそう言葉を締めた。
(そうか、鬼になるために鬼を食らわなくてもいいのか)
俺が思い描き、覚悟を決めたことは必要ないのだとわかり、安堵すると共に全身からほぅっと力が抜けるようだった。それに、どうやら人を食らう必要もないらしい。改めてそう思うと、やはり安堵のため息が漏れる。
鬼になるためには金花の精を食らい、時折り血を食らえばいいということだ。それならば、金花が俺にすることと大差ない。金花は俺の血を食らい、精を食らう。これからは俺も金花の精を食らい、血を食らうということだ。
ぞわり、ぞわり。
背筋を得体の知れないモノが這い上がってくるような気がした。それは鬼を前にしたときの高ぶりにも近く、畏れと喜びが入り混じるような何とも形容しがたい感覚だった。
「互いに食らい合うというのも、鬼に転じたいなどと言う愚かな人と、鬼と妖魔の血を持つ其 れにふさわしいだろうよ」
鬼の王は笑い、俺はただ深く頷いた。
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