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第1話 傷心男とウリ専ボーイ(3)

 混乱する頭をどうにか整理しようとするも上手くいかない。そんな隆之をよそに、後始末を終えた青年はいそいそと身支度をしだした。 「俺、これから仕事行くけど、隆之さんはゆっくりしていきなよ。チェックアウトは十時ね、鍵返すだけでオッケーだから」 「待てって! これだけやっといて何の説明もなしに――」  なんとか上体を起こしてはみるが、やはり随分と酔っているらしくままならない。青年は苦笑を浮かべた。 「無理せずに寝てなって、水もここに置いとくからさ。あとのことは……まあ、気晴らし的な? たまには羽目外すのもいーんじゃない?」 「いや、見ず知らずの相手に羽目外しすぎだろ!?」 「――及川隆之。二月生まれの二十七歳」 「なっ」  そういえば、先ほどから名を呼ばれていた気がする。青年はクスクスと笑った。 「見ず知らずじゃないよお、自己紹介したのに忘れちゃった? ここは俺も改めて名乗るべきかな――あ、つーか名刺渡してなかったじゃんね」  ジャケットのポケットから名刺入れを取り出すと、ニコニコと一枚差し出してくる。 「はいどーぞっ、よかったらお店に遊びに来てよ」  名刺を受け取り、隆之はまじまじと見つめた。そして、記載された文字に目を剥く。  ウリ専・風俗店『Oasis(オアシス)』――ナツ。 「思いっきり、夜の店じゃないか……」 「うーん、そこは『夢を売るお仕事』って言ってほしいかも」 「まさかとは思うが、財布から金抜いてないだろうな?」 「ひどいなあ……傷心状態の人に対して、ンなことするワケねーじゃん。今日のは完全に個人的なサービスだから安心してよ? 俺、ヤミケンとかしねーし」 「いや意味がわからない。大体、君は――」  そこで言葉が途切れた。  唇に触れる柔らかな感触。キスされたのだと理解するのに数秒を要した。 「俺、隆之さんのこと気に入っちゃった。次はシラフのときにエッチしよ?」  そのうちにゆっくりと唇が離れ、今度は甘ったるく囁かれてしまう。  ナツという名の青年は、こちらが呆然としているうちに立ち上がり、「バイバイ」と手を振って颯爽と部屋を出ていく。  一人残された隆之は、閉まったドアをただただ眺めていることしかできなかった。     ◇  翌日、隆之はひどい二日酔いに悩まされながら出社した。日頃から接待で酒を飲む機会は多いものの、ここまで酷いのは久々である。  なんとか外回り営業を終えて帰社したときには、夕方の五時を過ぎていた。休憩室にある自動販売機でコーヒーを淹れていると、後輩の女性社員・安藤がやってくる。 「及川さん、お疲れさまです。今戻ってきたところですか?」 「ああ。安藤さんは?」 「私も同じですよ。訪問件数が多くって」 「……お互い大変だな。あ、コーヒーでいい?」 「あっはい、ありがとうございます」  もう一度自動販売機のボタンを押し、出てきた紙コップを差し出す。「いただきます」と言いながら受け取った安藤は、そのまま隣に立って話しだした。 「そういえばなんですけど、あの件ってどうなりました?」 「え、どの案件?」 「そうじゃなくって! ……婚約指輪の件ですよ」  周囲に誰かいるわけでもないが、こそっと耳打ちされる。婚約指輪を選ぶ際、それとなく数人の女性社員に相談していたのだ。  訊けば「箱パカからのシルバーが王道でしょ!」だの、「シルバーよりゴールドがいい!」だの、「サプライズはいらないから選ばせて!」だの――様々な意見が飛び交ったわけだが、今となっては思い出したくもなかったりする。隆之はため息をついた。 「あーそのことなんだけどね。相談した手前、ものすごくアレなんだけど」 「……まさか」 「別れたんだ」  途端、安藤の顔が青ざめる。 「ごめんなさい、私ったら」 「いや、いいんだ。こちらこそ不甲斐ない話ですまない」 「そんなとんでもないです! ……そ、そうだ、今度みんなでご飯でも食べに行きません? これでも舌は鍛えてるつもりなんで、美味しいお店知ってるんですよ~っ」  気をつかってくれているのか、努めて明るく振る舞う彼女に申し訳なくなる。隆之は苦笑を浮かべて曖昧な返事をするのだった。

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