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第32話 レベル0、悲しみのインフィニティ2

「晴翔さん、和人君は全ての事情を知っているんですよね? では、私は和人くんと解剖の許可を取れるように申し出てきますので。他の皆さんは、こちらでこのままお話ししてください」  澪斗さんと永心の後ろに、田崎が控えていた。田崎はそういうと、和人君を連れて部屋を出て行った。去り際、和人君は晴翔さんの方を見て、にっこりと微笑んでいた。晴翔さんは、その和人君の笑顔を見て、ポロポロと涙を流していた。  二人と入れ違いに、VDSのスタッフが入って来て、人数分の椅子とお茶を準備していった。そのセッティングが終了するまでの間、この部屋にいた全員が難しい顔をして黙り込んでいた。  野明未散に関する情報が錯綜しすぎて、何一つクリアにならないからだ。ただ、俺は永心家と長い付き合いがある。だから、昔の記憶を引っ張り出しながら話を聞いていると、なんとなく全てがぼんやりとつながり始めていた。ただ、思い出したことと今起きていることが本当のことであれば、晶さんを失った人たちにはとても複雑な気持ちになる話だろうと思う。それでも、話すしかないのだろう。 「まずは、大垣晶さんを死なせてしまったことを、親戚としてお詫びいたします」  澪斗さんはそう言って、俺たちに向かって頭を下げた。俺と蒼はそれに深く頭を下げて返した。だが、翼さんはポカンとしていた。翼さんには、過去の情報が無い。呆気に取られても仕方が無いだろう。 「あの、親戚……なんですか? 未散と? でも、晴翔さんは晶のストーカーのことはご存知だったでしょう?」  翼さんの問いに、晴翔さんは苦虫を噛み潰したような顔をした。強い後悔の色が張り付いたまま、「気がつけなかったんです」と弱々しく吐き出した。そして俯くと、肩を震わせていた。誰よりも傷ついているのは、晴翔さんだ。翼さんもそれはわかっている。思いもかけず責めたような口調になってしまったことを詫びていた。 「野明未散が、永心家の親戚筋にあたる池内大気と同一人物だと知っているのは、僕と父だけです。晴翔も咲人も気づきようがありません。二人とも、野明がうちにいた頃には、まだ生まれていませんでしたから」  澪斗さんは政治家一家に生まれたにしては、物腰が柔らかい。印象としては、やや女性性を強く感じる。それでも照史氏の秘書をしているのだから、それなりに強気の判断も出来るのだろう。ただし、この件に関しては、一貫して悲壮感を漂わせている。 「池内さんはインフィニティで間違い無いんですよね?」 「ああ、そうだよ。君と蒼君は、インフィニティの記憶が少しはあるんじゃ無いのかい? 昔、うちにすごくキリッとした髪の黒い男がいいただろう? 綺麗な顔で辛辣なことを言う男。あれが池内だよ」  昔、そうだ、嫌味を言う嫌な奴がいると永心が言っていた男がいた。ものすごく綺麗な肌と髪をしていて、造形も美しくて、でも口を開けば嫌味ばかりだった。ただし、それは子供にだけ向けられていたものだったらしい。大人たちはそんなことは言わなかった。 ——池内さんは中身も見た目も美しくていいわね。さすが坊ちゃんのお気に入りなだけあるわ。  よくそう言われていた。その男なら覚えている。俺が憧れた、レベルゼロ。インフィニティと呼ばれていて、その凄すぎる力を自分の精神力だけで完全制御していた、過去に類を見ない最高峰のセンチネル。それが、永心の家で照史の秘書をしていた男だった。 「翠、君は池内はその頃しか知らないよね? で、野明未散と同一人物だと信じられないだろう? でも、私には同じ人にしか見えないんだよ。だって、そもそも池内は生まれた時は女性だったんだから。野明未散という名で生まれて来たんだよ」 「生まれは女性? でも、俺、見ましたよ、あの、スカートの中……あれ、本物でした!」  翔平が澪斗さんにくってかかるように反論していた。確かに、未散は身元不明で事件性を調べるために解剖されているから、そこに男性器があったことは間違いない。でも、澪斗さんがこんな嘘をつくとも思えない。だとすると、それが意味するところは一つしかない。 「検査結果も性別はFでした。ということは、池内は生まれた時は女で、俺たちが小学生の頃には男になっていたということですか? でも、今女装してるってことは、男になった意味がわからなくないですか? 時々聞きますけど、性転換手術をしてみたけど、しっくりこなかった、ということですか?」  澪斗さんは、悲しげに被りを振った。その表情は、本当に苦しそうで、よく見ると目はうっすらと涙ぐんでいた。喉で言葉が突っかかって出てこなくなってしまったようで、唇をまっすぐに結んだまま震えていた。永心は、そんな兄の姿を見て驚いていた。澪斗さんは、いつも優しいけれど、芯が強くてあまり感情を激しく出すことが無い人だからだ。 「澪斗兄さん……もしかして、野明が性転換をしたのは、永心の家のせいですか? お祖父様から何か言われたとか……」  澪斗さんは、永心を振り返るとボロボロと涙をこぼし始めた。それは、過去に一度も見たことがない取り乱し方だった。何も話すまいと決めていたのだろう。なかなか言葉が口から出てこないようだった。 「俺はほとんど覚えていませんけれど、永心の家はお祖父様の代から野党党首になることを使命にされているんでしたよね。結婚は政略結婚しか認められない時代でしょうし。野明が名家の出身じゃないと許されなかったはずです。それでももし、父さんと一緒にいたいなら、女をやめて来いとか……あの人なら言いそうです。傲慢だったのだけは、よく覚えてますから」 「そっ、そんな……まあ、時代を考えるとあるのかもしれないけれど、でも、だからって性転換する!? 普通諦めるんじゃないの?」  翔平のような現代の若者には、信じられないような話だろう。いや、俺だって意味がわからない。いくら好きな人がいるからって、その人と一緒にいるためだからって、望まない性別に換える手術を受けるなんて。体がどうなるかもわからないのに。それでも、インフィニティはバカじゃなかった。うまくいくようにしっかり計算して行動したんだろう。だからこそ、俺たちが会った池内は伝説になったわけだから。 「女性に生まれて、男性に性転換した。体についての矛盾はわかりました。では、インフィニティはなぜミュートになっているのですか?」  その話題が出た時に、晴翔さんがピクリと反応した。センチネルがミュートになるには、能力を全て失うほどの出来事があるはずだ。それは、命を失いかけたとか、よほど精神力を削られるような思いをしたからだということになる。もしくは、優秀なセンチネルほど堕ちる時は早いという。レベルが高すぎて、救済が間に合わなかったのかもしれない。 「池内は、父の命で潜入捜査をしていたんだ。潜入先で、子供が虐待されているところに遭遇した。それを止めに入ってしまって潜入がバレたらしいんだ。潜入先は、薬物取引をしていた飲食店だ。その場で集団リンチされて死にかけた。その時に、能力を全て失ったんだ」  俺は信じられなかった。センチネルだぞ?しかもレベル0のインフィニティが、ミュートを出し抜けずにリンチに遭って死にかけた? そんなことが起こるわけがない……そう思った。子供を助けようとしたから、鈍ったのだろうか……それならあり得るかもしれない。いや、でも…… 「池内は子供が嫌いでしたよね? なんでその時は、助けようとしたんですか?」  晴翔さんが精気の抜け切った顔で、入り口のドアを見ていた。そして、腕時計をさすりながら、懐かしそうに話してくれた。 「その虐待されていた子が、池内と父の子だったからだよ。そして、その子があの大垣和人くんだ」  澪斗さんがソファにどさりと倒れ込んだ。晴翔さんはその隣に座ると、兄の肩に手を置いてグッと引き寄せていた。永心は、やや疎外感を感じているような目をしていた。それに気づいた澪斗さんが「咲人、こっち座って」と促した。永心は吸い寄せられるように澪斗さんの隣に座ると、澪斗さんの肩に額をつけて固まってしまった。 「池内と父さんの子供ということは、僕らの弟だということですか? じゃあ、晴翔兄さんは父親にはなれないじゃないですか。それなのに、なんで晶さんは和人くんを引き取ろうとしたんですか……」  どうやら、永心も知らないことが多すぎて頭がついていかなくなってきたようだった。澪斗さんは、永心の頭をよしよしと撫でてやると、野本の方をチラリと見た。野本は、弱っている永心のそばにいるのに、何もしてあげられないのが落ち着かないようで、そわそわしていた。 「野本、もう咲人とボンディングした? したなら、隣に座ってあげて」  野本は、永心との関係が澪斗さんにばれている事に驚いたらしく、目玉が飛び出そうになっていた。視線をキョロキョロと忙しなく動かして、漫画のように焦りまくり、しばらく迷っていた。ただ、永心が「せんぱい。お願いします」と甘えた声を出したので、ビュンっと飛んできて、隣に座った。そして遠慮がちに永心の手を握ると、そのまま動かなくなった。 「ぷっ……あはは、ちょっと緊張感が抜けたな。あー、晶さんが和人くんを引き取ろうとしたのは、おそらく罪滅ぼしだよ。池内を破滅させたチンピラは、晶さんの父親だったんだ。父から誘拐された和人くんを救出するように言われて潜入したのに、失敗したんだ。自分の子を守れず、ミッションも失敗した。そのショックも大きかったんだろうなあ」 「俺たちも、池内の人生が壊れたのは、そもそもお祖父様が原因だと思っているから、ずっと生活を見守っていたんだ。晶さんに付き纏っていたのは、多分、池内としての最後の記憶が、晶さんを覚えていたからだろうな。晶さんといると、なんとなく昔の自分を思い出せて気分が良かったんじゃないか」  永心兄弟は、三人でぎゅっと肩を寄せ合うと、晴翔さんの腕時計を触り合っていた。それは、晶さんが晴翔さんに贈った時計だ。それを三人で見つめて、秒針の動きを感じているようだった。 「池内と父さんにどんな事情があったとしても、晶が死ななくてはならない理由にはならないと思ってます。だけど……」  晴翔さんは、スーッと静かに涙を流した。澪斗さんはそんな弟を見て涙を流し、永心はその澪斗さんを心配して泣いた。 「晶を殺したのではなくて、置いてきただけだっていうし、野明が池内だっていうなら、もう怒りをぶつけることも出来ない……」  晴翔さんはそういうと、わあっと泣き始めた。そこからは制御が効かず、嗚咽を漏らしながらただひらすら泣き続けることしか出来なかった。母親を失ってから、ずっとセンチネルが使い潰されることなく、幸せに生きていけるようにと研究をしてきた晴翔さんに、潰されたセンチネルが最愛のセンチネルを奪って行くという、辛すぎる現実が待っているなんて、誰が予想していただろう。そんな理不尽が最も嫌いな男が、怒りに声を振るわせていた。 「最も悪いのは、好きな人への好意を利用して、利益だけを得ていたお祖父様でしょうね。自分だけ幸せに死んでいって……」  蒼が水を飲んでいたグラスを握りしめていた。傍目にはわからないが、蒼はめちゃくちゃ鍛えている。手に持ったグラスを掴む力が強すぎて、バリン!と音を立てて割れてしまった。ガラスを握りしめてしまったので、手が切れて血だらけになっていた。 「果貫! 手が……」  蒼の手を気遣って飛び出した永心を制止して、蒼はスマホを出した。 「永心、照史さんを呼ぼう。池内はなぜ死んだのかも明らかにしないといけない。この一連の問題を、永心家の当主として、池内のペアとしてどう思っているのか、聞いておかないと……俺は腹の虫が治らない」 「は? 親父はミュートだろ?」  驚いた永心が蒼に詰め寄った。蒼は珍しく、心底驚いた顔をしていた。永心の手を取ると、その心を少しケアしたようで、永心はスッと大人しくなった。 「親父さんは、ガイドだ。間違いない。野本、お前はわかるだろう?」  野本は、永心を抱き起こしてチュッと軽く口付けた。そして、蒼の方を向いて言いきった。 「はい。照史氏はガイドです。俺たちでは到底敵わないレベルの。インフィニティのペアですからね」  永心兄弟は誰もそれに気がついていなかったようだった。照史氏は巧妙にガイドであることを隠して生きていた。それは、おそらくいつか池内を迎えに行くためだったのだろう。だから、今もその意思があるのかどうかを確認しないどいけない。そう考えていると、ある考えに行き着いた。それに気がついた時、背中がスッと冷たくなるのを感じた。 「蒼、照史さん、もしかして……」  蒼は歯軋りをしながら、飛び出して行った。俺の思考を読んだようだった。 「止めるぞ!」 「了解」と言いながら、俺はスマホを抜いて田崎に連絡を入れた。

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