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第35話 愛していく2
「お世話になりました」
真野涼輔の逮捕から三ヶ月、翔平は無事に希望する大学に合格し、今日高校を卒業した。式には翼さんも出席したのだけれど、翼さんは建設現場の仕事が立て込んでいるため、午後からは仕事に行ったのだそうだ。今日は、鉄平と二人でVDSでの家庭教師の契約を終了させるための手続きに来ていた。
残念ながら真野夫妻は離婚して、今は里山翼さんとして、再出発を果たしている。相変わらず現場ではバリバリの工事長で、キビキビと働き、的確な指示を飛ばしていた。そして、翔平が高校を卒業したこのタイミングで、VDSのフリーのガイドとして登録し、フリーのセンチネル達の軽微なケアを担当することになった。「元々毎日忙しくしていた生活が、さらに酷くなるんでしょうね」と翔平は笑っていた。
「まあ、母さんも今は忙しい方がいいでしょうし。俺は家から通えるところに行くので、体を壊さないように注意して見ておきます」
そう言って微笑む姿は、あの時よりは少し逞しくなっているようだった。母がトランスジェンダーだと知り、出自に悩んだかと思えば、父は思い込みの激しさから人を殺めてしまった。思春期の少年には厳しい状況が続いたけれど、その間、ずっとパーフェクトマッチのペアである鉄平に守られていた。そして今となっては、必ず守ってもらえる安心感に包まれていて、自身の生命力も上がっていた。ガイドに守られている安心感があるだけで、センチネルの生活はグッと安定する。俺は鉄平の顔を見て、背中をバシンと叩いた。鉄平も以前よりは精悍な顔つきになっていて、少しよろけてはいたけれど、しっかり耐えて、ニヤリと笑った。
「鍵崎さんよりは、頑丈っすよ」
「ぬ……それは言い返せない」
少々ムッとする内容だったけれど、実際に俺は小柄だから、言い返せずにいた。その俺の姿を見て、みんな楽しそうに笑っていた。
「和人くんは、結局どうなるんだ?」
ふと気がつくと、現場から戻ってきていた蒼が、全員に飲み物を配りながら入って来た。その後ろには、田崎が続いていた。
「果貫さん、お久しぶりです。和人は……実は俺の弟になります。年齢一緒ですけどね」
翔平は、蒼に向かって眩しい笑顔を向けていた。それは、何年も疲れを溜め込んだ俺には絶対に出せない、輝くばかりの笑顔だった。鉄平の時とは違って、心の底からムッとした俺を見て、翔平は心底慌てた顔をしている。それに気がついているのに、何も言わずに翔平が焦っているのを見て楽しんでいると、鉄平にキツイ一言を浴びせられた。
「おじさんの嫉妬、醜いですよ」
「このやろ……」とは言うものの、反論する元気も無かった俺は、「おっしゃる通りで」と力なく椅子に座った。そんなしょぼくれた俺の目の前に、温かいカフェオレと蒼の笑顔が飛び込んできた。
「じーさんになっても愛してやるから、落ち込むな!」
そして、目の前のカフェオレよりも甘いキスを一つ、俺にくれた。それだけで、俺の機嫌は元に戻った。センチネルなんて、愛してくれるガイドが一人いるだけでこれだ。繊細で複雑で扱いづらそうなイメージだけれど、実際は単純もいいところだ。
「あ、で、翔平の弟になるって、なんで? 翼さんが引き取るのか?」
翔平は、蒼から受け取ったブラックコーヒーに牛乳を入れながらニヤリと笑った。その顔をみると、答えは想像がついてしまった。
「あー、あれか。翼さんと晴翔さんがくっついたからか?」
「そうです。母さんが和人くんを引き取って養子にして、晴翔さんと再婚して連れ子として一緒に暮らすみたいです。まあ、入籍するのは、俺が就職してからにするとは言ってましたけど」
「そういや、和人くんが通う大学って、翔平と鉄平と同じなんだろ?」
「そうなんですよ。どれだけ縁が深いのかって言ってたんです」
「……こういう話をしてると、『能力者ばっかりで』って、また言われてしまうのかなあ」
ポツリと翔平が漏らしたのは、間違いなく涼輔さんが言っていた言葉だ。ミュートである自分が入れない話が続くと、いつもそう言っていたそうだ。これについては色々と見解があるけれど、俺たちが何を言うよりも、説得力がある人がいる。
「能力の有無は現実問題としてありますけれど、それ以外のことについては、真野氏の努力不足に他なりませんけどね。会話に入りたければ、質問すればいいだけです。それに答えてくれないような方々では無かったでしょう? 彼の周りにいた方々は。勝手に卑屈になって閉じこもっていただけですよ。……あ、申し訳ありません。翔平くんのお父様でしたね……」
ものすごい勢いで言い切った田崎の勢いに、呆気に取られていた翔平は、突然謝罪されてまた呆気に取られていた。その姿はまるで小動物のように愛らしくて、その愛らしさは、父である涼輔氏にそっくりだった。
「翔平、涼輔さんも悪いところばかりじゃない。選択を間違えただけだ。お前はそうならないように、気をつけて生きていけばいい。そしてそれは、お前に限ったことじゃない。みんなそうだから。変に意識して、縮こまって生きていく必要無いんだからな」
『殺人犯の息子』そう呼ばれることがある、と鉄平が言っていたことがある。翔平はそのことを俺たちには話さない。それでも、翔平が自分を卑下している瞬間があることは皆気がついていた。特にトップレベルの能力者ばかりが集まるここでは、いや、ここではミュートでも社会性に優れた人間しかいないから、ほぼ全員が、翔平のことを心から気遣っていた。
「翔平。お前が将来どんな仕事に就いたとしても、ここに登録して活動してくれないか?」
俺は、名刺を取り出して、翔平へ渡した。俺は、普段名刺を誰かに直接渡すことはない。余程のことがない限り、一般人と直接交渉することが無いからだ。真野家とはそう言う意味で、最初から特殊な出会いだった。そして、俺とほぼ同じレベルのセンチネルである翔平を、鉄平一人で守り続けることは不可能だと言うこともわかっていた。このことは、事前に鉄平に了承をもらった上での話になっている。
「ここは、センチネルを守る場所。そのためのガイドを育成する場所。そして、能力差による問題を減らすために、ミュートと協力して活動する機関だ。だから、ミュートにはミュートの武器があることを、みんな知っている。そうやって、良好な関係を持てている場所に身を置け。そして、そういう環境を増やす手伝いをしてくれ」
俺はスッと手を差し出した。翔平に、ビジネスマンとして、パートナー要請をしたのだ。生まれてこなければ良かったなどと、二度と言わせない。お前には、お前にしかできないことが確実にある。だから、お前は生まれてくるべき人だったと、理解させたい。鉄平がいれば、それは十分感じられるだろう。だからこそ、より強く感じてもらいたい。先に生まれた俺たちの、後に続く者たちへ出来ること。それはペアリングの斡旋と活躍の場を与えることだ。
「お前の人生、どの方向を向いても大丈夫だと言い切れるように。いくらでも、力を貸すから」
翔平は、ハラハラと涙を流しながら、さっきと同じような、いや、それ以上の輝くような笑顔を俺に向けた。
「ありがとうございます。俺も、ここで働けたらいいなって思ってたので……俺、経営勉強するんです。卒業したら、よろしくお願いします」
「鉄平は? お前はうちには来ないのか?」
蒼が問いかけると、鉄平は下を向いて悩んでいた。実は、このあたりの話は既に聞いている。ただ、口にするのが嫌なんだそうで、返答に困っているようだった。
「お前は、うちに来るんだよな?」
そう言いながら入ってきたのは、相変わらず偉そうな登場の仕方が似合う、《《永心様》》だった。隣には野本が一緒にいる。そんなに偉そうに登場してくるくせに、ドア前まで恋人繋ぎしていたことに気がついているのは、黙っておいてやろう。
「鉄平は、警察に来たいんだそうだ。少年課で勤務しながら、ここで働くんだろ?」
永心が鉄平の背中をポンと叩いた。どうやらこの話は翔平は知らなかったらしく、驚いて立ち上がっていた。
「え? 鉄平、俺と一緒にいてくれるんじゃないの?」
大きな瞳がみるみるうちに潤んで、今にもこぼれ落ちそうになっている涙を見て、鉄平が焦っていた。ただ、大人はそうなることを予想していたので、やや面白がっている節があった。それを見ていた蒼が、大人たちの頭をスコーンとトレイで殴って行った。
「趣味が悪いぞ! さっさと先を話せ。少年課のセンチネル交渉係に行って、半日はここで過ごすんだろう? それくらいなら今と変わらない生活が続けられる。センチネルを不安に陥れてどうするんだ、っとに!」
面白がっていた大人たちは、普段穏やかな蒼に叱られて落ち込んでいた。まあ、一番落ち込んだのは俺だけど。その姿を見て、今度は翔平が爆笑し始めて、全てがチャラになった。
「鉄平、お前が少年課に目をつけたのって、なんでなんだ? 別に病院とかでも良かっただろう?」
「鍵崎さんが、小さい頃にペアリングしておけば、犯罪に巻き込まれる可能性が低くて済むって言ってたからです」
「非行少年をペアリングさせて救うってやつ?」
「はい」
なるほど、鉄平もちゃんと考えて生きていた。それならば、俺たちはこれから先、青少年の健全な育成のために協力する同士となる。
「じゃあ、一つ確認しておくけど、この仕事をする上で、最も大事なことってなんだかわかってるか?」
翔平と鉄平は顔を見合わせて、考えた。この数ヶ月で経験したことを踏まえ、色々と捻り出していく。そして、翔平が学生らしく「はい」と手を挙げたので、「はい、真野くん」と指名してあげた。
「集中力、ですか?」
「ブッブー、不正解」
「え?」
「俺もそうだと思った……」
「客観力だよ」
蒼がニコニコと微笑みながら、二人に教えてしまった。
「まあ、ある意味集中力だけどね。どんなに追い詰められても、冷静に広い視野を保つ能力が必要なんだ」
「そうそう。で、それをピンチの場面で発揮するためには、絶対的な自己肯定感が必要になるんだ」
「自己肯定感……」
それは、翔平の親に無かったものだ。その子供である自分に備わっているだろうか……翔平がそう悩んでいると、鉄平がぎゅっと翔平の手を握った。そして、反対の手を、蒼が握った。驚いた翔平が周りを見渡すと、蒼の手を俺が、俺の手を野本が、野本の手を永心が、永心の手を鉄平が握って、環が出来ていた。これは、うちの会社のモットーを示すカタチだ。そして、田崎が翔平の両肩に、ポンと手を置いた。これが、一番の特徴だ。
「VDSは、こうやって助け合うように構成されています。センチネルのパートナーとしてガイドが、後ろ盾としてミュートがいます。そこに立つ人が変われば少しずつ構成を変えて、決してコマとして扱われないようにされています。組織構成による自己肯定。そして、パートナーからの愛が、あなたを肯定してくれます。だから、何も心配は要りません」
「俺と蒼が、会社を始めた時に決めたことだ。VDSの人間は、愛でつながる。直接的な愛じゃなくても、誰かを支える愛が、お前を支えるってこともある。とにかく、暑苦しいくらいに、思い合うぞ。覚悟しとけ」
翔平と鉄平は、また学生らしく元気のいい「はい!」を響かせた。疲れた大人の俺たちは、そのフレッシュな音を浴びて、満足した。
「よーし、じゃあ、高校卒業祝いに飯でも食いに行こうぜー」
「やったー、社長の奢りだってー」
「え? 別にいいけど、つまり蒼の奢りでもあるってことじゃねえ?」
「……じゃあ、経費で落としてください」
「ダメです」
「田崎のケチ」
「俺が出す。一家で世話になったからな」
「やったー! さすがお金持ちー!」
「お前もそこそこ金持ちだろ……」
そんなやりとりをしている俺たちを見て、少しだけ未来に希望が持てたと思ってもらえたら嬉しい。
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(終)
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