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 トラヴィス・ヴェレッタ特別捜査官は悪態をつきたい気持ちをぐっと堪えながら、パートナーのミリアム・ウィリアムズ特別捜査官の後ろで腕を組んで聞いていた。 「私も、よくわからないの」  ほっそりとした顔立ちの老婆が、たるんだ頬にしわくちゃな手を添えて、心配そうに洩らした。 「でも、あの子は良い子ですから、きっとイタズラだと思うわ」  トラヴィスはどうしようもないというように、首を横に振った。この婆さんは正気か? ガキのイタズラにFBIが出てくるか! と忌々しい文句が洪水のように溢れ出てくる。 「お気持ちはとてもよくわかりますわ、ミズバーンズワース」  ミリアムは背後で不穏な気配を漂わす連れの捜査官を無視して、目の前の老婆に同情たっぷりに頷いた。 「ミズバーンズワースにお会いすれば、レイジーがどんなにおばあちゃん想いの良い子か、すぐにわかりますもの」 「そうでしょう? 本当に良い子なの」  アンジェラ・バーンズワースは顔いっぱいにある皺の隅々まで嬉しそうに微笑んだ。  「成績は優秀だし、家の掃除もきちんとやるし、麻薬だってアルコールだってやらないし」 「そして行動力もあるし」 「そうなのよ」  お婆ちゃんはニコニコと相槌を打つ。  トラヴィスは段々と頭痛がしてきた。ワシントンDCにある連邦捜査局からここカリフォルニアのロサンゼルスまで飛んできたのは、七十歳は過ぎている老婆の孫自慢につき合うためではなく、爆破予告をした犯罪者を捕まえるためだ。 「でも、そんな良い子が家出するなんて、心配でしょうね」 「そうなのよ」  とたんに、アンジェラお婆ちゃんは顔を曇らせた。 「でもあの子は良い子だから、ちょっとした冒険がしたかったんだと思うわ。まだ十五歳だし、男の子ってそういうことが好きでしょう?」 「そうですわね」  後ろでトラヴィスが咳払いしそうなのをすばやく目で制してから、ミリアムは老婆に向き直った。 「でも未成年の家出は危ないですわ。どんな犯罪に巻き込まれるかわかりませんもの」 「そうねえ」 「家出の届出はまだですわね?」 「ええ……すぐに帰ってくると思っていたから」  本当に良い子だったら、家出しないでこの婆さんのそばにいただろうなと、トラヴィスは薄情に思った。ついでにロサンゼルス市警へわざわざ電話をして、ビルを爆破しますなんてことも言わないだろう。 「私たちがレイジーを見つけますわ。どうか安心なさって、ミズバーンズワース」 「……そうね、お願いするわ。あの子もそろそろ私のポテトが恋しくなっている頃だと思うし」 「ええ、そう思いますわ」  ミリアムが話の終了を告げるように、古ぼけた椅子から立ちあがった。トラヴィスもアイボリー色の壁に寄りかかっていた背を起こす。ようやく終わったかと、欠伸の一つもしたくなった。 「どうかお願いしますわ」  アンジェラは年代物の籐椅子に深々と腰かけたまま、ミリアムにだけ視線を向けた。 「あの子は本当に良い子ですから、きっとイタズラに違いないわ。見つけたら、無事に連れてきて下さいね。手荒なことはしないで下さい」  すーっと、視線が隣のトラヴィスへ流れた。その灰褐色(アッシュブラウン)の瞳は、まるで自分の家に忍び込んだコソ泥を睨みつけるかのように手厳しい。 「手荒なことはしないで下さい。あの子は良い子なんですから」  ……俺の(つら)はそんなに悪党か。トラヴィスは思いっきり中指を立てたくなったが、ミリアムに小突かれてしぶしぶ家を出た。 「何だ! あの婆さんは!」  トラヴィスは黒いセダンの車に乗り込み、ドアを叩きつけるように閉めるやいなや、キーを差し込み、エンジンをかけ、アクセルを革靴の底で思いっきり踏んだ。 「ちょっと、トラヴィスったら!」  助手席に座ったミリアムは、急発進に体をリバウンドさせる。 「あの婆さん、俺を見るなり、胡散臭く顔をしかめていたぞ! 俺は不法侵入者か!」 「だって、胡散臭いんだもの。仕方がないじゃない」  ミリアムはつれない視線を投げる。 「そんな格好をしていたら、誰も捜査官なんて思わないわよ」  トラヴィスはムッと口をへの字に曲げる。その風体は、一言でいうと、冴えないチンピラだった。安物のトレンチコ―トに、安物の白いワイシャツ。ネクタイはなく、上着のボタンも外したままだ。靴だって一応は革製だが、いかんせん、いつ磨いているのだろうかという低落である。黒い髪もざんばらで、どうにもFBIに勤務するエリート捜査官には見えない。これで「FBIだ」と身分証を提示させられても、十人が十人とも偽造ではないかと疑うだろう。  かたやパートナーのミリアムは、ワインレッド色のツーピースと黒いヒールでばっちりと決めていた。化粧もアフリカンアメリカンの美しい顔立ちを引き立てる色合いで、黒くて豊かな髪が、背中で波打っている。ハリウッド女優も顔負けの美貌は、国のエリートが集うFBI特別捜査官としてマスコミに登場しても全く遜色ない。トラヴィスと並ぶと、ボスと部下一名に見える。 「せめて、ワイシャツのボタンくらい締めなさいよ」  トラヴィスは涼しげに開いている襟元を軽く触った。 「俺のアイデンティティーに口を出すな」  ミリアムは首を傾げた。ワイシャツの首筋のボタンを締めないのが、イタリア系アメリカン人のアイデンティティーなのかしらと言いたげである。 「それより、仕事の話をしようぜ」  トラヴィスは信号を左に曲がった。運転は落ち着きを取り戻している。 「容疑者は、レイジー・バーンズワース。白人。十五歳」 「両親は離婚。それぞれ再婚しているが、くそガキはどっちにも行きたがらずに、親父の爺さんに預けられた。その爺さんは三年前に亡くなっている」 「退役軍人よ。イラク戦争にも行っているわ」  ミリアムは肩から胸元へ流れ落ちる黒髪を耳にかけて、持っていたブリーフケースから書類を取り出した。 「学校での成績は、本当にいいわよ。全て、パーフェクトだわ」 「それで、さらなる冒険へ飛び立つために、家出したってわけか」 「わからないわ。誰かに連れ出されたのかもしれない」 「そいつは自分で出ていったんだ」  トラヴィスは目を細めて、ビルの角を右に曲がった。カリフォルニアの太陽は、ワシントンやニューヨークと違い、眩しすぎる。 「自信たっぷりに言うのね」  書類をめくるミリアムは面白げだ。 「くそガキの写真を見たか?」 「見たわよ、何度も。キュートな子だわ」 「俺もそいつくらいキュートだったぜ」 「髪を()かしてから言ってよ」  トラヴィスは肩で笑った。 「俺はそのキュートなくそガキのすました顔を見ていたら、子憎たらしくなってきたぜ。そのふてぶてしい表情に、人を馬鹿にしたような目は何なんだ? 十五にしては、上出来だ」  ミリアムは何も言わなかった。聡明そうな赤い唇を結び、鋭い目で手元の書類を読む。  車はハイウェイへ向かい、FBIロサンゼルス支局へとまっしぐらに走った。

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