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第5話 鍵と鍵穴 5

ピチャン……  遠くの方で水音が聞こえた。その音に重なって、ゴクゴクと喉がなり、水分が体に浸透していく音が聞こえる。  まあ、そんなのただの比喩で、実際は食道を駆け抜けて、胃の壁に当たりながら底に溜まり、流れ落ちた最後に僅かに貯水される音が聞こえてくるだけだ。  湖面に水紋が生まれて、それが消えるまでの音を確認した。  最初の水音はシャワーのヘッドから落ちた水滴、喉がなってるのは、蒼が水を飲む音だ。  嚥下の最後に「はあっ」と吐き出された音が、とても色香を含んでいて、俺の神経がそれを拾って喜んだ。思わずふっと笑みが溢れた。 「翠、起きた?」  センチネルほどではないけれど、割と耳のいい部類に入る蒼は、俺のその楽しげな息遣いが聞こえたようで、優しく微笑みながら問いかけてきた。  俺は遠くの音に意識を向けていたから、聴覚はかなり過敏になっている。蒼はそれを見越して、優しい声で聞いてきたのだ。その思いやりもこそばゆい。  愛されてんなーと浸っている幸せな俺は、まだ目を開けていない。急な刺激は負担になる。目を閉じたままのやり取りが、朝の定番だ。  ゆっくり意識を近くに戻す。ふと気がつくと、ふんわりとコーヒーのいい香りが立ち込めていた。  俺は鼻も効くけれど、その感度を調整することが出来る。だから、世間一般的にいい香りだと判断されるものには、そう感じる事が出来る程度の嗅覚レベルに合わせて、周りとの協調性を保つことも可能だ。  蒼がコーヒーを入れたカップを二つ載せたトレイを持って、歩いてくる。一つはブラック、一つは甘めのカフェオレ。歩くたびに揺れる液体の濃度が違う。移動するエネルギーも違う。俺がもらうであろうカフェオレは、右側のカップに入っている。  カチャカチャと軽い音を立てながらこちらへやって来ると、俺のすぐ横に座りこんだ。  長い指で俺の髪を梳いて、その手触りを楽しみながら、返事を待っている。  俺は、蒼にこうやって髪を触ってもらうのが大好きだ。起きたばっかりなのに、うっかり眠ってしまいそうになる程に気持ちがいい。許されることなら、永遠にくっついていたいくらい、蒼に触れるのは気持ちがいい。 「ぅはよ。蒼、もう体平気? ごめんな、昨日ガイディング大変だっただろ?」  俺はまだ起き抜けで、いきなり集中のベクトルをいじったものだからぼーっとしていた。  体ごと動くには少し怠くて、横になったまま首だけを蒼に向けた。  昨日はその筋肉質な体の重たさに負けてしまって、ベッドまで運ぶのをすぐに断念してしまった。二人とも廊下で寝てしまったから、起きると体に痛みが出ているかもしれないのが少し心配だった。蒼に肉体的な疲労が残ってしまうと、俺に何かがあった時に二人で共倒れになってしまう。 「うん、大丈夫。どこも痛くなってない。いっぱい布団持ってきてくれたんだな。ありがと」  いつまで経っても起き上がらない俺に痺れを切らした蒼が、「はい」と手を差し出してきた。俺はその手をとって、引っ張られるより先にグイッと引き寄せた。  でも蒼はそれを予想していたようで、ニヤリと笑うと、俺の予想より強い力で引き寄せ返してきた。 「わ、わ、わ、……んぶっ!!」  俺は、蒼の厚い胸板に思いっきり顔をぶつけながら倒れ込んだ。蒼はすかさず俺をぎゅっと抱きしめると、心底楽しそうな笑い声を上げて、啄むようなキスをしてきた。 「俺の視線とか筋肉の動きとか見れば予想できそうなのに、本当に俺には警戒心ゼロだなあ。だめだぞ、そんなんじゃ。いつか誰かが俺のフリして騙してくるかもしれないぞ」  まあ確かに、防御しようと思えば出来た。その証拠に、俺、倒れる方向と衝撃を予想して、コーヒー溢してないから。せっかく蒼が淹れて来てくれたコーヒー溢すなんて、勿体無くて出来ないだろ? 「騙されねーし。それくらい見抜けないで|特級センチネル《パーシャル》なんて名乗れねーよっ」  蒼はそんな俺を見てふっと微笑むと、抱え上げて膝の上に座らせた。優しくて大きな手が俺の後頭部を包む。俺は蒼の首に手を回し、やや上目遣いにじっと見上げた。  今はケアの時間じゃない。お互いに思いっきり甘え合える、貴重な恋人タイムだ。 「おはようのキスは、軽くじゃ足りないのか?」  蒼はそう言って笑いながら俺の口を塞ぎ、貪るように噛みついてきた。 「んっ」  じゅっと音を立てながら、口から溢れる欲を一滴も溢さないように、吸い上げられていく。強く吸われると、体から自分が抜け出して、蒼と溶け合うような気がする。  蒼は片方の手をぎゅっと絡ませて繋ぎ合うと、もう片方の手を俺の背中に手を回し、冷えて冷たくなった肌の上をそろそろと滑らせていく。   「あっ……ふぁっ……んんっ」  何度も短く息を吐きながら、脇腹やへその周りをつうっと優しく撫でる蒼の手のひらの感覚に意識を集める。  大きな手がスススッと移動するたびに、軽い痺れのようなもどかしさが腰を走っていく。 「は……あ、それ好きっ……ん」  何度も繰り返されると、ゾクゾクとする感覚がだんだん波を大きくしていく。  気持ち良くて落ち着かなくなり、足をモジモジと擦り合わせた。 「あっ!んんん……あ、と、つけんな……よっ……ん、ん、ん!」  そのゆるゆるとした気持ちよさに身を委ねて目を閉じていると、唇がゆっくりと首すじに触れた。  押し当てて、吸い付いて、さらにくっと締める。それを勿体ぶるように、ゆっくりと、そっと、離していく。  行動の一つ一つにある余韻が、刺激だけじゃない気持ちよさと期待を生んで、どんどんたまらなくなっていく。  もっとたくさんして欲しい、もっと色んなところに触って欲しい。  甘やかされて震える体には、次々と熱が湧き上がってきている。前がいつの間にか光って、ぬるぬるとしていた。

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