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第5話

「例の、東方の国の古文書にあった、奇襲作戦だな?」 「はい。殿下のお考えのとおり、奴らはこちらが崖を下って攻めてくるとは夢にも思わなかったようです。すっかり油断していました」 「ふふ、そうか。それは見てみたかったな」  遠征前の作戦会議には、クラウスも出席していた。元々兵法や戦術に関する書物を読むのが好きで、たまたま読んだばかりだった古文書の内容を話したのだが、かなり難度の高い作戦だと、慎重な意見が出た。  だがクラウスは、今の王国騎士団ならできるはずだと思っていたし、実際そのとおりになった。アンドレアが笑みを見せて言う。 「賊を山から平地に追い立ててからは、殿下が提案してくださった新しい弓兵の隊列が功を奏しました。今回の討伐作戦の成功は殿下のご采配によるものだと、皆感服いたしております」 「そう言ってもらえると、俺としても嬉しいな」  騎士団とともに戦いの場には行けなくても、こういう形でかかわることができると、自分も遠征に参加している気持ちになる。  もちろん、身を挺して戦う騎士たちの奮戦には敵わないが。 「おまえの活躍も聞いているぞ、アンドレア」 「活躍とはまた……。私はあやうく賊の首領を取り逃がしかけたのです。とても活躍したとは言い難いです」 「おまえらしい謙遜だな。おまえが降伏を迫ったおかげでそうなったのだろう? 結果、無駄な犠牲を出すことなく首領を捕らえ、手配書が出ていた奴の母国に送還できたのだ。先方からは早々に礼状が届いたぞ?」  集団自決を装って己だけ逃げ出した山賊の首領は、同盟国内部を転々と移動しては悪事を繰り返していた悪党だった。  残虐な性質の男だったので、捕らえず殺すべしとの主張もあったが、アンドレアはクラウスがそれを望んでいないことを察して、生け捕りにしたのだと報告があった。  少し照れたように、アンドレアが言う。 「魔術師団の方々の支援のおかげもあります。『捕らえた者を絶対に放さない魔法の縄』も、とても役に立ちました」 「……そういえば、ずいぶん前にロイドが、試しにそんなものを作ってみたと言っていたな。まさか実戦投入されていたとは。おまえでも使えるのか?」 「私が持ってもただの縄ですので、網縄にして罠を設置しておきました」 「もしや、そこに賊が引っかかるのか?」 「はい。罠に差しかかると、山の獣は野生の勘ですっと避けるのですが、人間は面白いように捕まります。あの様子ばかりは、殿下にもお見せしたかったですよ」 「はは、そうか。なかなか愉快だな! それは確かに見てみたかった」  アンドレアから現場の様子を聞くのはいつでも楽しい。  どうということのない世間話をするときなどは、アンドレアは慎ましく一歩引いて話す感じなのだが、戦いや戦術の話などをしていると、次第に打ち解けてくる。  そうなると彼が従者だった頃のように、とても楽しく話が弾む。  アンドレアは五歳年上だが、王宮のほかはせいぜい城下しか世界を知らなかった少年時代のクラウスにとって、今でも兄弟でもあり友達でもあるような、ほかに代え難い特別な相手なのだ。  あのままの関係が、ずっと続くと思っていたのに。 「……殿下。そろそろお戻りにならなくてよろしいので?」 「え、もうそんな時間か」  あたりが少し暗くなってきた頃合いで、アンドレアはいつもクラウスに王宮へ戻るよううながしてくる。楽しい時間は早いものだ。  でも今日は、できればもう少し話したい。クラウスはさりげない調子で言った。 「なあ、アンドレア。今夜、官舎のおまえの部屋に行ってもいいか?」 「は……?」 「もっとおまえと話をしたいんだ。朝まででもな。おまえのところに泊めてくれよ」 「なっ……! と、とんでもない! そのようなことはできかねます!」  アンドレアが明らかに狼狽した様子で言う。  当然断るだろうとわかってはいたが、そこまで激しく拒絶しなくてもいいのに。 「なんだよ、そんなに慌てなくてもいいだろう? 前はよく、おまえの部屋で夜明かししたじゃないか?」 「ずいぶんと前の、まだ殿下が十代の初めの頃の話ではありませんか」 「今はどうして駄目なんだ?」 「それは……、おわかりでしょうに」 「わからないから訊いている。どうしてだ」  クラウスは思わず言って、やや自嘲気味に続けた。 「やはり、俺がオメガだからか? 見てくれは大人なのに発情期も来ない、半端なオメガだぞ? 皆が心配するような『間違い』なんて、起こるわけもないのにな」  自分からこういうことを言うのは、オメガであることを己自身が一番気にしているのだと、自らさらけ出しているみたいで、何かひどくみっともなく思える。  昔の気安さの名残なのか、アンドレアが相手だとついこんなことを言ってしまい、あとから自己嫌悪に陥ったりするのだ。  クラウスの身に起こったことは誰のせいでもない。この先も、自分にも誰にもどうしようもないことなのだと、いい加減割り切らなければならないのに、いつまでもぐずぐずと思い悩んでいる。  そんな自分の弱さをありありと感じて、ほとほと嫌になるのだ。 「……違いますよ、殿下。これはバース性の問題ではありません」  アンドレアが、ゆっくりと教え諭すような口調で言う。  そうしてクラウスの目の前に膝をつき、黒い瞳で真っ直ぐにこちらを見上げて、低く言葉を続ける。 「あなたと私とは、元より身分が違うのです。あなたの尊き御身は、今やヴァナルガンドそのもの。私はたまさか前国王陛下のお目に止まっただけの異邦の民であり、あなたを守る剣にすぎない。本来は、こうしてお声をかけていただくことすら恐れ多い立場の者です。少なくとも私は、ずっとそう思っておりますよ」 「アンドレア……」  そんなふうに思うことなどないのに。  クラウスはアンドレアの身分など気にしないし、それを理由にされるのは寂しくもあるのだけれど、彼の立場を考えると、そう言わざるを得ないのもわかる。  アルファとはいえ、アンドレアはこの国に生まれ育った者ではなく、貴族でもない。  父王がアンドレアをクラウスの従者として取り立てたときも、騎士団に入団することになったときも、密かに反対する者はいたようだから、今や王国の今後を左右する存在となったクラウスが、いつまでも彼と子供時代のように親しく付き合うことを、快く思わない者もいるだろう。そしてアンドレアは、それに気づかぬほど鈍感でもない。  あまりわがままを言ってアンドレアを困らせるのは、こちらとしても本意ではない。クラウスはうなずいて言った。 「……わかっている。ちょっと言ってみただけだ。自分の立場はわきまえているさ。おまえの言いたいこともな」  さっと椅子から立ち上がり、自分はヴァナルガンドの王子なのだと、あえて意識しながらアンドレアの顔を見下ろす。  目線をそらすことなくこちらを見つめるアンドレアは、昔から変わらず、真心と忠誠心をそのまま形にしたようなたたずまいだ。澄んだその目を見ているだけで、彼の信頼を得るに足る立派な人間にならなければと、身が引き締まる思いがする。  と同時に――――。 (……昔と変わらず、忠犬みたいなのにな)  出会ったばかりのほんの幼い頃は、そんなふうに思って彼と接していたなと、ふと思い出す。

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