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第0話 プロローグ
――嫌いだ。
いや違う。関心がない、の間違いだ。嫌うっていうのは結局相手に興味があるってことでうんぬんどうこうだと、なんか昔誰かに言われたことがある。誰だっけ。真耶さんか? 多分それっぽい。
ああ違う違う。考えが思いきり逸れてしまった。
とりあえず俺は、そう俺は。
「一、」
関係者席になっているステージの上で今演奏中のバンドを眺めていると、呼ばれた声に慌てて振り返った。
使い古された椅子が妙な音を立てて軋んだけれど気にしない。
それよりも俺の事を呼んだ、楽屋へのドア口に立ったまま腕を組んでいるその人。
「……なんすか、理央さん」
自分を呼んだ相手を見上げてながら自分の顔がこわばっているのが分かる。
それでああやっぱり、と確信した。
そう、多分。俺はこの人が嫌いだ。間違えた。この人に、関心がないんだ。
「もう次の次で出番だから。早く来い」
俺の感情なんて知る由もない理央さんは、演奏しているバンドの声でかき消されない程度の小声でそう言う。
いちいち言われなくても分かってる、と言いたいのを堪えて俺ははぁい、と作った声で返事をしてやった。これが一応この人に出来る最大の譲歩かも。
名残惜しげに演奏しているバンドを横目に椅子から立ち上がると、理央さんが待つドアへ向かう。
(別に待たなくてもいいのに)
たかがそんだけなのに、いちいちこの人の行動一つも嫌えるって、俺も相当じゃねぇかな。何がそんなに嫌なのか、俺自身にも分らないけれど、理央さんがどこにいても何してても癪に障るんだ。
――俺と同じバンドで、俺と同じギタリストの理央さん。
年上で、このバンドのリーダーで、とにかく細かくて、小言が多くて、俺の大嫌いな人。
楽屋に入ると、まずベースの和馬はどこかな、と探した。愚痴を聞いてもらうためだ。
早くこの胸のうちにもやもやと溜まるものを吐き出す相手を捕まえておきたいのだけど、人が歩きまわっている辺りを見回しながら自分のギターを引っ張り出す。リハのときに一応チューニングはしたけど、念のためにもう一回見て置きたかったのだ。
そう思いギターの弦を見ていたら隣に人が座る気配がして和馬かな、と思って顔を上げれば。
(……げー)
理央さんだった。
わざわざ隣座んなよ、俺あんたの顔見たくないんですって。
(とか、言えたらいいんだけどさ)
そんなわざわざ空気悪くするようなことを俺は言えません。バンドメンバーである以上はわざわざ険悪な仲になりたくもないし。
(つか、めんどくさいもんね。わざわざ関わりたくないっていうか)
とりあえず無視したままチューニングを続けていく。チューナーの画面を見ていれば隣にこの男がいようが全然問題ないんだ。
「あ」
そう思って弦を爪弾いた瞬間、隣から聞こえる声。何だよ人がせっかく隣にいること忘れようとしてるのに、と横を向いたら、
「ほら、」
そう言って理央さんから差し出される。何か、と思い受け取ればそれは新品の弦だった。
「あったから、やるよ」
こないだもうないとか言ってたろうと、それだけを言うと理央さんは真耶さんに呼ばれて俺の近くから離れていった。
残ったのは俺と、貰った弦。
チューニングもなんのその。俺はまじまじと手に持った弦のパッケージを眺めてしまう。
「……信じらんねぇ」
「いっちゃーん、うちら出るのもうすぐだってー……って、どしたの」
メイクを終えたらしい和馬がさっきまで、理央さんが座っていた席へ腰掛けた。
呆然としている俺を見て不思議そうに尋ねてきたけれど、俺はそのまま和馬の相手をすることもなく弦を見つめていた
さっき理央さんから貰った弦は、ずっと俺が愛用している弦だ。
バンドはじめる前からずっと同じ物を使い続けてるくらいお気に入りのもの。
まあ、別にそれはいい。ただこの弦、最近作ってるメーカーがなくなったせいか何なのか、楽器屋行ってもほぼ見かけなくなりつつあったのだ。
だから見かける度に在庫分まで買い占めて細々と使ってたんだけど、それも無くなってしまったのがつい最近。
諦めて他の弦探さなきゃ、とか、確か和馬に愚痴っぽく言ったことはあるが、まさか理央さんにそんな話をした覚えもない。
(あの人聞いてて、それ覚えてたのか……?)
ただの偶然かもしれない。単純に、あの人も同じ弦使ってただけかもしれない。
けれど。
(ええええ……)
貰った弦をまじまじと見てみる。
理央さんという人は、いつも不機嫌そうにしていて、それでいつも誰かを怒っている人だ。
それは俺だったり和馬だったり色々なんだけれど。
説教臭くて、どうせ俺らのことなんか馬鹿にしてんだろうなとか、そんな風に思っていたから、俺だって。
(俺だって?)
俺だって、なんだろう。よく分からないまま、自分が何を考えようとしていたのか分からず首を捻る。
「理央さんって…」
「理央さんがどうかしたん?」
呟いた声は聞かれていたようで和馬に尋ねられたのを、なんでもない、と終わらせた。
顔を上げると視線の先には理央さんがいる。よく見ればその近くにいたらしいボーカルの真耶さんと何か話し合っているようだった。
そういや彼が真耶さんに怒っているのは一度も見たことがない。まあ、真耶さんは俺らみたいに馬鹿やったりしないしスタジオも遅刻しないからだろうけれど。
そういうのを抜いても理央さんの真耶さんに対する態度は、俺らみたいに雑なものじゃない。
ビーン、と六弦を弾いて、チューニングを合わせると席を立った。同じように和馬も立つ。
「和馬、出番そろそろだよな」
「あ、うん……いっちゃん、どした?」
「何が」
「すげー不機嫌そう」
眉間に凄い皺、と指でつつかれて、思わず額を押さえる。そんな俺に和馬はケラケラ笑いながらドラムの葵を呼ぶために離れていった。
一人になり、もう一度理央さんがいた方を眺めてみる。
理央さんは、相変わらず真面目そうな顔で摩耶さんと話していてこちらの方なんか一度も見もしない。
それでいい。それで、いいのだけれど。
不意に、ぎり、と歯を食いしばる音が鳴った、気がした。
――やっぱり、俺はあの人が嫌いだ。
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