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第7話
昨晩、秀一にメッセージをいれた。昼飯、久々にどう?と。久々、という言葉を使ったときに、そんなに久しぶりか、と考えたが、確かに、もう一週間も会っていないことに気が付いた。もともと、スポーツ選抜クラスにいる陽介と、理系の特進クラスにいる秀一とは、学園内でなかなか会えないのだ。二人とも、登下校は部活動があり、自分とは大きく時間が異なる。また、教室も階や棟が異なるため、会おうと思わないと会えないのだ。いつも、二人が僕のために如何に時間を割いてくれていたのかを今、実感するなんて。遅すぎる。
朝、起きて確認すると、了解という秀一の見た目にはそぐわないかわいいスタンプが送られてきていた。くす、と笑うと、笑ったのもすごく久しぶりな気がした。
秀一は、陽介に恋人ができたことを知っていたのだろうか。それを聞いてみたい。なんだよ仲間はずれかよーと軽口をたたいて、理解ある友人になりたかった。秀一が知らなかったら、陽介のところににやにやしながら乗り込んでやろうと思っていた。一人では、彼に会って笑顔でいられる自信がなかったのだ。
その楽しみに膨らんだ期待は、昼休みにつぶされてしまう。待ち遠しかった昼休み、携帯を開くとメッセージに謝罪文が送られてきていた。また、部活動の緊急集合らしい。明日は絶対に行くというメッセージに多少救われる。
仕方ない、部活なのだから。きっと、大会前で忙しいのだろう。と溜め息をつく。いつも一緒に食べていた、この席では心苦しく、弁当をもって、外で食べようと移動する。たまたま通りかかった渡り廊下で、ガラス張りで覆われた食堂に、ふと目をやった。マンモス校らしく教室三つ分はあるだろう空間にたくさんの椅子や机があり、生徒たちは各々好きなプレートの定食や購買の品物を笑いながら食べている。その中で、すぐに目についてしまった。持っていた弁当をつい落としてしまう。
それは、秀一と陽介が並んで座っていたからだ。それだけなら、よかった。二人の間には、黒いもじゃもじゃのビン底眼鏡の小柄な少年が座っていた。
どういうことなのだろうか。二人はこちら側に背を向けるように座っていて気づかない。噂の転校生は、僕に気づく素振りもなく、二人に楽しそうに話しかけている。
秀一も、僕に嘘をついていた。
それも、あの悪い噂しかない転校生を引き連れて。
教室に戻る気にもなれず、一人になりたかった。人気のない方に足を進めていくうちに、気づけば、学園の奥にひっそりと佇む文化部が使う棟の階段を上っていた。だんだんと埃っぽくなっていく。立ち入り禁止というテープがはがれかかっている扉を目の前にして、重いそれを開ける。学園の屋上に初めて、足を踏み入れた。
足を進め、屋上の真ん中で大きく息を吸い込む。そして、あああー!と大きく叫んでみる。今までの鬱憤をすべて掃き散らかすように吠える。何度か叫ぶと、喉が枯れて、むせた咳が出たところでやめる。少し、すっきりとした。そのまま、薄汚れたコンクリートの上にひっくり返る。空は、曇天だった。このコンクリートと同じ色の雲が、歩くようなスピードでどんどん流れていき、形を変える。僕もこのくらい柔軟に形をかえなければ。
瞼を降ろす。湿った雨の匂いが近づいてきている気がした。雨の匂いは、湿気と埃や土が混ざったものだと聞いたことがある。今の僕に、ぴったりの匂いな気がした。ゆっくりと瞼を上げると、目の前に顔があった。人は驚きすぎると、声が出ないらしい。
目を見開いて、目の前の彼を凝視する。彼は、切れ長の瞳で僕を覗き込んでいる。長い前髪の間から、曇天の中の日差しに照らされて、銀色のピアスが大きくきらめき、まぶしさに目をすがめた。
「死んだのかと思った」
バリトンの良い声の響きが脳に伝わってから、僕は急いで身を起こす。
「…いつから、いました…?」
だるそうに、ポケットに手を突っ込みながら、彼もかがめていた腰を戻す。とても身長が高い。
「ずっと」
僕の一生で一番大きな声を出した、あの恥ずかしい愚かな姿を見られたのかと思うと、顔に血が集まるような感覚がした。
「それは…なんと、お見苦しいところを…」
正座になおり、もにょもにょと言葉をこぼす僕に興味をなくしたのか、彼は、何も言わずに踵を返した。そして、入ったときには気づかなかった小さなテントの中に大きな彼は、のそのそと帰っていった。
こ、これは…。僕の心には、幼いころに見た映画のことが思い浮かばれた。幼い女の子が引っ越し先の森で大きな不思議な生き物と出会う映画。僕はその愛らしいキャラクターや物語のわくわくが大好きで何度も見た。
テントの前に立ち、そっと声をかける。
「あ、あの…」
返事はない。
「あ、あのっ!」
しばらく待つが、沈黙しかない。空がごろごろと鳴り始めた。すると、テントの入口が開き、彼が姿を現す。この小さなテントに身長は190ほどあるであろう彼がいるという、なんともアンバランスな感じがかわいくて、くす、と笑ってしまう。一度、笑いがこぼれると止まらなくなってしまった。今までの嫌なことの分、声を出して笑った。ひーひー、笑う僕を、彼は不思議そうに眺めていた。
「君、かわいいね」
素直にそう言葉にすると、発した後に、下手なナンパみたいだと思った。僕みたいなちびが、体格も顔もいい男になんてこと言っているんだろうと思ったら、また笑えて来た。おかしくなってしまったのだろうか。
彼は、テントから抜け出し、僕の前に立つ。大きくて、見上げる首が痛くなりそうだと思っていると、彼は表情を変えずに、僕を見据えて言った。
「よく言われる」
ぽかん、と口を開けてあっけをとられていると、彼は片方の口角だけを上げた。その優しいまなざしと不器用な笑顔と下手な冗談に、ぼろりと涙がこぼれた。それから、彼の前でわんわん泣いた。彼は少し動揺しているようだったが、隣で背中をさすってくれた。その温かさに、また涙がこぼれた。僕は自分の感情でいっぱいいっぱいで、隣で彼が、ポケットからカプセルを出して飲み込んだことなど気づくこともなかった。
泣き止む頃には、曇天は去り、青空が見えた。それでも、肌をまとう湿度に、梅雨の訪れを感じる。
「あの…」
「ん?」
今度の呼びかけに、彼は反応してくれる。ちらりと、隣にいる彼を見やる。彼は僕を優しいまなざしで見ている。それに、ほっとしながらも、胸の奥で温まる何かに気づかなかった。
「あなた、なんていうの?」
ずび、と鼻水をすすりながら聞くと、ふ、と笑った彼は、「カスミ」と答えた。
「トトロじゃないんだ…」
心の声が漏れてしまい、咄嗟に両手で口元をおおう。彼は、眉を寄せて、こちらを見ている。お、怒らせた…。じり、と冷や汗をかく。
「トトロって、何?」
目を見開いてしまう。凄みをもって見つめられたから、てっきり殴られるのかと思ったのに。さらに、この世の中に、トトロを知らない人類がいるなんて…。
すると、頬に、冷たい雫がぶつかった。青空は見えるのに、黒い雲が真上にある。ぽつぽつ、と彼の前髪を濡らしはじめていた。
雨が降り始め、沈黙が過ぎるが、彼は僕の言葉はじっくり待ってくれている。その見た目との大きなギャップが愛らしいと心から思った。
これが、僕と佳純の出会いだった。
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