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第27話

 山を降りるには暗くて危ないからという敦皇(あつおう)様の言葉もあり、一晩、鬼の王の屋敷に泊まることになった。鬼の王は心底嫌そうな顔をしたが、敦皇(あつおう)様の「わたしも久しぶりに笛を吹きたいのです」という言葉にころりと態度を変え、いそいそと笛を取りに部屋を出て行ってしまった。 「よかったですね。……あぁ、ええと、名はなんと言いましたか」 「大変失礼しました。唐多千(からたち)と申しますが、普段はカラギと呼ばれています」 「ではカラギ、どうかキツラのこと、よろしくお願いします」 「もちろんです」  勢いよく答えると、なぜか隣に座る金花に膝をぺしりと叩かれてしまった。 「ふふ、仲が良いようでよかった。……わたしは弟たちに何もしてやれなかった。だからキツラには何かしてやりたいと、常々思っていたのです。ほら、わたしはキツラの兄ですから」 「……そういうところが、苦手なのですよ」 「そうですか? 朱天(しゅてん)はまったく兄らしくないでしょうから、これからはわたしのことを兄と呼んでくれてもよいのですよ? あぁ、カラギも」  見た目で言えば自分よりも年下の、身分で言えばずっと上の敦皇(あつおう)様を兄と呼ぶのはどうだろうか。無邪気に笑う姿は微笑ましく見えるが、答えに窮してしまう。……なるほど、たしかに金花が苦手だと口にするのもわかる気がする。 「そうそうキツラ、あなたの衣装は烏たちが用意していると思いますよ?」 「……そうでしたね」  すっくと立ち上がった金花だったが、不意に俺を見て、それから敦皇(あつおう)様を見た。どうしたのだろうと金花を見上げるが、少しばかり視線をうろうろとさせるばかりで何も言わない。 「大丈夫ですよ。カラギはわたしの弟も同然。この屋敷でわたしに害を成すもの、わたしの意に反するものはいません。安心してください」 「……それでは、カラギをお願いします」 「はい、兄としてしっかり見ておきますね」  最後の言葉には複雑そうな顔をしたものの、敦皇(あつおう)様に頭を下げた金花は俺を見てふわりと笑った。そのまま足音を立てることなく鬼の王が向かったほうへと姿を消す。 「キツラはよほどあなたを好いているのですね」 「俺も、いや、わたしも、その、好いて、いますから」 「うふふ、このくらいで照れるなんてかわいらしい。あぁ、それから俺で構いませんよ? わたしはもはや親王ではありませんから、かしこまる必要はありません」 「しかし、……はい」  鬼の王とはまったく違うが、なんとなく逆らえない雰囲気なのは第一親王だった名残だろうか。 「ささ、こちらへおいでなさい」 「失礼します」  部屋の中へ招き入れられ庭を振り返ると、そこには大きな舞台のようなものがあった。たしか渡殿(わたどの)を通ったときにはなかったはずで、こんな大きなものが音もなく突然現れたことに驚く。やや目を見開いて見ていると「キツラの舞う舞台ですよ」と言われ、また驚いた。 「ここへ案内した烏たちへのお駄賃だそうです」 「あぁ、そういえばそんなことを言っていましたか」 「せっかくのキツラの舞ですから、今宵はわたしも笛を吹こうかと」 「敦皇(あつおう)様がですか!?」 「おや、そんなに驚かなくてもよいじゃないですか。わたしの笛の腕前はそこそこなんですからね?」 「あぁ、いえ、それはよく存じています。後壱帝(ごいちてい)が、笛の名手と言えば敦皇(あつおう)様だとおっしゃっていたので」 「それは嬉しいこと」と微笑む敦皇(あつおう)様は、気のせいでなければ少し寂しげにも見えた。 「わたしがいなくなっても誰も困らず悲しまず、煙のように記憶から消えてくれることを願っていましたが……。わたしのことを覚えていて、そうして話してくれていたのだと知ると、やはり嬉しいものですね」 「敦皇(あつおう)様」  自ら鬼となることを決めたと話していたが、やはり敦皇(あつおう)様も悩んだのだろう。複雑な立場でもあっただろうから、俺よりもよほど迷い悩んだに違いない。 「敦皇(あつおう)様は鬼になられて、……よかったとお思いですか?」  俺の問いかけに、敦皇(あつおう)様は「もちろんですよ」と笑って答えた。  その顔に安堵しつつも、気になっていたことを口にしてもよいものかと考えた。鬼の王や金花がいるところでは聞けないことだが、いまなら尋ねることができる。いまを逃せば一生知ることはできないだろう。そう思い、意を決して口を開いた。 「鬼は人を食らわねば生きられないと、金花に、キツラに聞きました。俺もその覚悟でいました。結果的に俺には必要なさそうですが……敦皇(あつおう)様は、その……」  駄目だ、どうしても最後まで言葉にできない。それでも俺が何を言おうとしたのかわかったのか、敦皇(あつおう)様はふわりと笑い、こくりと頷いた。 「わたしも鬼となった身ですからね。それに、己が朱天(しゅてん)と同じになったのだと否が応でも感じる瞬間です。……それが、たまらなく心地よいのです」  ふわりと微笑んだ口元には、気のせいでなければ小さな尖るものがのぞいていた。俺はこのときの敦皇(あつおう)様の言葉と表情を、決して忘れることはないだろうと思った。 ・ ・ ・  中腹とはいえ山だからか、夜になると風が一気に冷たくなる。「冬には雪がたんまり降りますよ」とは敦皇(あつおう)様の言葉で、冬の間は烏たちの雪かきを眺めるのが楽しいのだと笑っていた。  都よりも随分寒そうだと覚悟したが、寝ることになった部屋はとても暖かかった。しかし炭櫃(すびつ)火桶(ひおけ)は見当たらず、一体どういう具合なのだろうと不思議に思う。 「そういうことも、鬼のなせる技なのだろうなぁ」 「どうかしましたか?」  ごろりと寝転がったままつぶやけば、高灯台の灯りを消した金花が振り返った。 「いや、火がないのに暖かいものだと思ってな」 「鬼火か狐火のおかげでしょうね」 “おにび”に“きつねび”……、気にはなったが、そういう何かしらがあるのだろうと思うだけに留めておいた。それに俺もいずれは鬼に転ずるのだ、そのうちそういうこともわかってくるのだろう。 (鬼になれるのだとわかったからか、俺の知らない鬼のことで苛立ったりしなくなったな)  昨日までは、金花の鬼の面を考えるだけで胸がざわつき苛々とすることが多かった。知りたいのに知りたくないという相反する気持ちのせいだったのだろうが、いまは鬼に転ずる方法がはっきりわかり、驚くほど気持ちが凪いでいる。 (それに俺が知らない金花のことは、これから時間をかけて知ればいい)  たとえば今日見た美しい舞だけでなく、じつは笛や琵琶、和琴(わきん)も演奏できるのだと知り、知らなかった衝撃よりも楽しみに感じることのほうが強くなった。 「おまえは雅な鬼だったのだな」 「何を急に」 「俺なんか太刀を振るうばかりで、笛どころか書ですらままならない。おかげで兄上たちからは冷たい目で見られてきたものだが、いまさら習いたいとも思わないしなぁ」 「わたしでよければ教えますよ?」 「いや、いい。習うよりも、おまえが舞っているのを見るほうが絶対にいい」 「それは……ありがとうございます」  灯りが消えた暗い中でも、金花の頬がうっすら染まっただろうことは声から想像できた。 (それにしても見事な舞だった)  一人舞を見たのは初めてだったが、金花の舞はなんとも優美で御所で見た舞楽に勝ると劣らない姿だった。たまたま都に行ったときに御所や貴族の屋敷で行われていた雅楽や舞楽を見聞きし、なんとなく覚えたのだと金花は話していたが……。 (ああいうものは、見聞きしただけで覚えられるものなのか?)  雅なことに疎い俺にはさっぱりだったが、金花にはどうということもなかったのだろう。その証拠に動きは滑らかで美しく、あの鬼の王でさえ「ほほぅ」と声を漏らしたくらいだ。  舞に合わせる敦皇(あつおう)様の笛も素晴らしく、後壱帝(ごいちてい)が聴かれたならどれほど喜ばれたか……。そんなことを、ふと思ったりもした。  烏たちが用意したという萌黄色(もえぎいろ)(ほう)は山や庭の紅葉に美しく映え、改めて金花の美しさを実感した。これまで金花自身が用意する狩衣や直衣ばかりを見てきたが、こうなるとこっそり俺が用意したものを着せてみたい気もする。  たとえば、近ごろ見かけるようになった白拍子の衣装も似合うだろうし、公卿の堅苦しい装いも似合いそうだ。あぁ、水干姿にも惹かれるが、まさか童子のような着物を着せるわけには……、いや、それはそれで。 「カラギ、どうかしましたか?」 「……っ! あぁ、いや、大丈夫。なんでもない」  金花の声にハッと我に返った。まさかとんでもない妄想をしていたなどと言うこともできず、慌てて思い描いた姿を消す。  しかし、妙に熱を持った体はなかなか冷めてはくれない。だからといってあんな妄想で滾ったとは悟られたくなく、「少し夜風に当たってくる」と言って御帳の外へと出た。  真っ暗な廊下を少し進むと、金花が舞った庭が見えてきた。すでに舞台は消えていたが、夜目で見てもなんと大きく立派な庭だろうかと感心する。それもこれも鬼の王が敦皇(あつおう)様のために用意したのだとしたら、なんと情の深い鬼なのだろうか。 (だからこそ、敦皇(あつおう)様は鬼に転ずることを決めたのだろうな)  好いてしまえば相手が鬼かどうかなど関係なくなるのは、俺自身もよくわかる。そんなことを思いながら、さて部屋へ戻ろうかと踵を返したとき、どこからか泣くような声が聞こえた気がした。  鳥か何かとも思ったが、なんとなく気になって声のしたほうへと足を向ける。廊下を少し歩き、舞を見た部屋に降ろされた御簾に近づいたとき、一際細い声が響いた。  驚き、何事かと思わず御簾に手をかけた。わずかにめくった隙間から覗き込んだそこには――白い肌を晒し混じり合う二つの影があった。  ぬちゅ、ぬぽ、ぐちゅ。  濡れた音がするたびに高い声が響く。俺よりもずっと大きな体に背中を預けるようにしているのは、敦皇(あつおう)様で間違いない。太い足で組む胡座(あぐら)に腰かける敦皇(あつおう)様は、童子のように頼りなく見えた。  折れそうなほど細い腰は大きな手にがしりと掴まれ、掴んでいる逞しい腕に引っかけられた白い足は上下に動かされるたびにゆらゆらと揺れている。もしも部屋が明るければ、なんと淫らなことだと卒倒したかもしれない。いや、逆にわずかな灯りに照らされているからこそのいやらしさか。 「ほれ、もっと奥で咥えろ」 「ん……っ、もぅ、むり、です、ん……っ」 「体は小さいが、ここは随分と俺に馴染んで広がっただろう? ほぅら、一度抜いてやるから、もっと奥を開け」  ぬろろろろ、と現れたその逸物は驚くほどの大きさだった。わずかな灯りに照らされたそれは太く長く、恐れを抱くほど筋が張り巡らされエラはがっしりと広い。ぬぽ、と先端が抜けると、続けてとぷとぷと大量の子種が垂れこぼれるのが見えた。 「こんなにこぼしてどうする。もう俺の子種はいらぬか?」  体を持ち上げた敦皇(あつおう)様の耳に口を寄せている顔を見て、ひゅうと小さく息を呑んだ。額には立派な角が二本、にょきりと生えている。  それだけではない。昼間見たときにはたしかに黒かった髪は真っ赤に燃え、灯りに照らされているところなど本物の炎にすら見えるほど鮮やかだ。なにより一番驚いたのは、暗い中でぎらりと光る黄金の(まなこ)だった。黒々としていた両目は、いまや陽の輪かと思うほど強く光り輝いている。  あまりの姿に呆然と見つめていた俺を、すぃと黄金の目が見たような気がした。 「ほら、もっと子種を飲め」 「ひ――……!」  ばちゅんと大きな音を立て、恐ろしくなるほど大きな逸物が薄い腹の中に突き入れられた。あまりの衝撃からか、小振りな口からは悲鳴のような高い声が上がり、抱え込まれた白い体はブルブル震えているように見える。  そんな敦皇(あつおう)様の様子を気に留めることもなく、太い腕は腰を激しく上下に動かし、結合した部分からはぬちゅぬちゅと濡れた音が鳴り続けていた。 「ぁ、ぁ、もぅ、だめ……。ぃって、しまう……」 「おぉ、何度でも気をやるがいい。そのほうがおまえにも腹にもいい」 「ぁ……、ぁ、だめ、ほんと、に……、しゅて、ん、だめ……。きて、しまうから、きて、あぁ、くる、く……っ、る……!」  またもや細い泣き声を上げた敦皇(あつおう)様は、首を大きくのけ反らせて体をぶるりと震わせた。直後、ゆらゆらと揺れていた逸物からどびゅぅと勢いよく子種が吹き出した。 (あれは本当に子種か?)  まるで尿のような液体にも見えたそれは二人の頭上まで吹き上がり、その後もびゅっびゅと何度かにわけて吹き出し続けていた。  そうしてどのくらい経ったのか、両足を下ろされた敦皇(あつおう)様は、くたりとしながらも頬を撫でる大きな手に自らすり寄っていた。もう片方の大きな鬼の手は、まだ逸物が入っている白い腹を優しく撫でているように見える。 「次はおまえの食事だ」 「……ん、」  頬擦りをしていた手を握った敦皇(あつおう)様が小さく口を開け、ぱくりと指に噛みつくのがわかった。ハッとした俺の耳には、かすかにだが何かを啜るような音が聞こえる。  敦皇(あつおう)様が熱心に指を吸っている間、もう片方の鬼の王の手はずっと腹を撫でたままだった。その仕草が妙に気になり手に視線が向いたとき、「よい子を生まねばな」という言葉が聞こえた。 (うむ……?)  すぐには意味がわからなかった。一体どういうことだと混乱する俺の耳に、今度は敦皇(あつおう)様の「ならば、子のためにも、もっと子種を」という言葉が聞こえてきて、ますます混乱する。  鬼の王は腹を撫でながら「よい子を生まねばな」と言い、敦皇(あつおう)様は「子のために」と言った。それはすなわち――。 「鬼王の閨を覗き見るなど、カラギも随分と大胆ですね」 「……!」  急に耳元で声がして息が止まるかと思った。慌てて振り返れば、そこには単をまとっただけの金花がいる。 「戻りが遅いので見に来てみれば、あんなものを覗き見るなんて」 「いや! これは偶然で、覗き見ていたわけじゃなく、いや見ていたのはたしかだが、あぁだから、そういうことではなくてだな、」 「しぃっ」  金花の人差し指に口を押さえられ、ぐぅと唇を噛み締める。 「ふふっ、覗き見て逸物を滾らせるなんて、本当にかわいい方」 「……っ!」 「それとも、親王様に興奮でもしましたか? それならば口惜しい限りですけれど」 「ちが……っ! そんなこと、あるわけないだろう! 俺にはおまえだけだ! それに敦皇(あつおう)様は、いわば俺にとって先祖のような方で、」 「だから、しぃっ」  またもや口を指で塞がれてしまった。ただただ情けなく、金花を見つめることしかできない。  この部屋にたどり着いたのは本当に偶然で、うっかり覗き見たのだって偶然だ。もし中に敦皇(あつおう)様たちがいるとわかっていれば、絶対に御簾に手をかけたりはしなかった。  それに逸物が滾ったのだって男としては当然の結果で、あんな痴態を見て何の反応もしないほうがおかしいだろう。あぁだから、そういうことではなくて! 「ではこの逞しいものは、わたしが慰めてもよいですか?」 「……っ」  金花の濡れた黒目に見つめられ、さらに形を確かめるように撫でられてしまっては、俺にはどうすることもできなかった。むんずと細い手首を掴んだ俺は、ずんずんと歩きあてがわれた部屋へと戻った。

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