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翌朝、ロサンゼルス支局へ出勤したトラヴィスは、本部から派遣されてきたヒース・ハリド特別捜査官と会った。
「眠そうだな!」
ヒースは開口一番そう言うと、にやりと笑った。レバノン系アメリカ人だが、祖父はフランス人で、青年期もヨーロッパで過ごしている。生まれはアメリカだが、ヨーロピアンな雰囲気を漂わす捜査官で、背が高く、容姿端麗な色男である。トラヴィスとは気のあう同僚で、大の女好きでも有名である。
「いい女の夢でも見ていたのか?」
「ああ……気持ちよかったぜ」
軽口を叩く声とは裏腹に、トラヴィスの表情は冴えない。朝目覚めればジェレミーの姿はなく、腰に力が入らなかった。這うようにベッドを出たが、昨夜の情事で下半身の調子もよくない。さりげなく腰を押さえながら、この原因をつくった男を胸の中で罵った。
「派手なカーチェイスをしたんだって?」
「これでアクション映画から出演依頼がきてもOKだ」
トラヴィスは頬の傷を撫でた。邪魔なのでガーゼをしていない。腕の傷も簡単に包帯を巻いただけである。そのうちに治るだろうと放っておくことにした。
「大丈夫か? ますます男ぶりがあがったな」
ヒースはからかいながら、トラヴィスと肩を並べる。
「俺も今朝一番で到着した。早速仕事だ」
「どうした?」
「昨日の夜、出頭してきたらしい。犯人が一人」
初耳だった。
「誰だ!」
「アラブ人ということだけはわかっている。それ以外はこれから調べる」
トラヴィスは自然と早足になった。本当は駆け出したかったのだが、まだ本調子ではない。
「ミリアムはもう会っているのか?」
「ジェレミーもいる」
トラヴィスの顔が不機嫌丸出しになったので、ヒースは落ち着けというように肩を叩いた。
「気にするな。動いて口聞くだけだと思っていろ」
支局の奥に取調室があった。片方の側面だけマジックミラーになっていて、中にいる人間にはその部屋を覗く面々がわからない。トラヴィスとヒースが入室すると、パトリック、ミリアム、ジェレミーら全員が顔を揃えていた。すぐにトラヴィスもマジックミラーから室内を見る。一人のアラブ人がパイプ椅子に座って俯いていた。
「ミカールのお兄さんじゃないわ」
ミリアムがトラヴィスの疑問に答えた。
「英語が全く通じないのよ」
パトリックは指示を出した。
「ヒースとジェレミーは中へ入って尋問してくれ。ミリアムとトラヴィスは引き続き少年から話を聞いて欲しい」
四人の部下たちは動き出す。
「先に車へ行ってちょうだい」
取調室を出ると、ミリアムは足早に二階へあがる。トラヴィスはズボンのポケットに手を入れ、車のキーを取り出した。
背後で、静かにドアが閉まった。振り返ると、ジェレミーだった。
トラヴィスは腰を押さえながら、口をへの字に結んだ。周囲には誰もいない。
ジェレミーが近寄ってきた。
「眠そうだな」
「金髪野郎のおかげだ」
トラヴィスは目一杯嫌味を言ったつもりなのだが、相手には通じなかった。
「いつでも、愉しませてやる」
ジェレミーはトラヴィスにだけ聞こえるように囁くと、踵を返す。その肩をトラヴィスが片手で掴まえた。無言で、取調室のドアを親指で指す。
「話すつもりだった」
ジェレミーは悪びれもせず言った。
「だが、お前がせがむから言いそびれた」
トラヴィスの表情が一気に爆発した。
「くそったれ!」
ジェレミーの眼前で、右手の中指を思いっきり突き立てると、荒々しく立ち去ってゆく。
その怒りに満ちた後ろ姿に、ジェレミーは苦笑いするしかなかった。
数分遅れてミリアムが駐車場に現れると、後部座席にパソコンバックを置いて、助手席に乗った。トラヴィスはアクセルを踏み、ゆっくりと道路に出る。
「アシュリーの部屋にあったパソコンを持ってきたわ」
ロサンゼルス支局所属の専門チームに調べてもらっていたのが、今朝戻ってきたのだという。
「このパソコンの持ち主は、レイジーと判明したわ。なぜアシュリーの部屋にあったのかしら」
「おそらく持ち込んで、何かをしていたんだろう。他に手がかりは見つかったか」
「メールが数通消されていたわ。それを復元したの。メール相手の名前はハムザよ」
「どういう内容だ」
「一言で言えば、アメリカが憎いってことね。なにもかもめちゃくちゃにしてやりたいって書かれているわ」
「十五のガキに送る内容じゃないな」
鼻で笑って皮肉る。ミリアムも頷いた。
「けれど、どうしてレイジーにそんなメールを送っていたのかしらね」
「レイジーもそう思っているからだろう」
トラヴィスは慎重にハンドルを切って、角を曲がった。セダンは修理に出したので、初めて運転する車である。フォードのクラウンヴィクトリアだ。
「二人がメールの交換していたことを知っていたかどうか、ミカールに聞かなければならないわ」
「両親はまだ来ないのか?」
「ええ。代わりに弁護士が来ているわ」
マスコミでは二件の事件の容疑者がハムザ・アル・アブドュルだと報道されていた。ロス市警から情報がリークされたようだ。
「ご両親は気が動転されているそうよ。お気の毒だわ」
「そうだな」
トラヴィスも同情した。
二人はパーカーセンターへ向かっている。その途中で「ピザ・アメリカン」に立ち寄り、フルサイズのピザを買った。
ほどなく到着し、駐車場に車をとめると、二人を出迎えたのはノートン警部だった。
「残念ながら、まだ容疑者は見つかっていません。それと、エンジェルス国立森林公園を重点的に捜索しています」
挨拶も手短に、経過を報告する。
「容疑者の経歴も調べました」
二人へ一枚の紙を差し出す。それには、ハムザ・アル・アブドュルの顔写真が載っていた。ミカールによく似た、難し気な顔立ちの青年で、年齢は二十歳、エジプトから移住してきた両親の元に生まれて、現在はカリフォルニア州立大学サンタバーバラ校在学中と記載されてあった。
「レイジーの方は?」
「まだ情報提供がありません」
「ミカールのご両親はいつ頃いらっしゃるの?」
「今日の昼頃までにはと、弁護士が伝えてきました」
ミカールは別室にいた。黒い革張りのソファーにぼんやりと座っている。昨日のうちに両親が来るはずだったのだが、一泊することになってしまった。衣服は昨日と一緒で、テーブルの上には飲みかけのペットボトルがあった。
「坊主、眠れたか!」
二人が室内に入ると、眠そうだったミカールは顔を上げた。すっかり疲れた様子だったが、二人を見てほんの少しだけ安心したように表情が和らいだ。
「ご両親は、今日の昼頃には来られるそうよ。安心して」
「大丈夫、わかっている。親父もお袋も、俺どころじゃないよ」
ミカールはすでにテレビを見ていた。
「弁護士には先に帰ってもらった。親父とお袋のそばに居て欲しいから」
室内に目を走らせた捜査官たちに説明する。
「飯は食ったのか?」
「食欲がないんだ」
「これを見てもか?」
買ってきた箱をテーブルに置く。中を開くと、真っ赤なトマトにチーズ、マッシュルームにコーンやバジルなどのトッピングが盛られたピザの美味しそうな匂いが、ふんだんに漂ってきた。
「俺もミリアムもまだだ。一緒に食べよう」
トラヴィスはソファーに座ると、率先してピザを切り分け、最初の一切れをミカールに手渡した。
「まずは食べろ」
ミカールはあまり嬉しそうではなかったが、ジューシーな匂いに食欲が生き返ったのか、素直に受け取った。
トラヴィスは隣に座ったミリアムにも渡して、自分は最後に口にした。
「俺に聞きたいことがあるんだろ?」
ミカールはあっというまにピザを平らげて、ペットボトルのキャップをあける。コーラだ。
「弁護士もいないから、何でも聞いてくれよ。俺も正直に答えるから」
「そうね」
ミリアムは察しのいいミカールに笑顔を向ける。
「色々とあるわね。昨日は慌しかったから」
「俺、昨日撃ってきたのって、兄貴だと思うんだ」
いきなり、ミカールは言ってきた。
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