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第6話

「ようやく起きたか、この馬鹿」  現在の時間は、午後二時過ぎ。フローリングで寝ていたハルカが起きたのを確認してから、そんな声をかけた自分は大概人が良いにも程がある。  あの後は本当に悲惨だった。  達した後、そのまま死んだように気を失ったハルカは、呼びかけても顔を叩いても目を覚まさず、結果連れが酩酊して泣く泣く担いで帰る男、という振りをしてクラブを後にした。隣に居た同僚達はそのまま二回戦に入っていたようで、出る時に鉢合わなくて本当によかったと思う。  外に出たら出たらで、何とか捕まえたタクシーの運転手には何事だと怪しまれた。が、即興で作った適当な事情を説明すると反面大変だったねぇと、それはそれでうざったい反応をされて、投げやりに相槌を返しながら帰路に着いた。  本当に、最悪だった。帰宅後は結局、疲れに疲れてシャワーを浴びることもままならず、せめてものあてつけとしてハルカをそのまま床に放り捨てててやった。布団替わりのバスタオルも投げてやったのはせめての良心だ。 「……ここ、どこ……」 「俺んち。お前のせいで今日の予定めちゃくちゃだ……」  現状を知って礼を言うことも恐縮することもなくぼんやりと頭を掻くハルカを眺めながら、インスタントのコーヒーを飲む。  結局買いに行くはずのコーヒー豆は、適当なものをネットで注文し、スーツは行きつけでないクリーニング店に電話して取りに来てもらった。  結局やりたかったことの大半は妥協することで完了した。せめてベースの調子くらいは、とアンプを引っ張りだしたあたりが、今だ。  昨日の情事もなんのその。ハルカはまだし椎名自身も少しくらいは意識するかと思ったが、それ以上に意識が戻ったハルカの顔を見ると、自分の予定が狂ったことへの文句が優先されたようだ。  お陰で昨夜の行為の気まずさの欠片も感じなくて済むことに、少しだけほっとしている。 「それはどーも……スイマセンデシタ……」  ハルカはそう言って首を振った。コキン、と骨の音が部屋に響く。 「あの時トイレなんか行くんじゃなかったよ」  だらだらと昨日の不満を垂れ流しながら余分に出ているシールドを巻きとる。久しぶりのせいか、適度な長さがつかめなかったようだ。  一応、ハルカの手前そう愚痴ってはいるけれど、実際、そこまで腹は立っていない。まあ、きっと昨夜の行為の後ろめたさと、ハルカの目が覚めてから思いの外意識しなかった事にほっとしているせいもあるのだろうが。 「んで、お前これからどうすんの。シャワー使いたいなら貸すけど」  とりあえず、下半身があのままな状態で帰らせるほど自分は鬼ではない。適当な着替えも風呂場に用意しておいた。 「あー……うん。貸して欲しい……」 「そうかい。じゃあとっとと入って来い。タオルはそれ使っちまえ」  おら、と風呂場を指差して促すと、よろよろとハルカは立ち上がり部屋を出て行った。  シャワーの流れる音が聞こえ始めて改めて小さく溜息を吐く。  こう話してると、昨日のことが夢みたいだ。寝惚けてはいたが、ハルカからは昨日感じた色気や艶っぽさなどまったく感じられない。  まるで、何もなかったかのようだ。  よく分からない男だ。そう思いつつ頭を軽く掻きながら、妥協の塊のようなまずいコーヒーをすすった。   「ドライヤーは洗面台のとこにあっから。後、必要あれば探れば出てくるから、適当に使え」  風呂のドアの開いた音が聞こえ、風呂場に向かって声をかける。  目線はベースと床に直接置いてあるペンと紙のままだ。落書きのように殴り書きしているそれは、楽譜の書き方が分からない自分の、昔からの癖だ。  結局これだけが予定通りだ。曲なんて、本当に久しぶりに作った。公開する場所なんてものはもうないが、自己満足するだけなら音楽用のSNSなんかに投稿すればいい。  適当な歌詞にもならない言葉でメロディーを口ずさみながら、ベースを弄る。  作る曲は、なるべくベースがリズムだけじゃないもの。一見分かりにくいだろうがドラムだって音階があるように、ベースなんて弦があるのだからもっと分かりやすいのに、あの当時はそういう曲が少なかった。それが癪でやたらとメロディアスな曲ばかり作っていた気がする。その傾向はベースだけに限らず、ギターにも、ドラムにも出ていた。  全ては、歌を引き立たせるために。  あいつの声に負けないように、って考えてたのが、いつの間にか癖になっていたな、と弾きながら、ふと思いついて指を動かす。  何年かぶりに弾く、昔のバンドの曲。ただし、ベースラインではなく、ギターラインの方を。 「それ、知ってる」  声をかけられて顔を上げるといつの間にか出てきていたハルカだった。上がったのか、と指を止める。 「その曲作ったの、シイ君だった?」 「ん? ああ、そうだけど」  当時のバンドの曲は自分か、ギターの奴が作ったものだけだ。そして今弾いていたのは、自分が作ったものの方。若いなりに試行錯誤してどうにか作ったのを覚えている。 「ギターラインも?」 「そう。まあ、弾いてる内にギターがだいぶアレンジ入れてってったみたいけど、元のメロディーラインは俺だよ」 「……そっか」  少しだけ間をおいてそう言うと、ギター貸して、とハルカは言葉を続けた。 「別にいいけど、何、弾くの?」  まだ帰んねぇのか、と暗に含めたつもりだったがこの男のことだ。言葉の裏をわざわざ読む訳はない。 「一応まだ現役だから、見てると弾きたくなるんだよね。どれ借りてもいいの?」 「……右奥の赤のテレキャス以外なら」  思った通りの返答をしてくれたハルカに、やれやれと機材置場を指指す。  今更楽器や機材なんてほとんど使わないが、捨てるに捨てられないものがいくらかは残っていて部屋の片隅に置いてある。  ベースはもちろん、ギターもそうだ。ただし、今言った右奥にあるテレキャスターギターは少し、意味合いが違っていた。  ハルカは、そのテレキャスターを少し眺めてからその隣の黒のストラトキャスターのギターを手にとって目の前に座った。 「さっきの曲さ、」 「うん?」 「俺、あんたらのバンドで一番好きだった曲だよ、それ」  そう言ってハルカは先程弾いていた曲を弾き始める。その光景を少し眺めてから、ベースを合わせて弾き始めた。  結局そのまま、一曲まるまる弾き終えた後。 「……あのさ、」 「何」 「昔からだったけど……、お前本当ギター、下手な」  数年経っているからもう少し上達してると思った、と呆れながら言ってやるとハルカは肩をすくめながら話し出す。 「ていうか多分本職の俺よりシイ君のが上手いんじゃねぇ? 俺、本当に弾く才能はねぇんだよ、いっつも思うけど」 「じゃあ他の才能はあるってか」  笑いながらハルカの言葉に揚げ足をとる。怒るかと思ったが、きょろきょろと辺りを見回しはじめた。そして先程まで書いていた楽譜もどきが目に付いたのか、ああ、と声を上げる。 「んーと……今作ってた曲、ちょっと聞かせて」 「いいけどこれ、さっき作ったばっか……」 「問題ねぇよ、早く」  そう言われて何を、と思ったがとりあえず一通り弾いて聞かせてやる。  すると、少しハルカは考えるような素振りをしてから、もう一度ピックを持って弾き始めた。 「さっきのここ、少しメロディーがえぐい。こうした方が他の楽器と合わせた時、綺麗に重なってよくねぇ?  後は俺の好みだけど、特にギターがこの方が目立つからこうした方が好きだな」  そういって弾き出した音は相変わらず稚拙だが、メロディーは今さっき作った自分のものより格段に良い。  少し驚いて、ハルカを見ていると、居心地が悪そうな顔でこちらを見返してきた。 「あ、ごめん。作ってる最中なのにいろいろ言っちゃって」 「いや、それはいいけど……お前んとこのバンドって、まだ活動してたっけ?」 「いや、とっくにあのバンドは解散してる。俺、今はソロ。企画物とかは乗っかるけど、しばらく組む気はないなぁ……それがどうかした?」  その言葉に、そういやハルカのバンドは、ギターが目立つ曲が多かったな、と思い出した。目立つ、という言葉は少し語弊があるかもしれない。正しくは、『ギターラインが頭に残りやすい』の方か、と思い直す。  バンドにいるより、ソロで活動している今の方がハルカにはあっているのかもしれない。 「いや……お前ってなんか、勿体無い奴だなと思って」  それだけの曲が作れるなら、なおさらギターが上手い方がやりやすいだろうに。そう思って言うと、ハルカは適当なメロディーを弾きながら、のんびりとこう言った。 「別に。俺、ギターテクに固執してねぇもん。今は俺より上手い若い子とかいっぱいいるし、実際何年弾いたって上手くならねぇし。でもメロディー作るのは別じゃん。まあ、上手い方が弾けるメロディーのバリエーションも多いんだろうけど……洋楽だって楽器下手でもバンドとして、格好いい奴いるし曲もいいの多いし。もともと俺は、そういうのになりたかったんだよ。別に神がかり的な超絶技巧のギタリストとかになりたいわけじゃないから、このジャンル選んだんだけど」  ポツリポツリと話をするハルカを見ながら、確かにそうだな、と相槌を打つ。  現役当時から思っていたが、ヴィジュアル系というジャンルは通常のジャンルよりも技術のボーダーは低いと思う。  その分だけ、外見やコンセプト、曲が良くなければファンはつかないけれども。  音楽ジャンルのせいもあると思うが、バンドを、ひとつの作品としてみている客が多い。ヴィジュアル系、という以上、世界観や見た目の完成度が重視されるとジャンルというのは、ハルカにとってみれば願ったりかなったりだというわけだ。  確かに当時、自分もそんなことを思ってバンドをやっていた。ステージに立つ度、今立っているここは別世界で、自分達は彼女達に夢を見せる存在なんだと、何度思ったことだろう。  ……最後のライブだけは、それが出来なかったけれど。  もう昔の話だ。けれど、今でも後悔してやまない。  雑念だらけでライブしたのは、あれが最初で最後だった。 「シイ君は、そもそも何でバンドやめたのさ? 君らのバンド、あの時絶頂期だったと思ったけど」  そう聞かれて、ぎくりとする。本当にこの男は絶妙のタイミングで聞きやがる、と思う。一瞬見透かされたのかと思った。内心の焦りを誤魔化すように、持っていたベースをスタンドにかける。 「俺が、他にやりたいことが出来たからだよ。当時もそう発表してたと思うけどな」  そう言って空になったコーヒーのカップを持って、逃げるように立ち上がった。  こいつは駄目だ。傍にいると、自分でも自身に閉じ込めていたものが、余計だと思っていたものが、どんどんハルカによって零れ出してしまう。 「ふうん……で、今の仕事がそれ?」  じゃん、とギターを掻き鳴らしながら続けて問われて、ついカッとなった。 「ああ、そうだよ……ていうかもうお前、とっとと帰れよ! 用はもう済んだだろ!」  ――必要以上に声を荒らげた、と分かったのは、その後のハルカの表情を見てからだった。  まずい、と思う。片方の唇だけ上げた笑いを浮かべたハルカが、そこにはいた。 「ああ、そうそう。ちょっとシイ君にお願いがあったんだよね」  首を振りながらハルカはそんな事を言って、持っていたギターを床に置いた。  違う。先程までのハルカとは、少し様子が違う。  ……そうだ、昨日の夜と同じ、顔だ。  見上げてくるハルカの顔は、昨日の夜見たそれと同じような表情だった。  挑発的な、相変わらず人を馬鹿にしたような、そんな顔。  そんなハルカの表情を見て椎名は生唾を飲む。そしてようやく、気づいた。  間違いない。もう自分でも否定は出来なかった。  こいつにこの顔に欲情してるのか。俺は。  そう自覚するも動くことも出来ずに固まったまま、妙な汗が背中に伝うのを感じながら、ハルカから目を背けられない。  ――逃げれない、そう思った。 「あのねぇ……」  ハルカは膝を立てて椎名の足元に近づくと、ゆっくりと首を傾げた。  昨日のように二度瞬く瞼。ゆっくりと弧を描く唇。 「――シイ君、しばらく俺のセックス相手になってくれない?」  そう言ってハルカは、そっと椎名の足の甲に唇で触れた。

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