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第1話 本編
「いっちゃん、機嫌悪いねぇ」
眉間にシワ寄ってるよ、と和馬から突っ込まれて我に返る。
今はライブ後の打ち上げ中。大きめの座敷を借りて今日のバンドメンバー他もろもろと集まって飲んでいる真っ最中だった。
居酒屋の生温く騒がしい空気の中で、俺の手には焼酎ロックが握られている。
この店の焼酎は旨い。珍しい品種が山程置いてあるから、来る度に手に入りにくい焼酎を片っ端から飲んでいるけれどなかなか全品種飲むまで至れていない。
一酒好きとしてはいつか達成したい所だ
「今日のライブ、どっかトチった?せっかくツアーの最終公演、無事終わったってのにー」
そう言いながら串盛り合わせに手を伸ばす和馬。目の前に座るこいつの手にはいつもと同じ梅酒緑茶割り。
こいつは相変わらず梅酒しか飲まない。特に緑茶割りがお好みのようで。
「和馬ーそれ、いつもの事じゃん。いっちゃんにはだいぶ今更な悩みというか」
同じようにタコわさに箸をつけつつ、葵が笑ってこっちを見る。
こっちはただのビール。『アサヒよりキリンラガーが最近好きだ! だって味が濃いもん!』とかさっき抜かしていた気がするけどここのビールはプレミアムモルツだ。それでいいのか、こいつは。
しかし、人が悩んでいるっていうのになんて奴らだ。グラスを傾けながら、ワタクシ、瀬戸一(セトハジメ)はそんな事を思う。
『いっちゃん』というのはこいつらが勝手に呼び始めたあだ名だ。『ハジメ』の漢字が『一』だからって安直にもほどがあると思うがそっちのほうが皆呼びやすいそうなので放っておいている。
とりあえず、今のは和馬より葵にムカついたので、葵目掛けて枝豆をさやから飛ばして当ててやる。食べ物は粗末にしちゃ悪いから当てた枝豆は後で葵に食わせよう。俺は拾わないけど。
「いでっ! ちょ、いっちゃんやめて! 目に当てんな!」
「……別に今日のライブの出来で悩んでる訳じゃねーよ。お前ら好き放題言いやがって」
俺だって悩みの一つや二つ、と続けるが、二人は顔を見合わせたと思うと堰を切ったように笑い転げた。
「な・や・み! いっちゃんが悩みって! あーゴメ……っひっひっひ……!」
「ないわーまじないわー……お前の悩みって、せいぜい『俺ここにある焼酎、いつ全部飲みきれるんだろう?』ぐらいじゃねーの!」
ゲラゲラと笑い続ける和馬と葵。あーこいつらにうっかり話した俺が馬鹿だった。人の話なんかまともに聞く奴等じゃなかった。
和馬の前にある串盛りのねぎまを手に取りながら、ぐったりと席に凭れ掛かって呟く。
「もーいい……お前らには今後絶対、相談なんかしねぇ……」
「えーせっかくの打ち上げでいっちゃんがそんな顔してるから悪いんじゃん。あ、葵。お前アレ狙い? 俺そこの細身でロング」
「そーそー! 何はともあれアンケートも一番だったらしいし、客も盛り上がったからいいじゃん。いや、俺あっちの子がいい。ボブの巨乳」
今の会話からしてやっぱりろくに聞いてもいないな、と苦々しく思って噛み切れない豚肉のスジを噛む。
まあそれもそのはずか、と後ろの席を見返りながら思う。
和馬も葵も意識は、後ろの席の女の子達の集まりに行きっぱなしだ。
それもそのはず。俺たちはバンドマンで今日の一大イベントであるライブも終わったところである。そして待望の打ち上げには俺たちのあとを追っかけてやってきた女の子たち。想像する通りの展開だなとエイヒレを齧りながら同じように席を見遣る。
女の子の机は二つ。四人掛けの席に三人と四人、計七人。
テーブル同士で盛り上がっている様子を見ると、多分別のグループなんだろう。
どちらも時々、ちらちらとこちらを伺っているあたりがなんとも可愛らしいことで。
(さーてさて……、)
かくいう俺も今ばかりはこの二人の事を文句は言えない。
地方の公演でも女の子のお持ち帰りはある。けど地方のホテルと、明日の事を考えなくてすむ地元ではやっぱり違う。
(だってチェックアウト時間考えなくてすむし、明日は家で朝寝ができるからねー)
さてどの子に目星をつけようかな、なんて俺も女の子達を眺めながら口を開く。
「……和馬」
「ん?」
「そのロング、だめ。俺も狙ってる」
「あ?んーだめだめ。あの子はきっと俺狙いだし。だって完全に俺の好みだし」
「知るか。あっちの金パにしとけ」
本当に、くだらない会話だ。
ライブ後の雰囲気なんて大抵の場合がこんなもん。今日の出来。客の盛り上がり。酒と、別れ際に女の子。
特に今日みたいな日の心地いい疲労感には後者の二つがとても合う。
テンションもいい感じにハイだからこんなバカらしい会話でも酒が進むし、女の子と過ごすのも楽しくなるんだ。
和馬と二人で葵に枝豆を当てながら笑っていると、ふと残りのメンバーのことを思い出した。
「あれ、真耶さんと理央さんは?」
「んー?あの二人なら、あっち」
葵に指を差された方を見ると、確かに少し離れた席に真耶さんと理央さんが座っている。
こちらの馬鹿騒ぎに対して二人は静かに酒を進めていた。時々近くに居るスタッフと何かしら喋って微笑する真耶さん。それに対してスタッフに何か聞かれて、真面目な顔で返答している理央さん。
相変わらず、落ち着いてらっしゃることで。
真耶さんはともかくつい理央さんの方には辛辣な気持ちになるのはいつものことだ。らしくもなく、今日あった出来事を考えてしまって最初の酒の味が思い出せない。
せっかくのレア酎だったのに非常に不快だ。勿体無いことをしてしまった。俺としたことが。
「……あの2人っていつも何話してんのかなー」
俺が見ているのに気づいたのか、葵がそんな事をぽろりと零す。手に持っているジョッキはすでにビールの泡が消えてしまっていた。もうこのビール、死んでるな。
確かに真耶さんと理央さんは普段からよく喋っている。
その内容まで考えたことがないけれど、真面目なお二人のことだ。きっと次の音源の事とかイベントツアーの事とかじゃないのかな、と思う。
(この二人で話す内容、ねぇ……)
そんなに興味を持ったことはないんだけど、思う事自体が気にしているのを自分自身に言い訳しているみたいでなんだか微妙だ。
「さぁーねぇ。少なくとも女の話ではないのは確かじゃねぇ?」
そんな事を考えていると和馬がどうでもよさそうに串で二人を差しながらボソリと呟いた。
砂肝串がよほどお気に召したのか、串盛りの砂肝だけが減っている。ねぎまなんて、さっき俺が食べてから全く減っていない。
「ああ、まあ確かに……特に理央さんとか、女の話想像できねぇ」
「だっよねぇー! あの人リアルでギターが恋人なんじゃねぇの? 俺理央さんがギターとセックスしてても、全っ然違和感ない」
葵がしみじみと言う隣で、何故かブスったれた声の和馬の下世話な言葉においおい、と苦笑。
そういえば、この三人の中で一番あの二人と付き合い長いのは和馬だ。
俺が入る前にもしかしたらそういう話をしたことがあるのかもしれない。
というのは、俺がこのバンドに入ったのはつい二ヶ月前のことだ。
このバンドにいた元ギターがやめるため、同じ地元で違うバンドに居た俺がちょうどいいから、と言う理由で引き抜かれた。
声をかけてきたのは和馬と葵だ。
もともとこの二人とは仲が良かったこともあって、前のバンドを辞めることもここのバンドに加入するには特に抵抗もなかった。
真耶さんと理央さんからの反対もなかったし。
そんな雑な理由で前のバンドに怒られなかったのか、と言われたら、結果的には怒られずに済んだ。
なぜなら俺のいたバンドは、このバンドの元ギターを加入させたから。
当時の俺のバンドのリーダーに辞めてこのバンドに加入したいと伝えた時、『別にいんじゃね?お前の代わりの当てもあるし。それより真耶さんに次のツアー合同でやろうって伝えといて』との軽い言葉で送り出された理由はそれがだったのか、と今にして思う。
横のつながりが強いこの地元ならではのメンバーロンタリングだ。
ファン層も被ってるから動員が減ることもなく、どちらかと言えばファン同士の交流が増えてイベントなんかがやりやすくなったな、と思う。
「和馬、俺入る前にそういう話とかしたことないの?」
「いやー?基本同じテーブルでも俺と葵、真耶さんと理央さんて感じで会話してたから、あの二人と女の話を深くは話したこと無いよ。今みたいな話題だって、怖くて話せねぇ」
ぜってぇ怒られる、とげっそりした声でいう和馬。
確かにあの二人とそんな話をする勇気なんか俺もない。俺が見ただけでも女の影を匂わせたこともない二人に、そんな話題を振れる程俺も空気を読めないわけじゃない。
一度、かつてのバンドリーダーに聞いてみればよかったかな、と一瞬思って、気づく。
(いや、何を聞く気だ俺は……)
大体『理央さんと真耶さんって彼女いるんすかねー』なんて聞いた所で『知るか。ていうかテメーで聞けや』と返されるのが落ちだ。
「まあ、理央さんの私生活とか想像できねぇよなー……どったのいっちゃん?」
黙りこくって、と葵が俺に言う。思っていたよりぼんやりしていたらしい。
慌てて顔を上げて、手元にあるグラスの氷が溶けているのに気づいた。
「あ、いや別に。それよか次飲みたいから頼むけど、他なんかいるか?」
ビール死んでるだろ早く飲めよ、と言ってやると葵は呆れた顔をしてこちらを見た。
まだ飲むのか、とでも思ってるんだろう。この野郎、大して飲んでないくせに。
よっし、今日は葵を潰すことが目標だな、とアルコールメニューを葵に押し付けてやる。
「おら、さっさと選べよ。今日はとことん付き合ってもらうかんな」
「ちょ、ちょっと! 分かったからいっちゃんやめて。じゃあ、俺またビールで」
「おっし、和馬は?」
「あ、俺も追加。砂肝単品で食いたい」
やっぱりか。
こいつは、とまだたんまりと残っている皿を横目に呆れながら言ってやる。
「あいよ。和馬はその串盛りの残り食ってからにしろよ、ねぎまだけなら食ってやるけど」
それだけ言ってやると備え付けのベルスターを押して、俺は俺で次に飲む焼酎の銘柄を考えた。
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