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第一話④

 一成がこの学園の生徒だった頃、三年間ずっとクラスの担任だった順慶は、にべもなく言う。一成にとっては恩師にあたり、同じ教師という立場になってからは目上の人間にあたるのだが、平気でじいさんと呼んでいた。順慶は別段怒りもしないが、じいさんと呼ばれるにはまだ五十代で、壮健な男である。数学教師で柔道部の顧問でもあり、現在三年二組のクラスを担当していた。どんな強面相手にも負けない大柄で頑強な体格と、どこか茶目っ気のある顔立ちに、デリカシーが欠けていると評判の口を合わせれば、筒井順慶というどこかの武将みたいな名前を持つ男になるのである。 「しょうがないだろう、じいさん。目を覚まさせるには、殴るのが一番だ」  煙草を口から離し、窓の外へ向けて、ふうっと息を吐く。 「桐枝は、男子校特有のウィルスに感染したんだ」 「ウィルス?」 「先生が好きです、同級生が好きですっていうウィルスだ。男子校を卒業すれば完治する。あの気持ちは何だったんだろうって、不思議に思うんだ」 「身も蓋もない言いっぷりだな」  順慶はソファーの上で感心する。 「言っとくが、ウィルスじゃない場合だってあるんだぞ」 「じいさんの経験か?」 「俺だって、お前より若いときには、色々とあったもんだ」  一成は疑いの視線を投げた。どれだけ想像を強くさせても、順慶が同性と付きあっている様子など浮かんでこない。 「俺も長くこの学園で教師をやっているんだ。先生が好きですって言われたこともあるさ」 「物好きもいたんだな」 「昔は、こんなにくたびれていなかったからな」  からからと笑う声は、まだまだ力がみなぎっている。 「男子校で教師をやっている以上、こういうことは一度は経験するんだ、一成。生徒たちには二度とない高校生活なんだから、もう少し優しく対処しろよ」 「優しくした。力は抜いたからな」 「お前のどこが気に入ったか聞いてみろ」  順慶は呆れたように投げつけて、また寝返りを打つ。 「その子も可哀相だな。お前みたいなデリカシーに欠けた奴に勇気を出して告白したばっかりに殴られるなんて。明日から登校拒否にならないといいけどな。それに、その子の親がうちの子を殴ったって、怒鳴り込んでこないといいけどな」  嫌味のようなでかい声の独り言に、一成はそれを弾き飛ばすように煙草の煙を室内に大きく吐き出して、近くにあった安物の丸い灰皿に火を押しつけて消す。 「あとで、桐枝は俺に感謝するはずだ」  順慶にあてこするように言う。 「あの時殴ってくれたおかげで、夢から目が覚めたってな」 「――おい、一成」  背中を向けていた順慶は、首だけ回して一成を振り返る。 「お前、さっきから随分と突っかかった言い方をするな?」 「じいさんがうるさいからだ」  その口閉じろと言いたげに、一成も容赦ない。  すると、順慶じいさんは男っぷりに溢れた顔立ちに、何やら意味ありげな皺模様を浮かばせた。

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