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第3話

 罪悪感に苛まれ続けているものの、槇から漂う艶かしい色香は濃度を増す一方で、それがより僕を悩ませた。そして、槇に悩ましい想いを抱えているアルファは僕ではなかったらしい。槇は学年問わず学園中のアルファにモテてモテてモテまくっていたが、いつもひどく煩わしげだった。  アルファは基本的にプライドが高い。優しい顔をして群がってくるアルファたちを、槇はことごとく袖にした。プライドを打ち砕かれたアルファたちの視線が刺々しくなるのを感じ取った僕は、槇を守らねばと危機感を抱くようになった。  だが、近くをうろつく僕を見て、槇はさも鬱陶しげに「用もないのにうろうろするな」「なんなんだよお前、キモいんだよ」と睨んでくる。それでも僕はめげずに「槇はあいつらを敵に回しすぎだ。危険なやつらからは僕が守る」と申し出た。  すると槇は顔を真っ赤にして「そ、そんなことしなくてもいい! 生意気なんだよ樹基のくせに!」と烈火の如く怒るのだ。  なので、僕はさりげなく槇のそばをうろつくことしかできなかった。ストーカーよろしく付かず離れずの距離をうろついては、槇にねばついた視線を送るアルファたちに釘を刺して回っていた。  学内での僕の立ち位置など大したものではなかったけれど、中学時代の僕は身長だけは学年で一番高く、長い前髪と黒縁眼鏡のコンボが絶妙に不気味だと評されていた。しかも僕のバックには巨大製薬会社がついていることもあり、「毒を盛られそう」「関わるとなんかヤバそう」ということで、アルファたちが僕の前で槇に手を出すことは一度もなかった。  しかし、やはり槇はヒートのせいで苦しんでいるようだった。  抑制剤を服用できないとなると、ヒート時は自室に引きこもらねばならなくなる。オメガフェロモンを放ちながら登校してしまえば、クラスメイトのアルファたちを誘惑してしまうことは必至。誰よりも勉学やスポーツに励んできた槇にとって、これはとてつもない屈辱だっただろう。  そして結局、槇はフォートワース学園の高等部には進学せず、違う高校へ移った。「プライドの高いアルファだらけの環境に嫌気が差した」と言ってはいたが、親伝いに聞いたところによると、はやり学力がついていかなくなったということだった。  別々の高校に通うようになると、途端に槇の顔を見なくなってしまった。家は近いのだから会おうと思えばいつでも会える。だが僕には時間がなかった。どうしてもやらねばならないことがあったからだ。  だが、意図せず槇と会える日がやってきた。  高等部に進学して、初めての夏の頃ことだ。郊外にあるオーベルジュを貸りきって、槇の祖父の誕生日を盛大に祝うパーティが催されたのである。  華やかな祝いの席にも関わらず、槇はひどく物憂げな顔をしていた。そして、祖父への祝いもそこそこに、ふらりと庭園のほうへと出ていってしまう。  僕は槇を追いかけて外に出た。すると槇は、オーベルジュのシンボルとなっている豪奢な噴水の縁に座り込み、暗い顔をしていた。  僕は無言のまま槇に近づき、音も立てずにそっと隣に座る。なにか慰めになることが言えたらよかったのだろうけれど何も言えず、槇が身につけていた光沢のあるネイビーの細身のスーツに飛沫が付着してゆくのを、ただぼんやり見つめることしかできなかった。 「……よかったな、樹基はアルファで」  そのとき、ぽつりと槇が呟いた。久方ぶりに聞いた声は、記憶にある彼の声よりも微かに低い。  そのぶん余計に色香が増しているように思えてドキドキしたし、その声で名前を呼んでもらたことが嬉しくて、頬がかっと熱くなる。高鳴る胸はやたらとうるさく落ち着かないものの、僕はようやく、槇の顔を見つめることができた。 「……その後、体調はどうなんだ?」 「どうもこうもあるか。クソだ、こんな身体」 「クソ……」 「結局、俺の体質に合う抑制剤は見つからないままだ。……毎日フェロモン値をモニタリングして、ヒートが来そうになったら学校を休んでる」 「そうか……」  何事もなく勉強に集中できていれば、槇は今もフォートワース学園にいて、間違いなく学年トップの成績を収めていただろう。……それがわかるだけに、僕はとても悔しかった。だが槇の無念さは、きっと僕の比ではないのだろうとわかるから、余計なことは言えなかった。 「こんなんじゃ、ますます周りから遅れを取る。……それに、『あいつヒートで休んでるんだ』って思われるのが何よりもいやだ。復帰したあとに向けられるクラスの奴らの目つき……ものすごく気持ち悪い」 「……そうなのか?」 「どうせあいつら、性欲を持て余す俺の姿でも想像しながらオナってるんだ。……ヘドが出る」 「……」  そのヘドが出そうなほどに気持ち悪いクラスメイトたちと僕は同類だ。僕は無言で、膝の上に置いた拳に力を込める。 「こんなんじゃ、医者になんてなれない。……俺みたいなできそこないのオメガ、どこへいってもうまくいきっこない」 「で、できそこない!? なんてこと言うんだ、そんなことあるわけないだろ……!」 「樹基に何がわかる。……何も知らないくせに!」  勢いよく立ち上がった槇が、僕を真上から見下ろした。  流麗な形をした双眸には深い悲しみと怒りが溢れていて、ぎらぎらと強い光を湛えている。吐き出すこともできないやりきれなさや悔しさを、ずっと心の奥深くに溜め込んでいたのだろう。肩を上下させ、激情を滲ませる槇の表情はあまりにも悲壮だ。  だが、こんな時だけれど、槇はとても綺麗だった。 「槇……」 「こんな面倒な体質で、オメガフェロモンの管理もできない。なんで抑制剤を飲まないんだ、そんなに早く孕みたいのか? 俺でよければエッチしてやろっか? とかって……いろんなやつにセクハラされて、バカにされて。毎日毎日イライラして、どうにかなりそうだ」 「なっ……」  まさか槇がそんな扱いを受けているとは夢にも思わず、僕は怒りのあまり我を忘れそうになった。  だが、ここで自分が取り乱しても槇は救われない。槇のために何をすべきかということくらい、ずっとずっと前からわかっている。そのために、僕は日々努力を重ねているのだ。  僕はすう……と呼吸で怒りを抑えて立ち上がり、槇の肩にそっと手を置いた。だが、槇はびくっと身体を震わせその手を払いのけると、怯えの滲む瞳で僕を見上げる。……その反応に傷つきはしたけれど、槇のこれまでの苦しみに比べたらなんのことはない。  僕は微笑み、弾かれた手をそっと体側に戻した。 「槇、もう少しだけ待っててくれ」 「え? 待つって、何を……」 「槇の問題は僕がなんとかする。だから、できそこないだなんて悲しいことを言わないでくれ。槇はとても優秀で、すごく綺麗だ」 「へ……っ」  眼差しに力を込めてそう伝えると、槇の眉間から力が抜け、するすると表情のこわばりが解けてゆく。こんなにも無防備な顔を見るのはいつぶりだろう。  なんだか懐かしくて、僕は思わず口元に笑みを浮かべていた。すると槇は、白い頬をぶわりと薔薇色に染め……ぷいっと目を逸らした。  こうして向かい合って並んでみて初めて気づく。槇はこんなにも小柄で、華奢だっただろうか? 昔は体格に差はなかったし、腕相撲などの力比べでも、槇に勝ったことは一度もなかったというのに。  十六歳の槇はあまりにも儚い。抱きしめて、永遠に腕の中に閉じ込めていたいと思ってしまうほどに、槇が可愛くてたまらなかった。  このまま見つめあっていると、何かとんでもない間違いを犯してしまいそうな気がして、僕はくるりと踵を返した。

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