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第26話 シグナル、トランス、レシーブ3

 電話を切った後、俺たちは急いで外出の準備をした。夜中だし、雪だし、家に誰もいなくなるしで、厚着したり戸締りしたりしていたら、予想以上に家を出るまでに時間がかかってしまった。次に父さんから電話がかかって来た時には、釈放になるための話し合いをするから、警察署ではなくVDSに来るように言われた。クリスマスの夜、鉄平と恋人同士で過ごそうと楽しみにしていた夜に、警察沙汰に巻き込まれようとは、思ってもみなかった。  タクシーに乗ってVDSに向かう道中、だんだん怖くなってきた俺は、心細くなって震えていた。その俺の手を、鉄平がそっと握りしめてくれた。 「辛いことは半分に分け合う、それが能力者の特権だって教えてもらったんだろ?」  そう言って、俺の辛さをその手から吸い取って、鉄平を通して優しい気持ちに変えてくれた。俺はそれを注がれることでだんだん満たされていって、VDSに着く頃には、恐怖は影も形も存在しなくなっていた。 「うん。ありがとう。なんかめっちゃ幸せな気持ちになった」  絡ませて握った手にキスをすると、鉄平は照れくさそうに笑っていた。  ペントハウスのすぐ下、内階段で繋がったフロアに、果貫さんと田崎さんがいた。そして、そのすぐ近くのソファーに座って頭を抱えている父さんがいた。 「父さん!」 「あ、翔平! 鉄平くんも……ありがとう。ごめんな、こんな、よくわからないことに巻き込んでしまって……」  申し訳ないと言って頭を下げる父さんに、鉄平は寄り添ってくれていた。そっと背中を摩って、励まし続けてくれていた。  母さんが逮捕されるなんて、一体何が起きたんだろう……父さんがこんなにも落ち込んでいるなんて、余程の事があったんだろうというのは想像に難くない。でも、あの母さんが、一体何に巻き込まれるっていうんだ……。頭が良くて、明るくて、豪快で。事件とか警察とかもっとも縁遠いタイプだと思ってた。 「翼さんが逮捕されたって言うのは本当ですか?」  事務所の奥の方の扉が開いて、髪を振り乱した状態の鍵崎さんが走り込んできた。VDSは国からの信頼が厚い機関として、警察との情報共有が認められている。そこのトップである鍵崎さんが、事態を把握していないとなれば、警察の身勝手な行動と捉えて訴えることもできるのだそうだ。  短い期間しか知らないけれど、俺がこれまで見て来た中で一番激しい感情を秘めているようだった。なんとなく、鍵崎さんの後ろに、ぼうっと動物のようなものが見え隠れしていた。激しい怒りが漏れ出るたびに、それは形をはっきりとさせていくみたいだった。 ——あ、あれスピリットアニマルだ。龍……?  スピリットアニマルが神獣になる人は、かなり力が強いって聞いたことがある。そういえば、鍵崎さん、いつものセーブするツールを何も身につけていないみたいだ。でも、それだと気が狂うかも知れないのに……俺の心配をよそに、鍵崎さんは田崎さんと情報のすり合わせを始めた。 「田崎、翼さんが犯人だとされた理由は何になってる?」 「はい、これです」  田崎さんが、やや強張った表情で、壁にかけてあるディスプレイに、警察から送られてきたと言う資料を映し出した。そこには、信じられない事が書かれていた。 『大垣晶の遺体が身につけていたマメンツから、真野翼の爪が検出された』  ……大垣晶の遺体? 大垣さん、亡くなった……? 「鍵崎さん、大垣さんって行方不明なだけじゃなかったんですか? 遺体って……亡くなったんですか?」  鍵崎さんは一瞬チラリと俺の方を見た。そして、なんでもないことのように視線を逸らしながら「ああ、そうらしい」と言い放った。俺はその態度がなんだか気に入らなくて、少しカチンと来ていた。いつもの鍵崎さんらしくない。思わず食ってかかろうとしたところを、鉄平がグッと肩を掴んで制止した。 『何か理由があるはずだ。あの人、めちゃくちゃ情に厚い人だから。信じて大丈夫だ』  そっと小さな声で教えてくれた。そして、背中を温かい掌でじわっと温めてくれた。そうだ、そんな事に腹を立ててる場合じゃない。  それに、鉄平の言う通りだ。平和に生きていくことも、それこそ国の要人も海外の要人も手玉に取れそうなほどの能力者が、わざわざ弱者の救済を目的とした組織を立ち上げているんだ。そして、その前線で活躍し続けている。その行動だけを見ても、鍵崎さんは信用に値する人だ。そこを疑うなんてことは、自分を救ってくれたものを全て否定する事にもなる。それこそ、時間の無駄だ。  それよりも、母さんがなんで逮捕されて、どうしたら釈放してもらえるかを考えなければならない。言われずとも、母さんが無実なのは間違いないと信じていた。ただでさえ、生きづらい人生を耐えて生き抜いてきた母さんに、家族として幸せな日を1日でも多く送ってもらいたいんだ。とにかく早く、出来る協力をしなくてはならないと、そう俺は思った。 「マメンツはまあ、ボンディングしてたんだから翼さんのものが入っているのは当たり前だ。証拠はそれだけなのか? そんなの物証にならないだろう。状況証拠でもあるのか?」 「いえ、特に無いようです。ただ、大垣さんが長年ストーカー被害に苦しんでいたと言うこと、そのストーカーが女性だったと言うことで、翼さんに疑いがかかったようです。そこに翼さんの爪が現場から見つかったので……やや早急な判断だとは思います」  信じられない、と鍵崎さんは頭を抱えて座り込んだ。ここ最近、警察の早急な判断によってVDSが振り回される事が増えているんだそうだ。だから鍵崎さんはいつも疲れていて、その度に果貫さんがケアをするけれど、なんとなく疲労が蓄積されることが多くなったらしい。今日も下に降りて来た時から、なんとなく疲れていたようだった。  俺が心配でそわそわしていると、鍵崎さんの隣に果貫さんがそっと座った。 「あっ、なんだコレ。なんか空気が変わった」  そこに果貫さんが座っただけで、本当にそれだけで、その場の空気が瞬時にふんわりと軽やかなものに変わった。その事に驚いていると、どこからともなく、ふわふわと華やかな香りが漂ってきた。 ——好き、愛してる、幸せ。大切、一緒、変わらない。  とても前向きで穏やかな香りだ。そして、果貫さんは徐に鍵崎さんの手を取り、目を瞑ってじっと何かを待つように動かなくなった。 「あ、なん……か、あれ? 消えた?」  しばらくすると、鍵崎さんの周りに見えていたスピリットアニマルが姿を消した。それと同時に、鍵崎さんと果貫さんの周囲にアクアリウムのような透明な壁が現れた。その壁の一部には、まるで小石をぶつけられたガラスのような欠損箇所があった。果貫さんは、握っている鍵崎さんの手を、ぎゅっと力を入れて握り直した。すると、だんだんその透明な壁が修復されていくのが見えた。やがてそこには、光を帯びた透明な壁が出来上がった。 「ガイディング……シールドの補修なんて初めて見た!」  鉄平が大きく目を見開いて、子供のようにはしゃいでいた。俺もそんな気分になっていた。なんてすごいパワーを放つんだろう。圧倒されるとかそう言うのじゃなくて、すごく幸せな気持ちにさせられる。母さんが逮捕されていて、幸せなんて感じられる状況では無いのに、すごくすごく幸福で満たされた感じがしていた。  ミュートの父さんには、何が起きているのかわからないらしくて、少し焦っていたけれど、そこは田崎さんがしっかり説明してくれていた。 「よし、翠、大丈夫か? ちょっと取り乱し過ぎてたから、気になって。勝手にごめんな」  そう言って、にっこり微笑んだ果貫さんは、顔が青白くなっていた。そうだ、センチネルはガイドにケアしてもらえるけれど、ガイドはそれをしてもらえない。だから、消耗したら自力で回復するしか無いんだった。 『俺はそれがいつも申し訳なく感じる。だから、ケアの後に出来ること、恋人の俺にしか出来ないことは必ずするようにしている』  鍵崎さんが以前言っていたことだ。確かに、今、鍵崎さんは申し訳なさそうな顔をしている。少し泣きそうな顔をして、果貫さんの頬を撫でている。果貫さんは果貫さんで、そうやって鍵崎さんを心配させるのが嫌なんだろう……立ち上がって、部屋へと引き返して行った。 「俺、少しだけ休んでくるから。打ち合わせ進めておいてね」  ポンと鍵崎さんの肩に手を置いて、ほおにキスをしていなくなった。一瞬寂しそうな顔をした鍵崎さんは、こちらに振り返ると、さっきよりは随分と余裕のある顔をして、俺たちへと告げた。 「四十八時間以内に、翼さんの犯行ではないという証拠を探しましょう。案外簡単に釈放されるかも知れません。それくらい、今回の逮捕は杜撰です」  俺は頷いた。マメンツは、母さんが渡したものだ。それは、大垣さんから頼まれて作って渡したものだ。それを、殺人の証拠と言われているってことは、マメンツを大垣さんが頼んで作ったものだと言うことが明らかになればいいはずだ。それに、殺してない証明をするためには、死因がわからないと難しい。死因の特定は警察の仕事だ。でも、今回もっとも信用ならないのも、警察だ。 「鍵崎さん、マメンツは大垣さんが母さんに頼んだから作ったんですよね? それを証明出来るものがあればいいんですよね。それと、センチネルが遺体と対面すると、死因がわかったりはしませんか? センチネルの能力でそれを明らかにすることは出来ませんか? もし出来るなら、俺……」  大垣さんの遺体と対面して、そこから見えるもの、聞こえる音、匂い、感触から事実を知りたい、そう思っていた。親が人殺しを疑われているんだ。それくら、やれる、そう思ったから。でも、俺のその考えは、冷たくあしらわれた。 「センチネルが遺体と対面して証拠を集めることはできる。でも、お前はダメだ」 「っど、どうしてですか?」 「だってお前、容疑者の息子なんだぞ。公平な判断なんてできるわけないし、認められない」 「でもっ! 俺……」  鍵崎さんは、一度も俺の方を見ようとしない。俺の言葉も聞いてくれない。なんでだろう、俺何かしたんだろうか……そう思っていたら、すん、と何かの匂いに気がついた。どこかで嗅いだ事がある匂いだ。それは、鍵崎さんから漂っていた。すごく、悲しくて、苦しくて…… ——申し訳ないと思ってる人の匂いだ……。  俺は鍵崎さんの前に立ち、無理やり顔を覗いた。そこには、真っ赤になってギリギリ涙をとどめた大きな瞳があった。俺はガイドじゃないから、直接伝わってくることは無い。でも、その目と体から湧き立つ香り、体温の全てが、俺にうるさいくらいに告げてきた。 『ごめんな。必ず犯人探してやるから。抑えろ。消耗するんじゃない』  鍵崎さんの腕を掴んだまま黙込んだ俺を見て、鉄平が近づいてきた。そして、俺の手をそっと掴むと、鍵崎さんの手も握った。鍵崎さんは今最高クラスのセンチネルだ。その人の手を掴めば、鉄平にはかなりの痛みが走るはずだ。それでも、涼しい顔をして二人のセンチネルをソファに連れて行き、座らせた。 「で、大垣さんが殺されたのはいつなんですか? ストーカーについての詳報もお願いします」  冷静に話を進めようと、田崎さんへ先を促していた。田崎さんは、鉄平のその態度を見てふっと笑いをこぼした。 「いいですね。その態度のデカさ、嫌いじゃ無いですよ」  そして、事件の詳細と時系列を説明するべく、別のデータを開いた。 「私が集めた情報によると、翼さんには犯行は不可能です。その証拠も簡単に集まります。むしろ、なぜ警察がこんな簡単なことを仕掛けてきたのかを知ることが重要だと思います」  そう言って、その根拠を説明し始めた。  それは、ここに近づきつつある、あの不躾な警察センチネルの人生に、深く関わりのある話だった。

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