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第6話

 カーテンを開けると、新緑が嬉しそうにきらきらと光る。光に満ちた五月は何もかもを心地よくさせてくれる気がする。  休日なのに、制服を着る違和感を抱きながらも、学校の敷地内での試合であるため、致し方ない。陽介に差し入れ用に、寮にあるコンビニで凍ったドリンクを購入する。気候は爽やかであるが、選手たちは汗をたくさんかくだろう。  学園内で功績を残している部活は、よりよい施設を与えられる。サッカー部は、人工芝のコートが二面あたえたれており、夜でも練習できるよう電灯も完備されている。また、応援席もきちんとあるところがすごい。  寮から学園を通り過ぎて、少し歩くとその立派なサッカーコートはある。試合はすでに始まっており、応援席には、陽介のファンクラブが何人もいて、派手な応援旗を飾っている。たかが練習試合なのに、ここまで応援されるなんて、陽介の人望をまざまざと感じる。あの応援席には、なんだか気後れして入る気にはなれず、木陰から試合を眺める。  僕はスポーツ全般、苦手だ。サッカーだって、体育の授業で仕方なしにやってみても、動かないあのボールを蹴ることすら出来ないのだ。目の前で、なんという高校なのかチームなのかわからない相手と陽介は一つの白黒のボールを追っかけている。 「あ…っ」  素人目でもわかるほど、陽介の足さばきはきれいだった。無駄がなく、まるで足の裏とボールが磁石で連携しているかのような、ぴったりとした動きは、美しいのだ。何度も彼のサッカーをしている姿を見てきたが、また磨きがかかった…と一人つぶやく。どんどん彼は進化していっているのだ、とどこか遠い存在のように感じる。三人ものマークをひらりひらりと身軽にかわし、軽やかにゴールを決めてしまう。周囲からは歓喜の声と黄色い声援があがる。同時に陽介のコールが聞こえる。この前聞いたものとは少しアレンジが異なるような気がした。  大きな体躯をした敵チームのおそらく三年生を軽々と蹴散らしてしまう姿にドキドキしている。汗がたら、とこめかみを伝うので、はっと意識を取り戻すと、陽介がこちらを見た気がした。早まる心臓の前で手のひらの汗を誤魔化すように握りこみ、声を振り絞る。 「ようす、」 「陽介ーっ!かっこいいぞー!!」  僕の声は、観客席から飛ばされたある男の子の声にかき消されてしまった。あまりの大きさに、びくっと肩がすくんだ。一瞬、辺りも静まり返った。しかし、それを気にも留めないのか、はたまたそれに気をよくしたのか、その声の主は、大きく手を振りぴょんぴょんと観客席で跳ねているのがここからでもわかった。もじゃもじゃの不自然な髪の毛に、ずり落ちそうな大きな眼鏡のその男の子にすぐ陽介の視線は移ってしまい、僕を認識してもらうことは叶わなかった。  どきり、と一気に身体の温度が引いたのがわかった。  みんなが噂していたので身なりをみて、すぐにわかった。見た目を重視するこの学園で異端な存在。暗黙のルールを打ち壊す存在。あれが、噂の転校生だ。学園の人気者を、続々と虜にしているという噂の転校生だ。  彼に陽介は反応することなく、再び試合が始まる。今度は守る側になった陽介たちを見ずに、観客席のある人物に目を奪われていると、彼がこっちを見た気がした。そして、口角を上げ、にやりと僕を見下した笑みを浮かべ、僕は背筋が凍るように冷えた。  すぐに踵を返して、早足で寮の自分の部屋に帰った。きっと気のせいだ。自分の被害妄想に違いないと思うのだが、身体中に鳥肌と、虫がはい回るようなぞわぞわして気持ち悪さが拭えない。玄関のドアを閉め、自分の身体を抱きしめてうずくまる。ずっと頭の中で、ぐわんぐわんと嫌な鐘のような音がする。鳥肌が引く気配がなく、背中を伝う汗が気持ち悪い。急いでシャワーを浴びる。熱いシャワーに全部を流してもらう。  大丈夫。来週、一緒にお昼を食べれば。一緒に笑いあえば。こんな気持ちは払拭されるだろう。冗談を言い合って、あの二人に挟まれていれば、僕の小さな不安は消え去るだろう。  シャワーを終えて、大好きなふわふわのバスタオルに身体を包めば、もう鳥肌は引いていた。玄関には、陽介のために買ったドリンクが解けて、水滴で当たりを濡らしていた。  土日は、同じ寮にいる仲間たちと適当に時間をつぶした。寮の共有スペースでは、常に誰かがおり、テレビゲームをしたり談笑したりしている。そうした誰かと共に過ごすと、気がまぎれた。  そうして、なんとか休日を過ごし、待ちに待った平日。やっと登校できたのに、二人は昼に、僕のもとには来なかった。謝りのメッセージが、その日の夕方にきた。大丈夫、他の友達と食べたよと嘘の連絡をする。二人をずっと待っていて、弁当は食べ損ねてしまった。それでも、空腹は感じなかった。でも、ここで腹の中にある怒りや不満をぶつけても、二人は困ってしまうだろう。僕から、より距離をとってしまうだろうという気がして、本当のことは話せなかった。僕は、居心地が良い二人との関係に固執していたのだ。  次の日も、僕のもとを訪ねる友人はいなかった。その次の日も。今日あった授業での先生のつまらない冗談の話や、昨晩読み終えた小説の話などをしたい。宿題が大量に出ていたから、それを図書室でこなす、ということを口実に、最終下校まで時間をつぶした。そして、部活動が終わるであろう時間に校門でこっそり待った。携帯をいじり、誰かを待っている風を装う。誰にも連絡はしていない。連絡をして断られたら、この気持ちをどう処理していいかわからなかったからだ。びっくりさせて、いつもみたいに少し小言をいって、機嫌をとろうとする二人に微笑んで、また一緒に過ごせれば良いと思えた。サッカー部の人たちがぞろぞろと歩いて出てきたので、振り返り目をこらす。探すまでもなく、陽介は見つかった。  遠くにいる陽介に声をかけようとするが、まるで魔法にかかったかのように、身動きがとれなくなってしまった。いや、魔法ではなく、呪いだ。遠くにいても聞こえる、大きな声。 「陽介!今日も部屋に行くからな!」  陽介がなんと答えていたかは、わからない。あの黒いもじゃもじゃが、陽介の腕に腕を絡ませ、ぴったりとくっついて頬を赤らめながら話をしている。  バタン、とドアが閉まる音で我に返る。はあはあ、と息は荒く苦しいほど全力で走って、自室に滑り込んだ。頭の中には、彼らの姿がこびりついている。  あれは、まるで。  恋人同士だった。  ついに、来てしまったのだ。陽介にも恋人ができる時が。  実は何度もシュミレーションしていた。彼らに恋人ができたとき。僕はよき友人として、おめでとうと微笑み、かわいい恋人を紹介してもらう。こっそり、肘でつついて、やるじゃん、とか、いい子見つけたな、とか言って、照れて笑う彼らに、もう一度おめでとうと言うのだ。  これは、決意していたことだ。わかっていたことだ。  それが、たとえ、学園中を敵に回している転校生が相手だとしても。  きっと、今、僕が傷ついているのは、昼食を断られていた理由に嘘をつかれていたからだ。いい人ができたから、その人と過ごすって素直に言ってくれればいいのに。もしかして、発情期のことを気にかけて言えなかったのだろうか。そんな重荷になることだけは嫌だったのに。よき友でありたかったのに。  携帯を出し、メッセージアプリを開く。おめでとう、隠さなくたってよかったのに、と冗談を交えながら、送ろうとして、やめた。なんで知ったのかの説明をすることも面倒くさいし、勘違いされたくない。まるで、僕が陽介を好きだったかのような。  ぱた、と液晶画面に何かが落ちた。水滴だ。僕はまた、風呂場にかけこみ、熱いシャワーを浴びた。  大丈夫、大丈夫。と自分を抱え込み、何度も腕をさすりながら。

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