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第6話
アルファ同士だったこともあって、楽しいときには一緒になって屈託なくはしゃぎ、哀しいときにはすがりつき、寒い夜は体を寄せ合って眠っていたのだ。
さすがに多感な年頃になってからは、そうした接触はあまりなくなったが、あれはあれで温かい思い出ではあった。
時の移ろいにかすかな寂しさを感じつつも、クラウスは言った。
「晩餐の宴にはちゃんと来いよ? 遠征の慰労を兼ねた正式なものだ。話はまたそこでしよう」
「承知いたしました、殿下」
アンドレアがうやうやしく頭を下げる。
職人たちの仕事の邪魔をしないよう、クラウスは静かに工房を出ていった。
夕刻、王宮の大広間で晩餐会が開かれた。
「――――と、そこに再びヴァシリオス卿が切り込んで、浮き足だった山賊どもを平野へと追い立てることに成功したのです」
「あれほど見事な急襲は初めて見ましたぞ!」
「さすがは我らが百人隊長です!」
遠征に出ていた騎士団の幹部たちは、旅の疲れを見せることなく皆正装して出席し、山賊討伐の様子を事細かに語ってくれている。
話を聞いた貴族や重臣たちに絶賛されても、アンドレアは慎ましく謙虚な姿勢を崩さないし、内容も報告や本人から聞いた話とほとんど同じなのだが、何度も聞いているとこちらまで気持ちが沸き立ってくる。
「では、今回の作戦の功労者……、もっとも手柄を立てたのは、アンドレアということでいいのかな、騎士団長?」
クラウスが訊ねると、騎士団長がうなずいて答えた。
「その点については、誰も異存はありますまい」
「そうか。では褒美を取らせねばな。どうだ、何か欲しいものはあるか、アンドレア?」
「……そのような。私はクラウス殿下のご提案のとおりに行動したまでですので……」
アンドレアが固辞するが、騎士団長が横合いから言う。
「奥ゆかしいのはけっこうだが、ここは素直にお受けすべきところではないかと思うぞ、ヴァシリオス卿。ときに、クラウス殿下は、ヴァシリオス卿ならば崖を駆け下りられると、最初からそうお考えだったのですか?」
「まあ、そうだな。アンドレアの愛馬は強い。加えてシレアの民であるアンドレアならば、騎士として馬の力を最大限に引き出し、人馬一体化することもできようと、それくらいは考えたかな」
「さすがは殿下です! ヴァシリオス卿は、まさに王国騎士団の至宝と言えましょう!」
宰相のアスマンが話にうなずいて言って、アンドレアに告げる。
「ときに……、いかがかな、ヴァシリオス卿。そろそろ、結婚を考えては?」
「結婚、でございますか?」
「おお、私も宰相殿に賛成ですぞ。王国貴族のオメガがよいのでは?」
「それはよい! ぜひそうなされよ。貴殿はアルファなのだから、やはり番を得てこそですぞ!」
貴族たちが同調したようにそう言うものだから、アンドレアは少し驚いたように目を丸くしている。
まあそれも無理はないだろう。クラウスの知る限りアンドレアには浮いた噂一つなく、まだ身を固めるつもりもないようだった。
一方アスマンや貴族たちがアンドレアに結婚をすすめるのは、貴族と姻戚関係を結ぶことによって、異邦人の彼に、実績に見合うだけの地位と後ろ盾をつけさせてやりたいという意図もある。
でもアンドレアがそういう露骨な政略結婚を望むかというと、正直言って微妙な気がする。彼はなんと答えるのだろうと見守っていると、アンドレアが首を横に振った。
「私など、まだまだ若輩者です。結婚などとてもとても」
「そのようなことはありますまいに。ご年齢を考えても、よき頃合いと言えますぞ?」
「しかし、私はまだ……」
やんわりとその気はないと告げるけれど、周りの貴族たちも引かない。
ふと気になって、クラウスは口を挟んだ。
「アンドレア。おまえ、誰か好いた相手はいないのか?」
「なっ?」
「皆の言うとおり、おまえくらいの年のアルファならば、もう所帯を持っている者が多い。もしや、すでに誰か心に決めた相手でもいるんじゃないのか?」
面と向かって訊いたことはなかったが、実際どうなのか前から多少知りたくはあった。
いい機会だと思い訊ねたのだが、アンドレアが今までに見せたことのない、驚愕しきったような表情を見せたから、珍しいものを見たと逆にこちらが驚かされた。
顔の前で両手を振って、アンドレアが言う。
「めっそうもない! そのような方がいるはずもございません!」
「なんだ、やけに慌てているじゃないか。怪しいなぁ?」
「怪しく、など」
「隠すなよ、言ってみろ。おまえほどの色男だ。遠征先で遊んだ経験の一つや二つあるのではないか?」
「な……、にを、おっしゃって……っ」
あけすけに質問しすぎたのか、アンドレアが目を見開いて固まる。
それからその精悍な顔に、かすかな赤みが差したので、これもまた珍しく思ってまじまじと顔を見ていると、やがてアンドレアが、はっと周りを見回した。
貴族たちも騎士団の幹部たちも、皆興味津々といった顔つきだ。
アンドレアの顔がますます赤みを増していく。
「……か、隠してなど、おりません。私は、そのようなことには、疎く……」
途切れ途切れに答えるアンドレアは、まるでうぶな少年のようだ。
誰よりも勇敢で強靱な騎士ではあるが、もしやアンドレアには、恋愛や性的な行為の経験などはないのか……?
「ほほう、これはこれは。百人隊長殿は、なかなかに禁欲的なのですな?」
「それがあの強さにつながるのでしたら、よき心がけと言えなくもないでしょうが……」
「色恋の豊かさを知れば、さらに勇壮な騎士となられるかもしれませんな?」
何かほほえましいものでも見たように、貴族たちが言い合う。
アンドレアは消え入りそうな顔をしているけれど――――。
(もしかして、アンドレアを「夜伽役」にしたらいいんじゃないか?)
アンドレアがこんなにも奥手だとは知らなかったが、クラウスとしても、まだアルファに抱かれる心の準備ができていないのだ。
それなら、うぶなアンドレアをとりあえずの「夜伽役」として立てておけば、しばらくはアルファに抱かれなくてもすむのではないか。公認で一緒に過ごす時間を確保することもできるし、クラウスにとってはうってつけの相手ともいえる。
自分でも予想外の発想だったが、悪くない思いつきじゃないだろうか。
クラウスはうなずいて言った。
「アンドレア、つまりおまえには、今特に心を通わせている相手はいないのだな?」
「は、はい、そのような方はおりません」
「そうか。ではちょうどいい。おまえが俺の『夜伽役』になれ」
「……はっ?」
「俺には竿役のアルファが必要なのだ。知っているだろう?」
クラウスの言葉に、今度は大広間が騒然となる。アスマンが慌てふためいて言う。
「殿下っ! な、何を、突然何をおっしゃっているのですか!」
「何を、とは? おまえも昼間、俺にそうするようすすめていたではないか」
「それは確かにそうでございますが……!」
アスマンが口ごもると、別の重臣が言った。
「クラウス様、『夜伽役』というのは、もっとこう、年長の、既婚のアルファがつとめるのが慣例であります」
「そうなのか? しかし、それでは伴侶が気の毒であろう。よし、その慣例は俺がたった今ここで廃止しようじゃないか」
「し、しかし! 殿下のお相手となれば、生半可な覚悟でできるおつとめではないのですぞっ? やはり、それなりの経験を持った者でなければ」
「さよう! もしも予期せず発情が始まってしまったら、大変なことになります」
次々と、重臣たちが懸念を示す。
だが反対されるほど、ますますアンドレアがいいと思えてくる。
「経験はともかく、アンドレアならひとまず気心は知れている。途中で発情したとしても、噛まれなければ特に問題はない。そうだろう?」
クラウスは言って、きっぱりと続けた。
「俺はもう決めたのだ。できれば今夜からでも始めたい。いいな、アンドレア?」
「……クラウス、様……」
先ほどまで赤かったアンドレアの顔は、一転してどこか青みがかっている。
アンドレアのそんな顔を見られただけでも、この思いつきは成功かもしれない。
皆が動転しているのをほんの少し痛快に感じながら、クラウスは悠々とワインを飲んでいた。
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