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第34話 お守り
「折原、お前、どうしたんだよ?」
聞き覚えのある声に振り仰ぐと、そこには山宮が困惑した表情で立っていた。
「山宮……? なんでここに?」
驚く朔也に彼は持っていた紙の束を突き出した。いつか放送室で一緒に見た、贈る言葉の原稿だ。
「書道部がパフォーマンス練習をやるって聞いて、俺も読み上げ練習をしようと思って。二階のギャラリーで演技を見ながら読んでた」
そう説明する山宮は、原稿ではなく模造紙を見ていた。
「お前……なんかおかしくね? 途中で字間違えるし、急に字が下手」
「煩い‼」
気づけば大声で言葉を遮っていた。山宮が顔を歪めたのを見て、我に返る。
「あ、大きな声出して、ごめん。おれ、いらいらしちゃってて、その、悪い」
だが、朔也の言い訳を聞く彼がますます顔をしかめて口をへの字にする。
「お前……変だわ。いつもならへらへら笑って済ませるのに、怒鳴るとか普通じゃねえわ。いつものイージーモードはどうしたんだよ」
「……なんだよそれ」
聞き捨てならない言葉に思わず立ち上がる。小柄な山宮が朔也の影に沈んだ。
「普通じゃないってなに? いつものイージーモード? 冬休みにおれがどれだけ練習してたか知ってるだろ! だったら失敗して落ち込んでることくらい想像できるだろ! そんなことを言うためにわざわざ上から降りてきたのかよ⁉」
朔也の剣幕に山宮が顔を苦しそうに歪める。
「そうやって怒るのがいつもの折原じゃねえんだって。らしくねえわ。だから、なんかあんじゃねって、そう言いたかっただけで」
「あっそ! 放送部は山宮一人だからいいよな! 書道パフォーマンスは皆で作るもんなんだよ! 周りと同じレベルの字を書かなきゃいけない、自分のミスが全体のミスになる、そんなプレッシャーなんて分かんないよな!」
おれ、なんでこんな大声を出してるんだろう。なんで山宮をこんな表情にさせてるんだろう。なにもかもめちゃくちゃでどれも上手くいかない。
「なにも知らないくせに! おれが、どれだけ書道に打ち込んできたか! おれが、どれだけパフォーマンスのために練習してきたか! おれがどれだけパフォーマンスをやりたかったか、おれが、どれだけ……っ」
次の瞬間には堪えていた涙がぼろっと零れた。言葉もなく落ちる涙を手で拭う。暫くそうしていると、「折原」と声がした。山宮が顔面蒼白でこちらを見ている。
「お前さ……やっぱり周りに興味ないんじゃね」
きっと謝るような言葉を言うだろう、そう思った朔也の心に鋭い矢が突き刺さった。
「今、なに言ったか分かってんのかよ。自分だけが努力してると勘違いしてね? お前が見てないところで努力してるやつがいるって、考えたことないんじゃね」
言葉は淡々としていたが、真っ白な顔が感情を如実に表している。
「お前……俺がたった一人で活動してるのをマジで平気だと思ってんのか? 誰とも楽しさを共有できねえ、誰にも悩みを相談できねえ、限られた人にしか評価されねえ、そんな毎日を平気だとでも?」
山宮が、怒っている。それに気づいた朔也の涙が引っ込んだ。
「山宮、あの、ご、ごめん、おれ」
「ひっでえな……折原がそんなこと言うなんて思わなかったわ……きっつ……」
山宮がふいと目を逸らした。ズボンのポケットから出た右手が朔也の胸をどんっと叩いた。
「これ、返すわ」
その手から紺地に金糸のお守りがぽとりと落ちた。
「もう、俺と仲良しこよししなくていいから。浮かれてた俺がバカだったわ。だってお前」
そこで俯いた山宮が、はっきりと通る声を出した。
「俺がお前のことを好きだなんて、全然分かってねえんだもんな」
広い体育館が、しんと静まりかえった。これまでの罰ゲームとは違う、山宮の本気の告白。こぶしのぶつかる胸がどくんと大きな音を立てた。
「五月から何度も言ってんのに伝わってねえみてえだから、今、言うわ。俺、お前のことが好きなんだわ」
心臓がとくとくと音を立て始める。見下ろす黒髪のつむじがはあと息をついた。
「あー……気持ち悪りいとか文句はあとから受けつけるから、とりあえず聞け。つまりな、クラスにいるかどうか分かんねえような俺だから、あんな罰ゲームも割と真剣だったわけよ。変なやつでもいい、印象に残りゃいいって半分やけっぱちだったわ。宿題教えろとか、結構勇気出して言ったんだぜ? でも、よく分かった。お前は俺だけじゃなく誰にも興味ねえんだな。俺がどんなにお前の気を引こうとしたって意味ねえんだな」
はは、と俯いた黒髪が力なく震えた。
「最近、お前が俺のことを認識し始めたかと思ってたけど、勘違いだったみたいだわ。お前から見た俺って、ぼっちで部活やってる孤独なやつなんだな。お前が下校放送に気づいてからは、きっと書道室で聞いてんだろって孤独じゃなかったんだけどな……」
山宮の声は悲しみの色に染まっていて、それを聞いていた朔也は激しい後悔に駆られた。お守りを渡そうとしたときと同じ、今、心が痛いのは自分ではなく山宮だ。
「気色わる……引かれるって分かってたのに、言っちまったわ。俺バッカじゃね……」
そこで唯一触れていた山宮の手がすっと下りた。
「……というわけで、今から文句の受け付けを開始するわ。赤点スレスレ……なんとかハスキーの戯れ言に対する罵りがあったら遠慮なくドーゾ」
俯いたまま決して顔をあげない山宮と、床に転がったお守りを見、朔也はお守りを拾った。だが彼はなんの反応も見せない。紺色のセーターの肩が強張って、襲い来る痛みに構えているように見えた。
「……山宮」
朔也が名前を呼ぶと山宮がびくっと体を揺らした。ぎゅっと握ったこぶしに更に力が入る。
怖がっている。おれの言葉に傷つくんじゃないかと怯えている。おれと同じだ。人の本音と向き合うのが怖いおれと同じなんだ。そんな山宮を、おれはまた傷つけた。
「……本当にごめん。言っちゃいけないこと言った。考えなしの発言だった。ちゃんと謝りたいんだけど」
朔也は壁にある時計を見た。シンプルな白い文字盤に黒の針が三時半を指している。
「今日の下校放送は何時なの?」
すると山宮が顔をあげ、朔也と同じように時計を確認した。顔色を失いぼんやりとした目で頷く。
「下校放送はしねえ。今日俺が学校にいるのは自主練だから。でも、行くわ。コートとか鞄とか、放送室に置きっぱなしだし」
山宮が暗に帰ることをにおわせたので、朔也はすぐに足下の紙をたたみ始めた。
「これ、すぐに片づける。終わったら放送室に行くよ」
すると山宮は「来なくていい」ときっぱりと言った。
「来なくていいわ。もう言うことねえし」
「おれはある」
朔也の言葉に彼が口を開きかけたそのとき、きゅるるる……という小さな音がした。ぱっと山宮が腹を押さえたので、思わず噴き出す。
「山宮、お腹が空いてるの?」
朔也の問いに彼は少し赤い顔でこちらを睨んだ。
「うっせえ。食堂やってねえの忘れてて、昼飯を食い損ねたんだわ」
「じゃあコンビニになにか買いに行こうよ。学校近くにある公園に行って食べよう」
「……でも俺は」
「先に帰っちゃ駄目。すぐ片づけるから」
朔也は強引にそう言うと、紙を巻き取って立ち上がった。所在なさげにそわそわと原稿を握りしめる山宮に笑顔を向ける。
「細かい話はあと! まずはコンビニ!」
朔也は明るい声を出し、山宮を追い立てて体育館をあとにした。
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