30 / 35

第30話 シグナル、トランス、レシーブ7

「ここから先はセキュリティの都合上、目隠しをしていただかなくてはならないので、すみませんがご協力お願いいたします」  そう言われて、アイマスクを手渡された。VDSの社長と副社長が同棲している場所だから、部外者の立ち入りを厳しく管理しているんだそうだ。これから俺が通される部屋には、窓も無いらしい。生活する上で慎重にならざるを得ないことが多くて、大変だなと思った。護衛がついているようなことはあまり無いけれど、逆恨みの心配があることもあるので仕方ないのだろう。社会のために働いているのに、命を狙われるなんて理不尽だけれど、世の中には理屈が通らない人がいるから自衛しないといけないのだそうだ。  最上階につくと、開いた扉の向こうには、毛足の長いカーペットが敷かれていた。俺がこれまでに経験したことが無いくらいにフカフカで、歩いても足音の全てが吸い込まれて消えていった。 「うわ、すごい。さすがお金持ち」  驚いてしまって思わず口からこぼれた言葉を聞いて、果貫さんはクスッと微笑んだ。そして、「手を握りますね」と言って、俺をエスコートして部屋の中へと招き入れてくれた。そして、ゆっくりと歩いてはいくつかのドアを抜けていったのがわかった。しばらく歩き続けた後、「失礼しますね」と言ってアイマスクをそっと外してくれた。 「もう目を開けていただいて大丈夫ですよ」  オレンジ色にぼんやり光る部屋の中に、煌めく鶯色とレモン色の光の粒が散りばめられている。照明とデスク周りの小物が作り出す光の反射だけが装飾だった。重厚なのに淡く、存在感があるのに優しい景色が広がっている。そんな目の前に広がる部屋の様子を見て驚いている俺を見て、果貫さんはまた微笑んでいた。 「翔平くんと同じで、翠は耳と目がとても敏感なんですよ。だから、防音はレコーディングスタジオ並みにしてあります。ライトもダウンライトメインで、私は寝不足だとうっかり眠ってしまうくらい、目に優しいんですよ。こうでもしないと、家でもずっとツールが必要になってしまうんです。翔平くんもおそらく、同レベルのセンチネルです。後々、こういう暮らしが必要になると思います」  翔平にこのレベルの暮らしをさせてやらなければならない!? と考えて頭の中の計算機が忙しなく稼働した。いや、いくら考えてもそんなの無理に決まっている。この暮らしが、どの程度の資金を必要としているのか、想像することも出来ないレベルの庶民なのに……。そんなの無理だと呆然としていると、また果貫さんが楽しそうに笑った。 「VDSで働けば、国から補助金出ますよ。お金持ちだからとか贅沢な暮らしがしたいからじゃなくて、こうすることでレベルを保って行かないといけないんです。それが結局は国のためになりますからね」 「それにしたって、ここまでの生活は見たことがありませんよ」  そう囃した俺に、果貫さんはキリッとした表情を向けてきっぱり言い切った。 「だって、愛する人のためですから。センチネルを愛したのなら、ガイドは必死になります。あなたもそうだったでしょう?」  そう言われて、俺は遠い日の晶を思い出していた。  視覚に優れていた晶は、逃亡している人を人混みから探したり、膨大な量のデータからバグを見つけたり、とにかく目を酷使することが多かった。だから、俺は家のライトを全部暖色系のものに変えたり、家の中にはほぼものをおかず、目をつぶっても生活できるような状態にして、極力視覚に頼らなくていいような部屋づくりをしていた。どうしても何かが必要な時は、俺が別室から持ってきたりして対処していた。  確かに、言われてみればその通りだ。贅沢な暮らしをしているのではなく、ゾーンアウトしないような工夫、少しでも不快感を減らすための工夫がされているだけだった。 「あ、翔平くんがここに来ました。下の階から内階段で上がってくるので、玄関からこちらまで連れてきますね」 「わかりました」  そして、また足音をさせずに玄関へと戻っていった。  普段、機密情報を扱うときに使用する部屋だと言っていた。だから、どこからも盗聴や盗撮をされないために、窓が無い構造になっているのだそうだ。ただし、狭くは無いので、圧迫感はそこまで酷くは無かった。 「本当に、難儀な人生だなあ。強すぎる能力ってのは、本人も大変だ」 そう呟いた時、入り口のドアが強目にガチャっと開けられた。翔平が入ってきたのかと思って、パッと顔を上げると、そこには息を切らしている鍵崎さんがいた。後ろの方から、翔平と果貫さんが走ってくるのが見えた。一体何事だろうと驚いていると、鍵崎さんがもすごい勢いで俺の肩を掴んで詰め寄って来た。 「釈放おめでとうございます。あの、つ、つ、翼さん、ちょっとお伺いしたいことが……」  興奮しているのか、ものすごい勢いでゼーゼー言っている鍵崎さんの勢いに気圧されながら、俺は黙ってコクコクと頷いた。ドアを突き破らんばかりの勢いで入ってきて、いきなり俺の肩を掴んで振り回している。そんな人に頼み事をされて、断る術なんて俺には無い。慌てて戻ってきた果貫さんが、俺たちを「とにかく中に入ってからにしよう」と部屋の中へと押し込んでいった。 「すみません、翼さん。いきなり失礼しました。翠、ちょっと落ち着いて……ゾーンアウトしちゃうよ。本当にこの件になると冷静じゃなくなるんだから」  鍵崎さんは、それでも俺の肩から手を離さなかった。仕方がないので、果貫さんが俺と鍵崎さんの二人を「よっ」と言いながらまとめて抱き抱えて、ソファのあるところまで連れていってくれた。大人二人をまとめて抱えて、顔色ひとつ変えずに運んでいく姿を見て、また驚いてしまった。その俺の様子を見て、察したらしい果貫さんが、ニヤッと笑った。 「レベルが高いのに奔放なセンチネルのペアは大変なんですよ」  そう言って、俺と鍵崎さんを下ろした。翔平は後からついてくると、鍵崎さんとは反対の隣に座った。そして、ぎゅっとハグをしてきてくれた。 「母さん、戻って来れてよかった。もちろん戻って来れると思ってたけどね。ただ、ちょっと鍵崎さんの話を聞いてもらえる?」 「えっ? あ、うん、いいけど……あの、出自の話はいいのか? ……っと、ごめん」  俺は、ここ数日ずっと本来の話し方で話していた。これまで、一度も翔平の前では男を出したことは無い。きちんと考えて、女性らしく話すように気を付けていた。今うっかり男の状態のまま声をかけてしまったことで、翔平を傷つけてしまったかもしれない。急な事だったとはいえ、うっかり口を滑らしてしまった自分が嫌になった。 「言葉のこと、気にしないで。俺、時々その話し方聞いてたよ。聴力のコントロールが出来なかった時、父さんに嘆いてたりしてる声が聞こえてしまってたんだ。今になってその声が母さんだったってわかっても、あんまり違和感ないよ。それに、俺、慣れたい。だから、自由に話してよ」  ぎゅうっと音がしそうだった。胸が締め付けられるって、こういうことを言うんだろうか。翔平のために、ずっと女性らしさを研究して来た。そして、出来ることはやるようにしてきた。普通のお母さんならこうする、普通のお母さんはこれはやらない、普通の……そうすることで、翔平を取り上げられないように頑張っていた。その翔平本人から、自由にして欲しいと言われている。そんなことがあるのだろうか。どうにも信じられなくて、そうすると失うものが大きい気がして、どうしても首を縦に振る事はできなかった。 「わかった。じゃあ、少しずつ行こうよ。取り敢えず、うっかり口からこぼれたときに謝るのは無しで!」  そう言って、にっこりと笑うと、俺の首を鍵崎さんの方へ向けた。人形のように首を捻られ、少し痛かったが、その優しさが身に沁みていたので黙っていた。 「鍵崎さん、私にお話というのは……」  俺が問いかけていると、鍵崎さんはポケットからスマホを取り出して、ある写真を見せてくれた。 「あなたは、この人をご存知ですか?」  そこには、斜めに流した前髪と丸いフォルムに特徴のある、艶のある黒髪の青年が写っていた。色白で儚げで、瞳が大きく、その周りを髪と同じ艶のある黒々としたまつ毛がびっしりと覆っていた。骨格の丸さや唇の艶が女性のようだったが、そこに載っていた名前は「池内大気」という、男の名前だった。 「いえ、知りません。すごくお綺麗な方ですね。一度お会いすると、忘れないと思います」 「そうですか。では、この方はご存知ですか?」  そう言って、次に出された写真を見て、ゾッとした。そこに写っていたのは、あの女だった。いや、コイツも男だったな。女装癖のある、むかつく男。晶の店の常連で、かなり長いこと通っていると聞いたことがある。ずっと俺に嫌がらせをしてきて、別れろとしつこかった男。俺と晶が別れた直後から晶に言い寄っていたと聞いていた。 「野明未散、ですよね。晶のことが好きだったやつで、俺が晶と付き合ってる時から嫌がらせをして別れさせようとしてました」 「やつ、とおっしゃるということは、野明が男性だとご存知な訳ですね」 「はい。あの、見たことがあるので、股間……」 「そうですか。実はこの男、翔平くんを誘拐した犯人なんです。先ほど翔平くんに確認してもらいました。そして、先ほど見せた写真の男と同一人物なんです」 「えっ!? さっきの男性、未散なんですか? 俺、女装した姿しか見たことが無かったから……」  驚いてしまった。晶と暮らしていた時、未散は何度も現場に現れては工事を妨害して、俺に仕事での失敗を繰り返させていた。かなり会社に迷惑をかけたのだけれど、社長が未散を警察に通報してくれていて、仕事の邪魔がなくなって以来、顔を見ていなかった。ただ、晶と別れてからは頻繁に店に顔を出し、かなりしつこく言い寄っていたとは聞いている。それでも、晶は周りに助けられてなんとか上手くかわしつづけていたそうだ。 「あの、未散は捕まったんですか? なんで翔平を誘拐する必要があったんですか?」  未散がまだ晶のことを好きだったとしても、翔平を誘拐する理由がわからなかった。俺はすでに別れているし、晶とよりを戻すことは絶対にない。それなのに、俺ではなく、俺の家族に手を出したのは、なんでなんだろう。 「多分、俺のことを母さんと間違えたんだよ。あいつ、言ってたもん『変わらなさすぎてむかつく、翼』って」 「そういうことか……じゃあ、俺が今も晶と付き合っていると思ってたってことか……それならわかる。そうか、捕まったんだ。バカだなあ、とっくに別れてるのに。新しい彼がいることだって知ってたんじゃないのかよ」  そう言って、未散の写真を眺めていた。その時、ふと思った。そして、ひとつ前の写真をスワイプして表示した。やっぱり、姓が気になった。 「池内……」  永心家にとっての呪いと言われている「池内」。その姓と同じだ。それに、この男と未散が同一人物というなら、どちらかは偽名ということになるんだろう。どうして見た目も変えて偽名を使う生活をしていたんだろうか。考えてみたら、未散は精神的に破綻していたので、あまり深く関わったことがない。人となりを全く知らないのに、一方的に恨まれていただけだった。ただ、どことなく悲壮感が漂っていて、何か事情があるのだろうなとは思っていた。ただ、Sarasvatiの常連たちは、みんな何かしら抱えている人たちばっかりだったので、特に気にも留めなかった。何か話を聞いてあげていたら、犯罪に手を染めたりしなくて済んだのだろうか……と少し感傷的になり、詳しく聞いてみたくなった。 「あの、未散は刑務所に行くんですか? 執行猶予とか付くんですか?」  それに対して返ってきた言葉が、衝撃的だった。そこには、あの腹黒い政治家が絡んでいるに違いないと思わずにいられなかった。 「野明未散は、今朝遺体で発見されました。自宅のあるマンションの屋上から飛び降りたそうです」

ともだちにシェアしよう!