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第31話 レベル0、悲しみのインフィニティ1

「さっきSarasvatiで俺、鉄平、父さんで母さんのランチを作った後、ケイさんが色々写真を見せてくれてさ。みんなで見てたんだよね。母さんの昔の……男らしかった時のも見たよ。俺、本当に似てるんだなって思った。……あ、でね。その常連さんたちの写真の中に、未散もいるわよって言われて。母さんに嫌がらせしてたやつ、どんな顔なのかなって思って写真見たら、俺を拉致ったやつだったからさ。ただ仲が悪かったくらいの話だと思ってたから。まさか晶さんをストーカーしてたなんて……。それ知ったらなんかめちゃくちゃ怖くなったよ」  時計の針は、16時を指していた。窓のない部屋では、他に時間を知る術がなく、この時計を信じるしか無かった。ここに戻ってきて2時間近く経った。やっと自由になれて、翔平と二人で話した後にはゆっくり昼寝でもしようかと思っていた。そんなところに、息子の誘拐に関する詳報が流れてきた。眠気など吹き飛んでしまったけれど、体は疲労のためか、鉛のように重かった。 「それにさ、お店を出ようとしたらすごい形相の永心さんと野本さんが入ってきて、野明未散が自殺したって教えてくれたんだよ。俺、被害者だっただろ? だから、犯人の確認と、その死亡について連絡しないといけないからって。そしたら、野明未散の爪から晶さんの皮膚片が見つかったって言われてさ……」 「ひ、皮膚片? ど、どういうこと……」  サーッと自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。吐き気がして、よろよろと力なく座り込んでしまった。頭の中を、晶、未散、晶、皮膚……と単語だけがぐるぐると回っていく。 ——未散の爪に晶の皮膚片? どうしてそんなことになるんだ? 「長年ストーキングしていた未散が、晶を襲ったのかも知れないってケイさんが言い始めて。警察もそう思ったから解剖しようとしたけど、なんか上からストップがかかってるって言って。その話が動かせないって言ってたんだ」  翔平がそこまで話すと、鍵崎さんが申し出て途中から話を引き取った。そして、警察の見解と晴翔さんの見解を教えてくれた。 「警察も晴翔さんも、野明が大垣さんを暴行したと見ているのは同じでした。そのための解剖を進められないのが難点だと言っていたんです。でも、それを許可することが出来るかもしれない人がいるんですよね?」  鍵崎さんの問いに、俺はコクリと頷いた。晶の養子である和人くんは、完全に移住してしまうのは来年4月の予定だ。ただ、その前に日本での生活に慣らすために今日本に来ている。そのことは、俺しか知らない。晶が取ったホテルで一ヶ月滞在したのちに、三人で顔合わせをすることになっていると言っていた。 「あの、もしかしたら、ここにいるかもしれません。一ヶ月ホテルに滞在するって言ってたんですよ。引越し先を探す間は、晶がとったホテルに……って。VDSに所属していたら、ここって優先して宿泊できますよね? 調べてみてください。晶の名前か、大垣和人か、池内和人で」  鍵崎さんは黙って頷きながら立ち上がり、すぐにスマホで田崎さんへ連絡を入れた。おそらくVDSの権限で強行突破するために、晴翔さんへ先に情報を流して、緊急性の高い解剖として優先させようとするんろう。田崎さんへ細かい指示をするため、部屋の端に寄って小声で色々と話していた。 「晶の解剖をして、死因の詳細が判明したら、未散は殺人犯になってしまうんですかね」  ポツリと呟いた俺に、果貫さんが「そうなる可能性は高そうですね」と返した。未散が晶に執着していたのは、晶が優しかったからだった。人の優しさに飢えていた未散には、あの深い優しさは返って毒だったのだろう。だんだん、顔つきがおかしくなっていくのに、それを止めることは誰にも出来なかった。身勝手な未散の考えを、どうやっても止めることもできなかった。 「未散の精神の壊れ方はすごかったからなあ……何かできることがあったかも知れないのに……」  自分の無力が情けなくて、悲しくなってしまった。親しかったわけではないけれど、最初から未散も狂っていたわけでは無かった。ややおかしくはあったけれど、笑って流せる程度の壊れ方だった。その時に何か出来ていれば、と今でも考えてしまう。下を向いてそう考えていると、翔平がぎゅっと俺を抱きしめてきた。驚いて顔を上げると、思い切りほおをパーンと張られてしまった。 「っつ! ……ど、どうした、しょうへ」 「ばっっっかじゃないの! 二十年近くもストーキングするようなやつをどうやって助けるつもりなんだよ! そんなの医者でも無理だ! 思いあがんな!」 「はっ!? いや、確かにそうだけど……つか、ひでー言われようだな」 「いつでも自分を悪く思いすぎなんだよ! あいつがああなったのは母さんのせいじゃないの! 原因作ったやつがいるはずだろ!? そいつが反省して悔やんでりゃいいんだよ! それ以上背負い込むな!」  背負い込むな……それはいつも俺が言われる言葉だ。俺の悪い癖だったなあ。晶にも、涼輔にも言われた。不幸は簡単に手に入るんだよって。簡単に手に入るからって、それを追いかけちゃダメだよって。めちゃくちゃ言われてた。 ——そうやってなんでも背負い込んで、かわいそうって思われようとしちゃダメだよ。そんなことで誰かの特別にならないで。  どうせなら、幸せそうでいいねって言われるようになれって。よく言われた。そう言えば、最近は言われなくなってたな。多分、幸せだったからだ。翔平を産んでからの人生は、一点の曇りもなく幸せだった。だから、ずっと言われてなかった。今だって、悪い癖が出たのは、翔平が関係ないところだ。そう思うと、翔平がもっと愛しく感じた。 「翔平。俺、お前産んで良かったわ。ずっと幸せだったから。これからもきっとそうだろうなあ」 「えっ? この話の流れでなんでそうなんの?」 「まあ、いいじゃん。とにかく、俺はお前の母さんで幸せってことよ」 「……あっそう。それならいいんだけど」  何がどうなってそんな話になったのかは、わからないような顔をしていたけれど、俺が翔平を産んだことを、心から幸せだ思っているということは、伝わったようで良かった。そもそもその話をするつもりでいたから、目的が果たせたことで、お互いスッキリした感じもあった。 「あ、母さん。鍵崎さんが話そうとしてたこと、もう一つあるんだよ。果貫さん、それも話しておきませんか?」  果貫さんはチラリと時計を見ると、翔平の方を見て頷いた。「そうだね、話しておこうか」そう答えると、胸ポケットからスマホを取り出して、ついさっき鍵崎さんが見せてくれていた写真をまた見せてくれた。 「そもそも、野明が亡くなったことで、身元不明の遺体が発見されたということになり、行方不明者等の捜索を兼ねて警察のデータベースで検索がかけられました。そこで野明未散がヒットしたのですが、その時、もう一人ヒットした人物がこの池内大気だったんです。そして、この池内大気は、能力者なら知らないものはいない有名な人物です。彼は、世界最高峰レベルのセンチネルでした。レベルゼロのセンチネル。インフィニティと呼ばれていた人です」 「未散がセンチネル!? 世界最高峰の?」 「遺伝子が全く同じでした。ですから、間違いありません」 「え……でも、未散はミュートでしたよ。センチネルの能力らしきものは全然無かった気がしますけど……」  俺がそういうと、果貫さんは分析に関するデータの一覧を見せてくれた。五感の能力の全てが、池内と未散では全く違った。ただし、遺伝子情報は全てが同じで、性別が…… 「え、これはどういうことですか?」  そこには、性別Fの表記があった。つまり、女性だということになる。池内大気も野明未散も女性でセンチネル、レベル0(ゼロ)、コードネーム「∞インフィニティ」。もう、俺には訳がわからなくなってきた。 「ごめんなさい、全く意味がわかりません。ここまで違うなら、別人なんじゃないんですか?」 「俄かには信じ難いですよね。でも、この分析結果は晴翔さんのチームが出したものなんです。世界一信頼できると思ってください」  そうは言われても……と絶句していると、果貫さんのスマホに田崎さんから着信があった。気がつくと、鍵崎さんは部屋からいなくなっていた。 「俺だ。……ああ、いたか。そうか。……ん? ああ、そうか。今、翼さんとちょうどその話をしていた。会ってもらうのが一番だろうな。可能なら、晴翔さんも連れてきてくれ。ああ。じゃあ」  その電話が切れた後に、鍵崎さんが連れて来た人物のことは、きっと一生忘れられないだろう。  晶は運命に翻弄されたとしか言いようが無かった。それに、未散も。  人を好きになって、幸せになりたかった。ただそれだけだったのに、それを叶えることすら出来なかった人たちの悲しさが、痛いほど伝わってきた。 「翼さん。彼が、池内和人くんです」  その顔を見て驚いた。永心家の呪いと言われている池内姓。その意味がわかった気がした。和人くんの顔には、照史氏の面影があった。 「蒼、永心兄弟を呼んでくれ。三人とも知るべきことだろうから。そして、知っていることを話してもらおう」 「……そうだな、わかった。連絡してくるよ」  鍵崎さんは、とても悲しそうな顔をしていた。大切なものが苦しむであろうことを予想して、それでもその秘密を暴いていかないといけない苦しみに、涙を浮かべていた。俺も、想像でしかないけれど、彼がアメリカにいた理由がわかった気がした。ただ、晶がこの子を養子にしようとしていた理由だけがわからなかった。 「和人くん、だよね。初めまして。私は、晶の友人です。真野翼と言います」  私が話しかけると、和人くんはにっこりと笑った。そして、すっと手を差し出して握手を求めて来てくれた。俺は、そっとその手を握ると、軽く手を振り合った。 「翼さん、母さんがよく話してくれてました。すごく好きな人だったって。その話をする度に父さんは拗ねてました」  そう言って、花が咲くように笑ってくれた。その笑顔は、雰囲気が翔平にとても似ていた。俺はそれを見て、嬉しいような悲しいような複雑な気分になっていった。 「お母さんのことは聞いたの?」  そう訊くと、表情を曇らせて、コクリと頷いた。俺はたまらなくなって、和人くんを抱きしめて泣いた。初めてあったのに、そんなことをするのは良くないのだろうけれど、晶のことを思うと、どうしてもそうせずにはいられなかった。和人くんは、俺を抱きしめ返すと、さめざめと泣いた。  ひとしきり泣いて、お互いに落ち着こうとしていると、バン! と音を立てて、晴翔さんが入ってきた。そして、俺と向かい合っている和人くんを見ると、駆け寄ってきてぎゅっと抱きしめた。 「和人! 母さんのこと、ごめんな……俺が守ってやらないといけなかったのに……ごめん。やっとお母さんが出来たのに……」  和人くんを抱きしめて泣く晴翔さんは、父親の顔をしていた。それに、永心の血で繋がっているのがはっきりわかるほど、二人は似ていた。 「晴翔さん、晶の解剖の件、和人くんに許可をもらうんですか?」  果貫さんは、まるで自分の傷口を抉られているような顔をして晴翔さんに問いかけた。晴翔さんは、果貫さんの方を振り返ると、「はい」と小さく答えた。 「自分の母になるはずだった人を殺したのが、実の母だってことかも知れないのにですか!?」  果貫さんが叫んで問いかけた。その内容に驚いてしまって、俺と翔平は目が飛び出るかと思った。晶を殺したのは未散だ。未散が和人くんの実の母だということだろうか? 「あの、どこも話が全くわかりません。全部説明してもらえませんか?」  翔平と俺がそう言うと、後ろからドアをノックする音が聞こえてきた。 「それは俺たちが説明します」  声のした方を振り向くと、そこには永心澪斗と咲人が立っていた。野本さんと一緒に。

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