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9 これからは友達で

 翌日、仕事終わりにいつものようにバーに向かおうとしてから、思い直して反対の地下鉄に乗った。スーパーに寄り道をしてまっすぐ家に帰宅する。  同僚と飲みに行くか、バーに行くか、セフレに会うか。いつもその三択なのに、なんとなく家に帰ろうかという気分になって帰宅した。  昨日、初めて天音と過ごした高揚感がまだ続いているからだろうか。なぜかすごく気分が穏やかだ。  シャワーを浴びて、買ってきたつまみでビールを飲みながらテレビを観る。  そして、気がつけばぼんやりと天音を思い出している自分に気がついた。  思い出すだけで胸があたたかい。……なんだこれ。  ほんとすげぇな天音。  こんなに穏やかな気持ちで家でくつろぐなんて、一人になってからは初めてかもしれない。  俺はふと思い立ち、腰を上げた。和室に入ってゆっくりと仏壇の前に座る。  話がしたくて線香を上げるのは初めてだな、と頬がゆるんだ。 「父さん母さん。俺さ。昔みたいに自然に笑えたんだよ……すごくね? すげぇ可愛い奴に会ってさ。無表情で可愛げなく見えんだけど、すげぇ可愛いんだよ。天音っていうんだ。その子のおかげなんだ。父さんたちにも会わせたいな……」  そんなことをポロッと口にして、なんで会わせたいんだ? と自分で首をかしげた。 「天音もさ、つらい過去があって笑顔が死んでんだ。だからほっとけなくてさ。俺が本当の天音を取り戻してやりたいんだ。俺がそうしてもらったみたいにさ」  一瞬だけ見せた天音の笑顔を思い出して、またふわっと胸があたたかくなる。  それと同時に、吹雪の子を思い出した。  もしあの子の記憶がなかったら、俺は天音を誘ったかな。誘わなかったかもしれない。あのとき俺は、吹雪の子はだめだったけど天音なら、と思った。だから、あの子のおかげで今があるんだ。  天音に出会わせてくれてありがとな……と、俺は吹雪の子に感謝した。                ◇       金曜日はヒデと約束が入ってた。  どうも気分が乗らなかったが、約束は約束だからいつものように会った。  でも、やっぱりどうにも気分が乗らない。……いや、もしかして今まではこうだったのか……?  天音があまりにも可愛すぎたからかもしれないな。 「冬磨」 「ん?」 「今日はまた、いつも以上に気が乗らないって顔だな?」 「いつも……以上?」  ホテルの部屋に入ると、ヒデが俺の顔をじっと覗き込みそう口にした。  いつも以上って……いつも俺って気が乗らない顔だった? 「お前ってさ。別にやりたいわけじゃなくて、死にたい衝動を紛らわすためにやってただけだろ。今はその名残りで、ただ落ち着きたくてやってるってとこじゃね?」  ヒデの言う通りだった。今は、やれば落ち着く、人肌がただただ恋しい、そんな感じだ。 「やりたいってわけじゃないからさ、いつも気が乗らないっつうか、冷めてるっつうかそんな顔なんだよ。でも、今日はいつも以上」 「……いつもそんなひどい顔だったか? 俺……」 「最近は笑顔だったけどな。俺にはバレてるよ。お前の笑顔は作った笑顔だろ」 「そ……っか。さすが、ヒデだな」  いつもならすぐにシャワーに入るヒデが、ソファにドカッと座り込む。 「冬磨」 「うん?」 「お前、もういいわ」 「……え?」 「今日で終わり。お前、切る」 「……は……」  一瞬何を言われたのか理解できなくてポカンとなる。 「お前もう大丈夫だろ?」 「え……っと?」 「もう、死にたくなんねぇよな?」 「あ、ああ」  そんなことはもうすっかり頭になかった。 「うん、もう大丈夫だよ」  俺の返事を聞いて、ヒデはニッと笑って手を差し出してきた。 「んじゃ、セフレやめて、今からは友達で」 「え、友達?」 「そ。今から友達。バーで会ったら飲み友達。な?」 「それ、いいな。ヒデとなら喜んで」  ヒデのそばに近付き、俺たちは握手をした。 「よし。んで?」 「……ん?」 「どうなんだよ、ビビビは」 「ビビビ……」  天音のことを言ってるんだと、ワンテンポ遅れて気づく。 「だからビビビじゃねぇって」  ヒデはじっと俺を見て、またニッと笑った。 「お前、いい顔で笑えんじゃん。よかった」 「え……今笑ってたか?」 「すげぇいい笑顔だったけど?」 「……まじか」  ヒデの隣に腰をかけ、天井を仰いだ。 「無自覚だったわ」 「ビビビのおかげなんだろ?」 「ビビビじゃなくて、天音な」 「いいよ、俺はビビビで。話すこともないだろうしな」 「ふはっ。ビビビもかわい……」  天音がビビビ……まじで可愛い。笑いがこらえられなくて口元がゆるむ。 「ビビビとバーで話してるときのお前、別人だったよ。あんな穏やかな冬磨、本当に初めて見た。ビビビと一緒にいればお前もっと変われんじゃねぇ?」 「……まぁ、セフレにはなったから一緒にはいるけどさ」 「もうビビビだけにすればいいじゃん」 「いや、そんなことは考えてなかったわ」 「なんで?」 「なんでって……」 「実は今日さ、キャンセルされるかなって思ってたんだよね。されなかったから逆にびっくりしたわ」  キャンセルされると思ってたと言われ驚いた。  気が乗らないと思ってたことも見抜かれたし、ちょっと気まずくなって頭をかく。 「今日はなんかちょっと気分が乗らなかっただけだよ」 「ビビビ以外はみんな気分が乗らないんじゃね?」 「いや、そんなことねぇって」  ただ今週はもう天音を抱いたから、充分だっただけだ。 「天音さ。ちょっと俺に似てるんだよ。誰も好きにならないって言い切る奴でさ」 「そうなんだ」 「あいつ、俺なんかに興味もねぇの。それがまた新鮮でいいんだけどな?」 「……ふうん。まぁ、冬磨がなんか楽しそうだからいいんじゃねぇの?」  まぁこれからは友達としてよろしく、とあらためて握手をした。 「無駄にホテル代かかっちゃったな。お前のせいだから今日はお前持ちな」 「あー。だな。俺が払うよ」  当たり前、というヒデに苦笑しながら、俺たちはホテルをあとにした。  

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