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第12話 線対称
段ボールを抱えたまま室内をきょろきょろと見回していると、上履きを脱いで部屋にあがった山宮に「折原」と呼ばれた。
「その箱、右の棚に置いて」
言われて朔也は入り口すぐ側の棚を見た。だが、天井まで続く棚には使い古された段ボールがひしめき合っている。空いているスペースもあったが、どこに置けばいいのかさっぱり分からない。
「えっと、何段目?」
「下から二段目。緑の線が入ってる段ボールは一番下。紙袋は上の空いてるとこに並べて。紺色の紙袋は入り口の横に適当に置いて」
山宮はてきぱきと朔也に指示をすると、大きな台の前に立った。
突然、山宮の腕がふわりと浮いた。学ランの袖から覗く細い手がピアニストのように台へと伸びる。きれいに爪が切られた指先がメモリのついた黒い盤のスイッチを弾いた。
パチンパチン。
マスクをしていても分かる。山宮の横顔が生き生きとして、黒い瞳に輝きがともる。楽器を弾くような慣れた手つきで白い指が機械の上を滑り、無機質なボタンたちが軽快なリズムで音を奏でた。うっかり自分が触れば不協和音を起こしてしまいそうな調べだ。
興味をそそられた朔也はすぐに荷物を運んで棚に納めた。が、最後の紙袋を運び入れたとき、既に彼は機械から離れ、壁に凭れて床に直に座っていた。学ランは横にたたまれ、紺色のセーターを着たリラックスした様子で片膝を立てている。
「外の荷物はこれでおしまいだけど、次は?」
そう言って紙袋を入り口の脇に置くと、山宮がこちらを見て頷いた。
「片づけ終了。サンキュ。助かったわ」
どうやら自分は用なしになったらしい。が、その物珍しい部屋に朔也は「そこってなに?」と窓と反対側の壁にある小さなカーテンを指した。ところが、山宮はそれに答えず眉間にしわを寄せる。
「扉」
「え?」
「扉閉めろよ。埃とか入ってくるだろ。機械は繊細なんだよ」
「え? あ、ごめん!」
慌ててしゃがみ込んでストッパーを外すと、重い扉がこちらに閉まりかけてガンッと思い切り頭に当たった。
「いってッ」
あまりの衝撃に思わず頭を両手で押さえる。が、朔也の抗議の声も虚しく扉は他人事のように大きな音を立ててしまった。半分涙目で山宮のほうへ向き直ると、彼は少し呆れたようにこちらを見ていた。
「折原ってがさつだな……静かに閉めろよ」
「あんなに重いなんて思わなくて」
「放送室なんだから、防音扉なのは当然だろ」
山宮は平然とそう言った。
だから金属の分厚い扉だったのか。
上履きを脱いで、上がり框へと膝をつく。床は音を吸収するためだろうか、水色のカーペットになっていた。学校らしさとは違う部屋の空気になんだか身が縮こまる。再び部屋を見回した朔也の目が、扉横に置いた紙袋から覗いているそれを捉えた。
「あ、これ」
それは食堂で山宮と会ったときに、彼が読んでいた冊子だった。手にとると、やはりプリントをホチキスで留めただけの手作り冊子だということが分かる。
「ああそれな。それは、今日使った台本で」
そう説明する山宮の声が突然遠ざかった。
――一年D組 山宮基一
裏表紙に書かれた縦書きの名前が朔也の目に飛び込んでくる。思わず息を呑んでその文字を食い入るように見つめていると、突然冊子を奪われた。「あ」という言葉と目がそれを追う。山宮が露骨に嫌そうな顔をした。
「お前、今、字が下手だなとか思ったろ。これだから書道部は」
「……山宮」
言葉を遮りずいっと朔也が手をついて身を乗り出すと、彼が少し驚いたように後ろへ身を引いた。が、朔也は構わず叫んだ。
「山宮の名前、最高だ!」
「……は?」
「基一って完璧な線対称じゃん! すっごくきれいな名前! 羨ましい!」
ほら、と冊子を奪い返して手書きの字を指し、山宮の眼前に突きつける。
「な!? 『基一』って縦書きだと線対称だろ! おれの名前と全然違う! ああ、おれもこういう名前がよかった! って、親にそんなこと言えないけど。もう、基一って最高! 名前を書くだけですっごく横線の練習になる!」
「……お前、バカにしてんのか」
山宮がなにか言ったのは聞こえたが、朔也の意識はすぐに名字のほうに向いた。
「あっ、山宮って名字もほぼ線対称だ! すごい! すごすぎる‼ あのさ、山宮の名前って篆書に向いてると思うんだ。きれいに左右対称になるし、見た目もおしゃれだし。印鑑を作るなら断然篆書がお勧め! いや、『一』に特徴を出すには隷書がいいのかな……? そうだ、山宮の家って表札どんなの!? うちは母親が選んだんだけど、行書なんだ。つなげ字ってかっこよく見えるのかな? 折原って名字自体カクカクした雰囲気だし、楷書よりもいいかなとも思うけど。って、おれの家じゃない、山宮の家だ! なあ、表札どんなの!? どんな書体!?」
王道で楷書か。でも隷書がいい。絶対隷書が似合う。
朔也はわくわくして答えを待ったが、何故か緊張した様子で山宮がごくりと喉を鳴らした。
「……ローマ字でYAMAMIYA」
「ローマ字!?」
朔也は悲鳴をあげた。
「なんで!? なんで漢字じゃないんだよ!?」
だんっと床に手を打ちつけてがくりと肩を落とすと、「んなこと言われても」とぼやく声がした。
「どうして……どうしてローマ字に……せっかくの美しい名字が……」
「なんで折原が悔しがる」
「山宮……全国にどれだけ美しい線対称の名字があると思う……篆書も隷書も似合うのに、案外いないんだ……」
「そんな価値観で人の名字見たことねえわ」
「おれのイチ押しは高木さん……特に梯子の髙だったんだけど、山宮もすごくいいって気づいたのに……こんなにいいのに……表札がローマ字だなんて……」
「……今初めて気づいたけど、YAMAMIYAはローマ字でも線対称だし、それでよくね」
「うそ!?」
朔也ががばっと顔をあげると、その勢いに彼がびくっとしたように体を揺らした。
「ローマ字でも線対称!? うわ、すごい、すごいよ山宮! すごい! いや、すごいけど……でも、できれば、表札は、漢字であってほしかった……」
防音の部屋に沈黙が下りる。数秒後にはあとため息をついて朔也は顔をあげた。
「山宮、将来家を買ったら表札は漢字にしなよ……」
なんのアドバイスだよ、とぼそりと呟く声がする。朔也は改めて手元の冊子の字を見つめた。山宮の手書きの文字は一画一画がきちっきちっと書かれていて、ゴシック体のように見やすい字だった。
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