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第11話『バイト先』
陽はとっぷりと暮れている。
昨日の今日で知らない世界をひとりで歩くことになるとは思わなかった。景色を見る余裕などない。携帯で地図を確認しながら、駅に向かった。
電車に乗るには当然だが、改札を通る。携帯には交通自動支払いアプリが入っており、かざさなくても勝手に精算してくれるらしい。
誰もが歩いているだけだ。サキも目の前を行くスーツの男にならって改札を素通りする。やや緊張したが、止められることなく通れて、ホッとした。
大概のことは携帯で処理できるのは現代日本もそうだが、この世界はそれがより徹底された印象だ。便利ではあるが携帯を失くしたり、充電を切らしたらすべて終わりそうだ。
電車の中で、サキはレイのチャットに『ソフィアって店に行ってくる』とメッセージを送った。すぐに帰るつもりだったが、万が一、遅くなることを考えてのことだった。
駅を降りると会社員が目立っていた。平日の夜、帰宅する人や飲みに行く人であふれている。
サキのいた世界となんら変わりない風景であり、自分もあの中のひとりだった。
(別の星っていうより、並行世界みたいだ)
頭の片隅でそんなことを考えながら歩いていると、なんとも怪しい繁華街に入っていった。
携帯のナビに従って十五分ほど歩いたところに、件の店はあった。地下にあるバーだった。
周りの店を見ても、ソフィアはかなり色濃い店のようだ。色のある夜遊びには慣れていないサキは頬を引きつらせたが、とにかく店員と話をせねばならない。
両頬を軽くたたき、気合を入れる。地下に降りていくと、店の扉は黒く重厚な造りだった。そろっと押し開けてみると、
「いらっしゃいま……」
店の入口にいた若い男が、サキを見て顔をしかめた。
「おい! 表から入ってくんなよ! 裏に回れ!」
小声で堰きたてられた。その声に聞き覚えがある。電話してきたのは、この男だろう。意外にも若く、肌つやから二十代前半と思われた。
ここで事情を話してしまおうとサキが口を開きかけたとき、店の外に連れ出された。
そもそも従業員用の裏口など知らない。
もたもたしていたら、外に連れ出された。
「遅刻してきて、なにやってんだ!」
地下扉の入口前で、がなられる。ホストのような黒いスーツを着た男にサキは怯むことなく言った。
「あの、店長さんに会いたいんですけど」
「店長? 店長なら九時入りだ。早く店に入れ。カウンターに人が足りねえんだ」
「それなんですけど、おれ、きのう事故に遭って、記憶喪失になったんです。ここのことも、よくわかんないんで……」
電車の中で考えてきた内容を口にすると、頭をはたかれた。
「ふざけんな! さっさと入れ!」
男は日焼けした浅黒い肌に目が吊り上がっている。柄もかなり悪い。
人の話を聞かない奴だな、とサキはむかっ腹が立ち、片目を細めた。
「だから、すべて忘れちゃったから、わかんないんですって! 店にも入れません。とにかく店長さんと話がしたいんですよ!」
サキが憤慨して言うと、男は盛大に舌打ちした。「こっちに来い!」と階段を上がり、裏口に連れていかれた。
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