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第九話⑭

 一成は呆気に取られて、閉じたドアを眺める。一体じいさんは何しに来たんだと、わけがわからない。机の上のボールペンは、ずっとそこに置かれている代物である。昨日も順慶はそのボールペンを使って、机の上で書きものをしていた。それを忘れ物として取りに来たとか、全く意味不明である。  ――呆けたか。  と、阿呆らしく思ったが、一成はふっと息を吐いて頭を振った。  ――俺と桐枝がいたからか。  こっそり首をすくめる。伝馬が相談室へ入るところを目撃したのかもしれない。それで様子を見に来たのかもしれない。なにせ、伝馬が一成に告白しに来た時、衝立(ついたて)の陰に隠れて狸寝入りをしていたのだから。  ――まあ、しかし助かった。  あのまま桐枝の話を聞いていたら――一成はホッとしたのも束の間、伝馬が痛いくらいに自分を見つめているのに気づいた。  いつも直球なその眼差しは、どことなく薄暗い(かげ)(はら)んでいる。  一成は自分を落ち着かせるために、またネクタイを締め直す。おそらく桐枝は――表情からも態度からも言動からも丸わかりである。  ――桐枝は、俺に告白したいんだな、もう一度。  そういうことかと、一成は伝馬に感づかれないように、努めて平静を装う。そうなったら、どうするか。一成はおもむろに右手を握る。またストレートパンチをしようか、それとも往復ビンタにしようか……  室内に重たい沈黙が横たわる。  伝馬は懸命に歯を食いしばっているようだった。 「桐枝」  一成は空気を変えようと、優しく言葉をかける。 「体育祭は、生徒全員で参加するものだ。勝敗も大事だが、生徒たちが一緒になって競技を行うことに意味がある」  体育祭の話に意識を集中させよう。一成も高校生時代の想い出が、回転ドアとなって甦ってくる。 「実は俺も、一度だけ文武両道会のクラス代表に選ばれたことがある」  伝馬が驚いたように目を大きくした。その反応が意外そうで、一成は苦笑いする。 「三年生の時だったが、楽しかった」  ――そういえば、俺も緊張していたな。  伝馬のように。  ――桐枝と違って、俺は減らず口を叩いてばかりだった。  同級生や友人たちの前では強がっていたが、内心は戦々恐々だった。それを素直に口に出せたのは、榮だけだった。榮は微笑を浮かべて言った。楽しみなさい、一成と。 「だから、思う存分楽しめ、桐枝」  榮のことがよぎって、胸が痛くなる。どうしてあの人のことを想う度に、苦しまなければならない――一成は硬く口を結ぶ。思い出すなと念じる。桐枝には関係がない。 「――楽しみます」  伝馬の張り詰めていた顔が、ゆっくりと崩れた。

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