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第8話

 翌日の昼休みも、僕を訪ねてくる友人はいなかった。急ぎ足で、教室から程遠い、あの屋上を目指した。さび付いた重い扉を開けると、相変わらずの曇天だ。そして、小さなテントの前で声をかける。 「あ、あの…」  返事はない。弁当袋を握りしめて、もう一度大きな声で言う。 「あのっ」  ジー、とテントのジッパーがおりて、中が見える。テントの中は見かけの割に広々としており、彼の枕や成人向けの雑誌が見え、目をそらしてしまう。 「お昼、食べた?」  彼が、身じろぎして、テントから足を出した。長い脚のズボンの裾が、めくりあがり、踝のあたりに黒い蛇のようなタトゥーが一瞬見えた。身が固くなった。も、もしかして、この人、見た目通り、怖い人なのかも…と今更ながらの思いがあふれてきた。  ドキドキしながら、目線をあげると、彼は眠たげな瞳でまっすぐどこかを見つめている。その眼差しに、実家で飼っている猫を思い出した。猫もよく、意味ありげに変なところをずっと見つめているから。そして、ぐう…と腹の虫の音が聞こえた。  言葉の少ない彼に、口元がゆるみ、身体の緊張がほどけたのもわかった。 「おにぎりでよかったら、食べる?」  じ、と目の前に出したおにぎりを見つめている彼。僕の顔を見つめる。そのきれいな瞳にどき、とすると、すぐにそれはおにぎりを見つめる。 「し、シーチキン…」  なんだか、具を聞かれている気がして、そうつぶやくと、彼はうなずいた。おにぎりを手に取り。もぐもぐ食べだした。その隣で寮母の弁当を広げ、食べだす。特に話すこともないが、彼の隣で過ぎる時間は心地よかった。勝手に押しかけてきているのに、彼は嫌な顔はひとつしないでいてくれる。学園内なのに、学園にいることを忘れるような、ここはまるで二人きりの楽園のような気にもなってくる。 「名前」 「はいっ」  いきなり、彼の声が聞こえて、びくっと身を縮め、大きな声で返事をしてしまった。まだ、彼からの言葉には緊張してしまう。それはそのはずだ。だって、出会ったのは昨日なのだから。と自分に言い聞かす。逆に、出会ったばかりの彼にここまで居心地の良さを感じるのは、なぜだろう、と少し考えたものの、きっと、自分が友達を二人も失い、人を恋しんでいたからだろうと結論にまとめた。 「名前」  もう一度、彼が同じことを言う。す、と僕の目を見つめてくる。その青のような、紫のような瞳に見つめられると、心臓がうずく。 「え、あ、僕の?」  どきまぎしながら、聞き返すと、彼は小さくうなずいた。 「ご、ごめん。言ってなかったね。僕は、七海。七つの海と書いて、七海」  ななみ、と小さく彼が口の中で転がすように名前をつぶやいた気がして、爪先がしびれるような感覚がした。それを誤魔化すように、僕はわざと明るく聞いた。 「か、かすみ、さん?は、どう書くんですか?」  いつもだらしなくかけられるだけのようなネクタイの色から同級生であることは、わかっていたが、気恥ずかしくて敬称をつけてしまう。それに少し眉根を寄せたようだったが、すぐいつもの無表情に戻り、僕の箸をつかんでいた手を握りしめた。 「へっ」  そのいきなりのしぐさに、心臓が飛び跳ね、箸をばらばらと落としてしまった。彼の手は大きく、ひんやりとしていた。手を彼のもとへ引き寄せられ、何をされるのかと目を見張るが、彼は閉じられたその手を優しく開き、手のひらの、無骨な指で何かをなぞった。その動きに、びくり、と身体が反応してしまう。 「な、なに…?」 「かすみ」  彼がそう言葉を残し、もう一度、指で手のひらをなぞる。よくよく集中してみると、漢字を書いているようだ。身を寄せ、彼の指先を覗き込む。もう一回!とねだると、彼は嫌な顔せず、するすると手のひらの上に漢字を書く。  佳、純 「佳純!」  漢字が見え、大きな声を出してしまう。佳純。彼の名前は、佳純だ。  最初、大きな声に少しだけ目を見開いたが、彼は嬉しそうに口元をほころばせた。その微笑みに、ぐっ、と息が詰まった。かわいい、と抱きしめたくなってしまったからだ。こんな大きな身体で、怖い冷たい表情をしているのに、彼は愛らしい。抱きしめて、よしよしと頭を撫でたくなる。 「ありがとう」  何に対してのありがとうなのか、自分の中で不明確だったが、今、どうしても彼に伝えたくなった。彼は少し首をかしげてから、またおにぎりを頬張った。  今日わかったことがある。カスミは、佳純と書く。おにぎりの好きな具は、シーチキン。そして、手は冷たいこと。  彼に握られ、佳純、と書かれた手は、ずっと熱かった。  彼に手のひらを引き寄せられたときに、うっすらと匂った、彼の甘い匂いが鼻の奥にこびりついている。思い返すと、じぃん、と身体と脳がしびれた感覚になる。マスカットのような、爽やかで甘い彼の匂いは、間違いなくアルファの匂いだった。  それから、僕は、毎日、昼休みになると佳純のもとへ行った。  彼はいつも、屋上にいた。昼休みが終わろうとすると、僕は急いで準備をするが、彼はテントにもぐってしまう。授業は一体どうしているのか、興味本位で聞いてみたが、なんとでもなる、と言われて、答えに困ってしまった。そうじゃないのだけれど…。でも、くわ、とあくびをする彼を見ていると、どうでもよくなってしまう。彼と一緒にいると、どうでもよくなるのだ。  相変わらず、友人二人とは会っていない。しばらしく会っていない。前までは来ていた謝罪のメッセージも、僕が返事をやめた頃か、あっちが送るのやめた頃かで、なくなった。それには、少し寂しさを抱くが、毎日、昼休みに自由な佳純に出会うと、小さなことな気がして、僕も屋上で昼寝をした。  でも、残念なことに、もう梅雨前線がきてしまった。昨夜止んだ雨は、朝起きるとしとしとと地上を湿らせていた。今日から、しばらくは雨予報だ。  昨日、雨が降っていたが、屋上に行ってみた。彼はいなかった。何にも言わずにいなくなられ、肩を濡らす雨粒は鋭く、冷たかった。でも、どこかに彼が自由に生きているのではないかと思うと、宝物を探すようにわくわくした。今日は、彼を見つけ出す!と決意して、学園探索をはじめる。  昼休みを費やして、屋上があった文化部の棟をくまなく探すが、見つからなかった。放課後、その隣の棟を探してみた。部活動で使っている部屋は見られなかったが、それ以外は机の下やロッカーの中までくまなく探した。それでも、彼の存在のかけらすら見つからなかった。  それでも、見つけたい、と思った。なんだかわからない力に導かれている気もするが、佳純を、僕の力で見つけ出したいと思った。だから、めそめそ寂しがってる場合ではないのだ。両頬をぺちんとはたいて、気持ちをいれる。頑張るぞ。  曲がり角で、誰かとぶつかった。同じくらいの体格の男の子だったが、目があって、息をのむ。身体が心臓になってしまったかのように、大きくドクンと音が鳴った気がした。 「お前を探してたんだ」  この場に、僕以外の人間はいない。目の前のもじゃもじゃ頭で瞳の見えないメガネの彼は、僕に話しかけているのだ。なぜ、初めて話す相手に「お前」といえるのだろうか。全身から自分は間違っていない、という自信があふれている。思わず、一歩、後ずさってしまった。返事をしようと声を出そうとしたときに、被せて彼は話してきた。 「お前が七海だろ。お前に伝えなきゃならないことがある」  学園を乱す、台風の目が僕に何の用なのだ。伝えなければならないこと。その言葉に眉を寄せ、全身が硬直する。 「秀一と陽介が、お前に付きまとわれて迷惑してるんだよ!」  言っている意味がわからずに、処理に時間がかかった。やっとまばたきができた。目がしみて涙のような薄膜がはられ、自分がまばたきすらも忘れていたことに気づく。そのあとに、呼吸を止めていたことに気づいた。いきなり入ってきた空気にむせ返ってしまったが、そんな僕を気にせず彼は畳みかけてくる。 「なんとか言ったらどうなんだよ?!言い返せないってことは認めたってことだよな?!」  身体にびりびりと響くほどの大きな声で怒鳴られる。僕と同じくらいの大きさの男の子とは思えない。さらに肩をすぼめ、固まってしまう。言いたいことは山ほどあるのに、声がでない。このままでは、彼の勝手で理不尽極まりない理論で片付けられてしまう。  そんな僕にしびれを切らしたのか、彼は大きく右手を振り上げた。パンッと廊下に轟く高い音に気づいたと同時に左頬がじんじんとひりつく。 「秀一も陽介も、お前のせいで困ってるんだよ!もう二度とかかわるな!」  本当に、彼らがそういったの?  本当に、彼らがあなたにそんな話をしたの?  本当に、彼らはそう思っているの?  言葉は頭の中でいくつも反芻されたが、茫然と立ち尽くし左頬を真っ赤に腫らす僕に、彼は勝ち誇った顔をして、「秀一も陽介も、お前なんかいらないんだよ」とセリフを吐き捨て、わざわざ僕の右肩にぶつかって、去っていった。きゅ、きゅ、と上履きの気持ち悪い音が遠くの方でしていた。そして、彼とすれ違いざまに、懐かしい二人の匂いが彼から漂ってきた。  なんて広い学園なんだ。はじめて、この学園の設備のよさを恨んだ。どうしたら、彼は見つかるのか。棟と棟を結ぶ開けた渡り廊下で足を止める。まだ花開かないアジサイに大きい雨粒が、ばちばちと当たっては弾ける。激しい雨脚に、小バカにされている気分になってきてしまった。遠くでは、ブラスバンドのまとまった美しい音色が聞こえる。  たった一人ぼっちの僕。  佳純のこと、友達だと、思ったのにな…。  さっきから、頭がガンガンと何かに殴られているかのように痛い。 「うっ…ひっ、く…ばか…ばかかすみ…」  ばかすみ…と嗚咽にまぎれて、つぶやく。もう一度つぶやく。ばちばち、と雨粒が弾ける。  理不尽な暴力を振るった彼が憎かった。本当のことを教えてくれない友人の考えていることがわからなくて怖い。大好きだった友人に、理由もわからないまま嫌われていく自分が一番気味が悪くて恐ろしくて嫌いだ。  さらに、唯一の心の支えだった彼すらも、僕から去っていってしまったのか。  もう、何もかも嫌だ。  ふ、と甘い匂いがした。 「また、泣いてる」  目線をあげると、いつもの無表情がいた。足元が地についているのかわからないような浮遊感が訪れた。嬉しさに指先が震えた。 「ばかすみ…っ」  そういうと、彼は少しむっとした顔をして、眉根を寄せる。でも、僕はもう一度言った。佳純は、ゆっくり僕の様子を伺いながら、右手を出し、その長い腕で抱え込むように僕の右肩を背中側から優しく叩いた。慰めてくれるような優しいテンポで柔く叩かれると、その腕の温かさに涙がまたこぼれた。  彼の首元にすり寄り、聞こえないようにつぶやく。思ったより、吐息が震えていた。 「見つけてくれて、ありがとう」  佳純はそれが聞こえたのか聞こえてないのかわからないが、僕が泣き止むまで肩を叩いてくれた。あの時と同じだ。  耳障りだった雨音は、彼の心地よい心音でかき消された。

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