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第1話―翠(アキラ)―

今日は寒い。未明から降り始めた雪が膝上まで降り積もり、シンシンと冷えてくる。 こんな日はきっと誰もこの人里離れた山奥に建つ、廃業寸前・・・休業中のロッジまで辿り着く事も出来ないだろう。このままずっと降り積もって、全てを真っ白に染めて何もなかった事にならないどろうか・・・ 僕は北里 翠(きたざと あきら) 東京のとある音大に現役で合格したもののそれから二年後に・・・両親が事故に合いそのまま帰らぬ人となった。まだ何も恩返し出来ていない。なんでウチの両親がこんな目に、そう悲しみに打ちひしがれている暇もナシに、借金取りが葬式会場へ乱入してきた。 その借金の総額一千万円。 とても僕一人で払える額じゃない。そして、葬式会場で悲しみを共有していたはずの親戚が一斉にいなくなったのもこれが現実か。 両親が残してくれた物は古いロッジを改装して開いた民宿「ロッジマエストロ」と、量産の安物のバイオリン。   それらを処分したって一千万円には程遠い。 毎日のように催促するガラの悪い借金取りとのやり取り。いい加減僕も疲れ切っていた。毎日毎日抜け殻のように過ごした。 それでも毎日欠かさずバイオリンを弾く事を止めなられない僕はバカなんだと思う。 「あー、生きるのめんどう・・・」 そんな事を呟いてしまう。音大はとりあえず休学届を提出していたが、きっとこのまま辞めてしまうことになるだろう。保険金が降りるらしいが、審査だのなんだのと何時になるのかさっぱり分からない。だいたい、保険金も差し押せえの対象だ。 大好きなバイオリンを生きる糧にしたいと、猛勉強したあの日々はすっかり無駄になってしまった。まさかこんな日が来るなんて、誰も考えやしないだろう、。当然、この先の事なんて全く考えられない。降り積もる雪を見て、溜息を一つ吐く。 「まっしろ・・・お先真っ暗・・・まっしろ・・・」 電気電話とガスを止められて、辛うじて水道だけ残ったライフライン。暖房がなければ寒さで死んでしまう。山の恵みを頂く事はできるが、はいどうぞ、と恵んでくれはしない。 この寒さの中、かじかむ指先を動かしながら、森に出て火が付きそうな木材と松ぼっくりを拾う。 雪が降る前にもだいぶ集めたが、この様子だと木材はいくらあっても困らないだろう。 それに、他にやることと言えばバイオリンを弾くだけだし。何もしなければ悪い事ばかりが頭をよぎっておかしくなりそうだ。それでも、黙々と一人で続ける作業は気が滅入ってくる。 「あ~・・・どうしよ・・・」 独り言はすぐに雪に吸い込まれていき、空しく寂しい。大事にしてきたバイオリンを弾く指先も寒さでかじかんでしまった。あかぎれでも出来たらバイオリンを弾くのに支障がでるかもしれない。 「まあ、別に。弾けなくなっても・・・」 その先を続けるには悲しくて、辛くて。 足元をスコップで軽く掘り、土が現れたところから、使えそうな小枝を拾う。しかしどれも雪の水分を吸っていて、このままでは火にくべられない。それでも燃やす物がなくなるよりはいい。きっと春までは火を絶やす事は出来ないだろうし。火を絶やせば寒さで凍えて死ぬかもしれない。とにかく僕はもう、余計な事は考えず穴を掘って掘って掘った。 ・・・このまま埋もれたい・・・ そうこうしているうちに辺りが暗くなってきた。 「そろそろ帰ろう・・・」 背中に背負った木々を一旦担ぎ直して、僕は雪が降り積もった道なき道をロッジのある家へ歩き始めた。真っ白な道はまるで自分の将来へ続いているようだ。 将来が見当たらない自分の行き先は雪原よりも白い。 「・・・ん? なんか落ちてる・・・?」 しばらく歩いていると、前方、夕闇に溶け込んできた暗がりの道の上に、なにやら黒い大きな物が落ちている。うっわ~、やだな・・・なんかの死体? 鹿とかかな・・・? 「っ! ひ、人だ! ちょっと! うそでしょ!?」 そばに寄って見てみたら、人が倒れていた。動物の死体だって見るの嫌なのに、なんで人の死体がこんな所に落ちてんだよ~ ああ、いや、まだ、死体だって決まったワケじゃないけれど・・・うわ~どうしよう・・・声をかけて死んでたら・・・うっわ~・・・でも見なかった事にする訳にもいかずだ・・・ くっそ・・・もう! なんでこんな所に転がってんだ! ここは別に自殺の名所でもなんでもないぞ! 「も、もしもし・・・? あの、生きてますか・・・?」 少しだけ雪をかぶり始めていた死体(仮)をしゃがんで片手でそっと揺らしてみる。 ん? 動いた? 生きてる? 「生きてる? ちょっと! もしもーし!」 今度は両手でグイグイと揺らしてみた。そして、顔にうっすらと積もってしまった雪を払うと・・・ 驚いて僕は、手を引いてしまった。 その顔はまるで、おとぎ話に出てくるような雪の女王みたいに綺麗で整い過ぎた横顔だった。前髪のプラチナブロンドが目の少し下までサラリと流れている。鼻筋は通って高く、唇はこの寒さで色を失って青くなっている。その白さは死を表しているようで、両親の死に顔を思い出してしまって、とても恐ろしい。僕はその白の恐ろしさと、眩いばかりの美しさの違いに戸惑い動けなくなって茫然とその雪の女王をただ見つめているしか出来なかった。 しかし、動けなくなった体を動かす風のように、青白い唇から吐息が漏れた。 「ん・・・」 「い、生きてる? ねぇ! ちょっと! しっかりしてください!」 声をかけ、また体を少し乱暴に揺すると、長い白銀の睫毛が微かに震え、ゆっくりと瞼が上がっていった。瞼の向こうにあった瞳は、確かに命を感じる深い湖の様なブルーだ。 何度か瞬きを繰り返し、やっと焦点が合ったと思った時、再度、僕の体を凍らせた。 「Mir ist kalt!(めっちゃ寒い!)」 そう呟くと、雪の女王さまが、いきなり僕の首に腕をまわして抱きついた。 抱きつかれて気が付いた。雪の女王さまは、どうやら男だ。しかもかなり大きい。抱きつかれた僕は身動きが全く取れないぐらい、その大きな体に包み込まれてしまった。 とにかく慌ててその大きな体を自分から引きはがそうとしても、彼の力には全く叶わない。 「ちょ、ちょっと! あの! 落ち着いてください! 離れてください!」 「暖かい・・・やっと人間に会えた・・・」 雪の女王さまは、男で、声がテノールより若干低めだった。それにしたって、人間に会えったって・・・いったいどこを歩いてきたんだ? 「え? 人間に会えたって?」 「神に感謝する・・・」 「どうでもいいけど、離れてくださいってば!」 思いっきり力を込めて、その大きな体を押し、引きはがした。 なんてバカ力、息ができなかったぞ。体を押し戻された雪の女王さまは、じっと僕を見つめ返して、ボソっと呟いた。 「・・・・キミは人間か?」 「何言ってんですか? あ、雪山症候群とか?」 「??」 「あれって、素っ裸になって死ぬんだっけ・・・?」 「???」 「まあ、いいや。それで、こんなところで一体何をしてたんですか?」 「・・・キミは・・・ロッジマエストロを知っているか?」 「・・・知ってますけど」 っていうか、ウチです、それ。 「それは良かった! さっそく案内してくれ」 「・・・・なんか」 偉そうだな・・・ 「ん? なんだ?」 「いえ、別に。ロッジマエストロはウチですが、今はお客さんをお迎えしてません。来て頂いてもなんのおもてなしも出来ないので、このままお帰りくださるとありがたいんですけど・・・」 「・・・・は? 今から帰れと? どうみても帰れるわけがなかろうが」 「ですよね~・・・でも、ホントになんにも無いから・・・まいったな・・・」 「とにかく! 俺は寒い! 屋根のある暖かい場所へ連れて行くのが今の貴様の使命だ」 「なんでそんなに偉そうなんですかねぇ・・・」 「ん? なにか言ったか?」 「いえ、別に。じゃあ、なんにもない我が家へどうぞ。こちらです」 なんだかとっても面倒な人を拾ってしまった。夕闇はどんどん深く暗くなっていくし、この雪の中を捨てていくわけにもいかず・・・成り行きにしては不用心だっただろうか? まあ、今は人生最悪の航海中だ。この大嵐の中、一人でいるとどんどん滅入ってくる。誰でもそばにいると気が多少は紛れるかな。暗くなり始めて歩きづらい雪道を、大きな雪の女王さまと歩き出す。横に並んでさらに思ったけど、この人、ホントに大きな・・・身長どのぐらいかな?180以上は確実にあるな。 しかし、このまま黙って歩くのもなんだし、ああ、そうだ。 「あ、お名前は?」 「・・・・人に名を聞く前に、自分から名乗るものだ」 うっわ~、めんどくっさー 「北里 翠です。よろしく。 で?」 「・・・・卯一郎(ういちろう)・フランツ・エーテルシュタイン」 うわ。貴族っぽい名前だ~ 「・・・長いお名前ですね」 「卯一郎でいい」 おや、呼び付けおっけ? でも、また面倒な事を言われるのはイヤだし、ここは無難にいっとくか。 「じゃあ、卯一郎さん。卯一郎さんはどこの国の人ですか?」 「オーストリアだ」 「オーストリア!」 「なんだ?」 「え・・・いや・・・いいところですよね・・・」 「? 行った事があるのか?」 「いえ、ないですけど・・・」 「行ったこともないのに、良い所かどうかなんてわからないだろうが」 「ですよね~・・・」 行ったことがないけれど、行きたかったところです。音楽を志す者ならば、留学の候補地ですから。まあ、今の僕にはこの先も、一生縁のない土地ですけどね。そんな憧れの場所出身なんですから、いいな、って思って当然でしょう。 一瞬、そう怒鳴ってしまいそうに感情が胸を吐いたけど、こんな風に感情が溢れそうになるのもいつぶりかな・・・? なんだ、僕、ぜんぜんまだまだ元気じゃないか。 ま、彼にそんな怒りをぶつけるのはどう考えてもお門違いってもんだしね。 しかし、いちいちカチンっとこさせる話し方は、教育の問題なのか日本語の問題なのか お国柄なのか・・・ 「気に入らん」 「へ?」 「その顔、気に入らん」 「・・・え~・・・」 そうくるのか。気に入らない顔と言われたって、産まれてからずっとこの顔でして・・・ 「・・・すみませんね・・・」 「・・・だから、そういうのが、気に入らない」 「? は? どういうところですか?」 なんて尊大な態度! つい言い返す言葉に棘が出る! 「ヘラヘラと、笑っているが、言いたい事は百もあるって顔だ」 「・・・・・・そんな顔でした?」 「そんな顔だ」 これにはちょっと驚いた。この人、偉そうにしてて相手の事なんて考えないタイプかと思ったけど、違うのかな? 「言いたい事があるなら、言えばいい」 「ん~・・・でもなぁ・・・」 「なんだ?」 「口は災いのもと、とも言いますし。怒られるのイヤですし」 「わかった。怒らないから、言ってみろ」 「ホントに怒りません?」 「くどいぞ」 「じゃあ・・・なんでそんなに偉そうなんですか?」 「・・・・・散々もったいぶってそれか・・・」 「お、怒らないって言ったじゃないですか・・・!」 「怒ってないだろう? ほれ、この笑顔」 「こ、こわい・・・!」 にっこり微笑んだ氷の微笑は全てを凍らせるブリザード。 全然笑っていないその深いアイスブルーの瞳が更に怖い。とにかく怖い。笑顔怖いってどういう事なんだ。 でも、なにこの人! 面白い人だ! ダメだ、笑いが込み上げてくる! 「ぶっ! ははは・・・あははははは!」 「・・・・なんだ、本当に変な奴だな!」 「す、すみませ、ぶっふ! ははははは・・・」 「まあ、偽物の笑顔よりはいいけどな」 「・・・え? 偽物?」 「俺と会ってから今までずっと偽物の笑顔だった。今は本物の笑顔だ。そっちの方が、ずっと良いぞ。美人に笑顔は一番だろ」 「ぶっ!! び、びじ・・・・あははははは!」 「笑うところじゃないはずだが・・・」 「いや、な、なん・・・あははははは・・・・」 「変な奴だ」 両親が亡くなって半年。初めて心から笑ったせいなのか、とにかく溢れだしたら止まらなくなった。なにがオカシイのか、最後の方は腹が痛すぎてそれすら思い出せないぐらい 僕は笑った。

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