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第42話 卒業式パフォーマンス1
【七】
「折原君、これ」
朔也は渡された白いたすきの端を口に挟み、左の下からぐるりと回して心臓の上できゅっと結んだ。腕を動かし、浅葱色の袂が邪魔にならないか確認する。少し短めの袴もおかしくないようだ。裸足で立つ廊下の冷たさが今は心地いい。
廊下に並べられた墨池に今井が真剣な顔で墨汁を注いでいたが、別の部員が彼女に声をかけてたすきを渡した。第一体育館から卒業生たちが歌う校歌が聞こえてきて、パフォーマンス直前の書道部員たちの顔が引き締まる。
「皆、集まって」
部長の声に高揚感と緊張感に包まれた十数人が小さな輪になる。部長が中央へ手を出すと、全員がそこへ手を合わせた。
「このメンバーでこのパフォーマンスを披露できるのは一回限り。泣いても笑っても二度とできないパフォーマンスよ」
部長の凜とした声に、朔也もぐっと気持ちを引き締めた。
「先輩たちに恥ずかしくない最高のパフォーマンスにしよう!」
『はい‼』
皆の大きな声が重なる。
体育館のほうから別の合唱が聞こえてきた。在校生による送別の歌だ。
卒業生は退場曲とともに体育館から校舎二階へ移動する。校庭を囲うコの字型の廊下に卒業生が並び、書道パフォーマンスを鑑賞したあとにそれぞれの教室へと帰っていく。卒業生にとっては体育館から教室に戻る隙間の時間だ。
だが、その隙間の時間に書道部は全てをかける。
朔也は自分の筆を握った。ぐっと中指に力を入れて持つ。大丈夫だ、違和感はない。
「さあ墨池と筆を持って。校庭に出よう!」
部長の合図で部員たちは校庭に飛び出した。真っ白な紙の周りを二手に分かれてぐるりと回るようにスタート地点へと向かう。空を振り仰げば真っ青な快晴で、日差しの強さがそこまで来ている春を思わせる。
ふと校舎を見て朔也は驚いた。三階や四階の窓からたくさんの在校生たちが興味津々でこちらを見ている。手を振るクラスメイトたちを見つけて、そうか、と思った。体育館にいる在校生は二年生だけ。部活や委員会の先輩たちを送る一年生は校舎内で待機しているのだ。
「書道部、整列!」
部長の言葉に朔也は定位置で背筋を伸ばし、校舎を見上げた。太陽がそちらの方向にあって、眩しさに目を細めたくなる。
そこへパッヘルベルのカノンと拍手が聞こえてきて、暫くすると涙に目を押さえた卒業生たちが出てきた。口元に笑みを浮かべていた彼ら彼女らが、校庭に敷かれた真っ白な紙と袴姿のこちらに気づく。「書道部だ!」と誰かの叫ぶ声がした。たちまち二階が卒業生で溢れかえる。一緒に初詣をした先輩の顔も見えた。
ざわめきと校庭に吹き抜ける風の中、朔也は深呼吸をした。
泣いても笑っても、これが一年の集大成。大会の選手になれずに泣いた。パフォーマンス用の字を目指して、自分の字を見失った。書道に背を向けて逃げようとしたことも、怪我に恐怖したこともあった。そうやって自分と向き合いながら、大切なものを見つけることができた。
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