33 / 35

第33話 レベル0、悲しみのインフィニティ3

「咲人、父さんは今自宅にいるはずだ。咲人は自宅を見てくれ。翠、君は野明未散が住んでいたマンションを見てくれないか?」  澪斗さんは照史氏の秘書なので、今日の予定は把握している。照史氏は今日はオフで、自宅で過ごしていることになっているそうだ。永心と俺と事務所にいたセンチネルで遠見をして、照史氏の様子を伺うことにした。現地に行く人間はガイドとミュートに任せて、残ったセンチネルはここからの捜索をすることになった。 「翔平! お前も頼む。永心照史、知ってるだろ? 俺たちは遠見をするから、お前は近くから探して行ってくれ」 「はい! わかりました」  翔平は、小走りに窓際へ近づいてくると、ストンと座り込んで、小さく「センチネルの力が役に立つなら、是非」と呟くと、透視を始めた。透視といっても、物体の向こうにはっきり何かが見えるわけではなくて、サーモグラフィのように、物体の向こうに熱量を感じることを言う。ビルの合間に照史氏の熱量を探し、そこをガイドやミュートに捜索してもらう。 「年齢の割にパワフルで、強いオーラがあるのが一番の特徴ですね。野明のスピリットアニマルは鳳凰でした。ペアである照史氏も鳳凰ってことですよね? そこから探したほうが早いかもしれませんね」  永心照史氏は、世間では狡猾で腹黒く、人の命をなんとも思わない人だと思われている。実際、ついさっきまで全員がそうだろうと思っていた。ただ、これまでに起きたことを整理していくと、そこかしこに、照史氏から未散への愛情が見え隠れしていたことに気がつく。未散が晶をバンガローに放置した後、暴風雪で窓が壊れてしまい、晶は凍死した。体には、顔や体の表面いっぱいに雪が降り積もっていたのだという。しかし、その時点ではゾーンアウトして低体温になってはいたが、かろうじて命は取り留めていた。そして、解剖記録にはこう記載してあった。 『高レベルのガイドによる蘇生措置が取られた模様。しかし、意識が無かった時間が長すぎて、ガイディングに失敗している』  インフィニティのペアだったガイドだということは、照史氏はかなりの高レベルなガイドだったはずだ。それでも、ガイディングに失敗すれば、ダメージは大きい。照史氏は、この年末の多忙な時期を、重傷を負ったような状態で過ごしていることになる。もちろんそうなることは予想されたはずであって、あえてそうしたのであれば、かなり献身的なケアをしたということになる。パブリックイメージとはかけ離れた照史氏が、そこにはいた。 「あの、この永心照史による晶さんへのガイディングって、失敗しているから受けたダメージは重傷レベルなんですよね? それでもし、野明にもガイディングしてたらどうなるんですか? あの人、タワマンから飛び降りたのに、ほとんど損傷してないんでしょう? それっておかしいですよね?」  翔平が、休憩中にふと疑問に思ったようで、ガイディングの危険性を尋ねてきた。確かに、この短期間で重傷レベルのダメージを二度受けていれば、命の危険もあり得る。しかも、翠と蒼が照史氏を探すのを急いだのは、照史氏が野明未散の後を追う可能性があるからだ。二度目のガイディングに失敗していたら、そのまま力尽きていてもおかしくはない。 「それはあり得る話だな。ただ、野明の遺体の近くに照史氏はいなかった。だから、その時は死ななかったけれど、どこかで野明の後を追う可能性はある。俺たちは今、それを恐れて捜索しているんだ」  大垣さんの死に関する情報は、出揃ったと言えると思う。野明の罪状は遺棄罪だろう。センチネル同士であるから、もう少し重い刑罰になる可能性もある。ただ、もう野明は死んでいる。法律上は解決に向かうのだろうけれど、残された晴翔さんと和人くんにとっては、ここから先は何もスッキリすることが無いのは明白だ。  俺たちに出来ることは、照史氏を自死させず、残されている家族と共に生きて行く道を選ばせることくらいしかない。 「最初、現場で感じた違和感は、水とレジンが混ざっていること、レジンはマメンツが割れて漏れたもの。それに、センチネルの残り香。そう考えると、解決……かな」  俺がそう独言ていると、翔平が「いました! 照史氏……あれ? 普通にこっちに向かってる気がします」  その場にいたセンチネルは、全員ペアのガイドへ戻ってくるように連絡を入れた。照史氏は、特に大きな感情の揺れもなく、淡々とした様子でこちらへと向かってくる。心拍数、心音の大きさ、血圧、視線、全てにおいて冷静さを表していた。しかし、今から照史氏が長年隠し通してきたことを暴いて証言をしてもらわなかればならない。 ——気が重いな……。  その時、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。VDS職員のミュートがドアを開けた。そこに立っていたのは、永心照史氏ではなく、真野涼輔氏だった。 「あっ、そうだ、涼輔さん、下で待っていただいてたんでしたね……すみません、ちょっとこちらで緊急事態が起きまして。あっ、翼さん、翔平くん、鉄平くんにもお手伝い頂いています。終わりましたら責任持ってお送りしますので、涼輔さんは一度帰られますか? このままこちらでお待ちいただいても構いませんが……」  俺がそう声をかけると、涼輔氏はやや卑屈に返してきた。 「また能力者だけの集まりですか。そうですよね、ミュートの僕なんていても、役に立ちませんからね……ここにいても、居心地悪いだけなので、自宅に戻ります」 「そんな……不快な思いをさせてしまいましたのでしたら、申し訳ありません。でしたら……」  その時、ドアの向こう、エレベーターホールに、一人の男性が降り立った。その男は、優雅にゆったりと大きな歩調で歩いてくる。 「鍵崎翠くんかい? 久しぶりだね。立派になったなあ。昔はよくうちに……」  そこまで口にした照史氏が、ぴたりと立ち止まった。そして、まるで何かとんでもないものを見つけたという目で、こちらを見ていた。 「おじさん? どうかしました……」  俺が照史氏に問いかけた途端、俺の隣をものすごい速さで走り去ろうとした男がいた。普通なら、そのまま逃げ切れることができたのだろう。だが、俺はこの会社でもっとも高ランクのセンチネルだ。目は特に利く。何か不利な状況を察して逃げようとしている悪どい匂いもしていた。そんな人間をみすみす逃してやるほど、お人好しではない。 「おい! 待て……」  俺は男の腕を掴もうとしたが、その手は空を切った。逃げ切られたからではない。その男は、俺の目の前で、最高レベルのガイドに叩き伏せられていたからだ。 「見つけたぞ。大垣晶さんを襲ったのはお前だな! その鳳凰……未散のスピリットアニマルだ!」 「えっ……どういうことですか? おじさん?」  怒りに打ち震える照史氏の視線の先を見ると、倒された男の隣に、鳳凰のスピリットアニマルが、毅然として立っていた。それは、照史氏の後ろにも見える。同じ金冠を被ったペアだった。つまり、未散の意思が残っているということだ。残留思念だろうか。 「晶さんを殺した人間を教えてくれと頼んだんだ。鳳凰が導くって……そう言って息絶えた。だから、犯人はお前だ」  そこへ、部屋の中にいたセンチネルたちが、バタバタと走り出てきた。照史氏が男を制圧している様子を見て、察したらしい永心が、駆け寄ってきてそのまま手錠をかけた。永心の後ろには、翔平が立っていた。翔平は、制圧されている男の姿を見て、ショックを受けているようだった。 「父さん、あなたが意味のない行動をとるとは思えません。ですから、今とる行動はこれが正解だと思います。ただ……説明してください。……真野さん、あなたもです」  そう言われて、照史氏に制圧されたままの真野涼輔は、すっかり項垂れてしまい、さめざめと涙を流し始めた。何が起きているのか、その場にいた人間のほとんどが理解出来ていなかった。ただ、父のその情けない姿を見ていた翔平が、苦しそうに息を切らし始めたかと思うと、だんだんと呻き始めた。 ——まずい、ゾーンアウトするかもしれない。  俺はスマホを取り出して、蒼に連絡を入れた。2コール未満で応答したパートナーに、叫ぶように伝えた。 「翔平が危ない! すぐに鉄平を戻せ!」  そしてすぐに通話を終了した。俺が駆け寄るよりも早く、翔平は床に頭から倒れ込んでしまった。 「翔平!」  頭から床に倒れ込んでしまったため、気を失ってしまったようだった。ただ、ここもカーペットの毛足が長いので、そこまで酷い影響は出ないだろう。それよりも、深刻なのはゾーンアウトしてしまう可能性だ。 「永心! 晴翔さんに連絡して、解剖のレポートすぐ作ってもらって戻ってきてくれって伝えてくれ!」 「わかった!」  そして、田崎に連絡を入れてストレッチャーを準備させると、翔平を乗せて俺たちの家に運んだ。毛足の長いカーペットは、ストレッチャーの車輪が絡まってしまうため、進みにくい。俺がおぶって走ってもいいけれど、今触ると何が起きるかわからない……。目を凝らして、少しでも毛が倒れていて車輪が絡まりにくいところを選んで走らせていった。 ——鉄平、早く戻ってこい!  ペントハウスのドアを開け、そのまま客用のベッドルームへと運ぶ。なるべく刺激しないように、そっと翔平をベッドに寝かせた。 「翔平!」  ちょうどそのタイミングで、鉄平が戻ってきた。髪を振り乱し、その白い肌が真っ赤に染まる程に、息を切らせている。大きく開けた口から、はーはーと吐き出す呼気の音を聞いて、翔平が目を覚ました。 「うっ……」  ここからはペアの仕事だ。他の人間には、何も出来ることはない。俺と田崎は、目を合わせて無言のまま外に出た。鉄平とすれ違うときに、その肩をポンと叩くと、「っす」と小さな気合いが返ってきた。 ********************** 「凍死ということで片付いていたけれど、鼻腔が塞がっていて窒息の痕跡があったのと、肺に少し水が溜まっていて、溺水の可能性も出てきた。明らかな殺人の痕跡だな」  レポートを見ながら、晴翔さんが呟いた。変な話だが、野明が犯人だった場合よりも、明らかなクズが犯人だった今回の結果の方が気が楽だと笑っていた。 「まあ、ある意味可哀想っちゃ可哀想だけどな。だからって、やってることの意味がわからないことばっかりだ」  そう言いながら、テーブルにその紙を叩きつけた。目の前の、晶さんを奪った犯人を前に、あからさまな怒りをぶつけていた。 「おかしいと思ったんだ。晶が、暴行された痕があるって聞いた時に。野明未散にはそれは不可能だからな。男性化の手術の目的は、妊娠出来ないようにすることであって、妊娠させる機能をもった臓器は必要とされていなかったはずだから。まず、勃たないはずなんだ。だから挿入の可能性はゼロだ。それなのに、晶の遺体にはその痕があった。だから、犯人は野明未散じゃないと思った。ただ、父さんとの話を聞いていると、何か理解できない状況でそういうことも起きうるのかなとか色々考えたんだけど……」  真野涼輔は、センチネルとガイドのスピリットアニマルからの検挙という形で警察へ引き渡しを行った。あれほど理解できない純愛の話をしていたにも関わらず、結局は真野涼輔の劣等感が晶を死に至らしめた、至極単純な殺人事件となってしまった。 「まあ、ミュートに生まれても大変なんだけどな。特にこういう、能力者が集まる場所にいると、毎日が劣等感との戦いの日々よ」  田崎が涼しい顔をしてそういうものだから、俺たちは不謹慎にも笑ってしまった。お前ほどハイスペックな男が、劣等感を抱くのかと睨みつけたくなるほどだ。 「結局は、無い物ねだりってことだろうけどな」 「でもなあ。鼻の中にマメンツ壊してレジン流し込んだとか、劣等感で済ませていい話なわけ? 口には大量に雪を詰め込んだんだろ? ゾーンアウトしてたからもう意識は無かったんだろうけど、もし意識が戻ってたら地獄の苦しみだっただろうな」 「そうだな。だから、最初に原因を作った野明も許しちゃいけないんだよ。あいつが大垣さんを殴って放置したりするから、余計な犯罪が生まれたと言ってもいいくらいだ」 『晶さんがまた翼に近づいてくるからいけないんだ! 翼は、俺よりも晶さんを好きなはずだから! 捨てられたくなかったんだ!』  真野涼輔は、そう叫びながら連行されていった。その場に、翼さんがいなくて良かったと心底思った。父親が制圧される姿を目の当たりにした翔平の今後が心配だけれど、そこは鉄平と翼さんに任せるしかないだろう。受験はもう、二週間後に迫っている。切り替えて頑張ってもらわないといけない。 「自分の愚かさを認められないと、いつまでも幸せにはなれねーだろーな」  いつもよりも強烈に甘いカフェラテを飲みながら、ふうと息を吐いた。蒼は隣でブラックを飲んでいる。ずっと無言のままだ。ずっと無言だけれど、ずっと手を繋いでいる。 「ところで、お前らなんで片手繋ぎっぱなしなわけ?」  田崎がニヤニヤしながら訊いてきた。俺は、少しだけ上目遣い気味に田崎を覗き見て、ふいっと顔ごと視線を逸らした。すると、ちょうどそこに蒼が口を持ってきていたので、そのままチュッと口付けた。 「おいおいおい……仕事は終わったけど、俺の目の前でキスするのやめてくれよ」  田崎は眉を寄せて心底迷惑そうに言うと、俺と蒼のコーヒーを引き取って、そのまま事務所へと戻っていった。俺は、キスをしたまま蒼の首に手を回した。そして、少しだけ飛び上がると、蒼が下から支えて抱え上げてくれた。そのままゆるゆるとキスを続けながら、ペントハウスへ戻っていく。 「……蒼」 「んー? なに、翠」 「蒼とペアでよかった」  そう言って、額をコツンとくっつけた。蒼はその額を少し離して、ゴツっとぶつけてきた。 「……いって!……なんだよ、蒼は違うのかよ」  蒼は、俺をぎゅううううっと抱きしめると、思いっきり額を俺の胸に擦り付けてきた。 「違わないし、違う。俺の『好き』はもう、そんなレベルじゃない。翠がいないと生きていけないから」  そして、少し顔を離すと、齧り付くようなキスをした。

ともだちにシェアしよう!