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第2話―翠(アキラ)―
「・・・・・なんでこんなに暗いんだ。そして、寒いぞ!」
ロッジに着いた途端にプンスカ怒り始めた雪の女王さま。女王さまの身長は187センチだそうで。道すがら、そういうたわいもない話をしながらやっとロッジに着いた。怒りん棒の雪の女王さまこと、卯一郎さんは、背は大きく肩幅もあるが、割とスレンダーに見える。まあ、寒くて膝丈まであるダウンコートが脱げないので、その上から見た感じだけどね。
「すみません。電気もガスも止めれてしまってて。今、暖炉を稼働させますんで、
そこのソファにでも座って待っててください」
僕はとりあえず、燭台のろうそくにライターで火を灯した。部屋が少し明るくなったが、電気で着く明るさには敵わない。
「・・・・この部屋は・・・リビングではないようだが?」
腰に両手を当ててぐるりと部屋を見渡した卯一郎さんは、キリリと整った眉を顰めてそう言った。
「リビングは広すぎるので、この客間を普段は使ってます。部屋を暖めるのも時間がかかりませんから」
「・・・・オーナー夫妻はどうしたんだ? このロッジの有様はどうしたんだ?」
おやま。いきなりデリケートな話題を。
「両親は半年前に亡くなりました。僕一人では民宿をやっていけないんで」
「従業員を雇えばいいだろう?」
またまたデリケートなところを平気で突っついてくるなぁ。
「借金があるんで、人を雇う余裕も民宿をやることもできません」
「借金? いくらだ?」
ええ~! 金額まで聞いちゃいますか? この雪の女王さまったらデリカシーをお母様のお腹の中に置いてきちゃってんの? でも、まあ、腫れものに触るような態度でいられたら、僕も気が滅入るし。
「なんだ? また言いたい事を溜めこんでるのか?」
「まあ、そんなところですね」
「言いたくないならそう言えば良いだろう? 面倒なやつめ」
ええええ~!
「面倒なのは、卯一郎さんでは?」
「? は? 俺が? どこがだ?」
「えっと・・・ズケズケと、いろいろと聞くし」
「聞かなければ、この現状を理解できないだろ。昔来た時は、ここはとても居心地のいいロッジだったのに・・・」
「え?」
「今は・・・こんなにも寂しい様相だ。ここを仕切っていた夫婦がどうなったか聞きたくなるのは普通だろう? しかし・・・亡くなったとは・・・お悔やみを申し上げる」
そう言うと、神妙な面持ちになった不遜で尊大な雪の女王さまが、僕にゆっくりと頭を下げた。ちょっと信じられなくて、ポカンと口を開けっぱなしにしてしまい、気付いて急いで閉じた。
「あ、あの、どうもご丁寧に。えっと、もう頭を上げてください」
「ああ、日本の風習は難しいな。間違っていたか?」
「いえ、そんなことはないですが・・・頭はそんなに下げなくても良い様な気がします」
「そうか。以後気を付ける」
「で、あの・・・ここに以前、来た事があるんですか?」
「ああ。だいぶ昔の話・・・もう十年経つか。日本人の祖母と一緒に、このロッジに泊まったんだ」
卯一郎さんは懐かしむ様に、視線を辺りに巡らせた。きっとお祖母さんとの思い出を思い出しているんだろう。整った唇が微かに微笑んでいる。十年前なら、もしかしたら僕とも会ってる可能性がある。あの頃はまだ僕もこの家で小学生をやっていたが、学校が終わればすぐに帰ってバイオリンを夕食まで弾いていた。お客さんとは別で食事をしていたが、ロッジの中で客室以外は割と自由に歩き回っていた気がするし。卯一郎さんに確かめようと顔を仰ぎ見ると、綺麗な顔につい、見とれてしまった。すると、卯一郎さんは、僕を見た。
「おい、暖炉に早く火を入れろ。寒い」
「あ、はい。今すぐに」
「何をバカみたいに口を開けてるんだ。お前は」
「すみません」
バカみたいに口を開けて、貴方を見てました。ああ~、恥ずかしい。
「綺麗な顔が、アホ面丸出しだったぞ」
「ぶっ! なんですか、綺麗な顔って・・・」
「言葉のままだ」
「・・・・・」
なにを言っても藪蛇になりそうだな。綺麗と褒められる様な顔を持った覚えはないが、母さんに似ていると良く言われていた女顔だ。父さんは・・・よく熊に間違えられていたっけ。
とにかく僕も寒いので、さっさと暖炉に火を着けよう。昼間に火床に火種を残しているから、そう時間はかからない。燃えやすい松ぼっくりやら藁をそっと火種に近付け燃やしていく。火が大きくなったら大きめの木材を投入して・・・さて、そろそろ落ち着いてきたか?
「ふうん・・・そうやって着けるのか・・・」
「暖炉ですか?」
「ウチにもあったが、そういう作業はした事がない」
「お父さんがやってたんですか?」
「? いや、使用人がやっていたと思う。見た事はないが」
「・・・・使用人、ですか」
「? なんだ?」
あらら、卯一郎さん、やっぱり貴族とか?
「・・・なんだ?」
あ、機嫌悪くなった?
「卯一郎さんは貴族なんですか?」
「そうだ」
「へ~・・・・え!? マジで!?」
「? 嘘を吐いてどうする」
「ま、マジ・・・・」
「なんだ?」
「いや、貴族ってまだいるんだなーって驚いて」
「普通にいるだろ」
「いや、普通にはいませんってば。だからそんなに態度が大きいんですね!
謎が解けました! スッキリした!」
「お前は大概失礼なやつだな」
「え? そうでしたか? 怒りました?」
ありゃ、言いたい事を言いすぎたか?
「・・・いや。言わないで腹の中で文句をウダウダ垂れられるよりはいい」
「え。いや、別に・・・文句なんて・・・」
言ってたな・・・
「言ってましたね。すみません。今度からは言いたい事を言います」
「やはり言ってたのか。まあ、良いだろう。許す」
言いたい事を言っても大丈夫な人、っていうか、言わないと怒っちゃう人なんだ。
「ありがとうございます。それでは、卯一郎さん。今日の夕飯ですが、カップラーメンです。貴族の貴方にこんなのを差し出すのは大変心苦しいんですけど、これしかないんで、文句言ったり怒ったりしないでください」
「カップラーメンなんて食べた事がないが・・・栄養もへったくれもなさそうだ。お前はいつもこんなのを食べているのか?」
「あ、お前っていうの止めてください。僕には翠という名前があります」
「・・・わかった。悪かった。良い名前だ」
わ! 謝った! ちょっと感動? ビックリ?
「ありがとうございます」
「では、翠。お前はこんなものを毎日食べてるのか?」
卯一郎さんは顔を顰めて、カップラーメンとんこつ味をじっと見つめている。
ああ、なんてシュールな絵面だろうか。特売で買った一つ六十八円のカップラーメンとんこつ味と、それを手に取りジッと見つめる美しいプラチナブロンドの貴族さま。
笑いの虫が僕の腹をくすぐってくる。
「す、すみません。お金がないもんで、こ、んな感じで一日過ごしてます」
吐き出した声は笑いを堪えて震えまくってしまった。
「なんで笑ってる。翠は変な奴だな・・・」
「す、すみません」
貴方もけっこう変な人です、卯一郎さん。
「今日はこれを頂く。一度、食べてみたかった」
「あ、食べてみたかったんですか?」
っていうか、やっぱり食べた事なったんだ。へ~。
「日本のテレビCМで見てはいた」
「興味あったんですね」
「何事も、経験だ」
「確かに」
暖炉の上に水を貯めたやかんを置いて湯を沸かす。その間、卯一郎さんは揺らめく火を見つめて何か物思いに耽っていたんで、僕は声をかけずに・・・こっそりと綺麗な卯一郎さんの横顔をチラチラと盗み見ていた。
ホント、絵本の中の雪の女王さまだ。暖炉の揺らめいている火が、青い瞳を赤く染めゆらゆらと揺らめいて美しい。先程倒れて気を失っていた時の白い顔と違い、血の通った唇はピンク色に染まって艶めかしいぐらいだった。プラチナブロンドがキラキラと輝いて色彩の光を放っている。ホント、これで、口が悪くなければねぇ~・・・
「おい」
「は、はい!」
「? 湯が沸いたんじゃないか?」
「え、あ、そうですね」
また心の中を読まれたかと焦ったが、いつの間にか、やかんの出口から湯気がシューシューと元気よく噴きだしていた。急いでやかんを暖炉から上げ、蓋を開けてかやくを淹れた二つのカップラーメンとんこつ味としょうゆ味に、それぞれ注いだ。
うーん、美味しそうな匂い~。実は本日一食目だったりする。
食費をなるべく切り詰めて、なんとか・・・ならんな・・・はは・・・
それにしても、誰かと食事をするのって、何時ぶりかな。しかもこんな綺麗な人と食事とかできるなんて、世の中まだまだ捨てもんじゃないな。
「翠?」
「はい!?」
「どうした? 大丈夫か?」
「え、だ、大丈夫ですけど?」
卯一郎さんがしゃがんで、僕の顔を覗き込んだ。
え、なに? カップラーメンは大丈夫そうだけれど?
「大丈夫じゃないんだな、翠」
「大丈夫ですけど・・・」
「じゃあ、なぜ泣くんだ」
「え?」
あ、ちょっと泣いちゃってた?
大丈夫じゃなさそうなのカップラーメンじゃなくて僕の方か。あ~、久しぶりに借金取り以外の人と話をしたからかな。卯一郎さんは、尊大で、デリカシーなくてちょっと面倒な人で貴族でウィーンに住んでて羨ましくて。
でも、結構、人のことをちゃんと見てる人で。そこそこ優しいところもあるし、一緒にいて意外と結局楽しいし。そういう人と、ちゃんと話をして、ご飯食べるって、ホントに久しぶりで。
「すみません。嬉しくなっちゃって」
「・・・翠?」
「そろそろ、ラーメン出来ますよ。卯一郎さん、人生初のカップラーメンですね。
で、どうしますか?」
「? なにが?」
「とんこつと、しょうゆ。どっちが食べたいですか?」
「・・・・どっちが美味いんだ?」
「両方とも美味いですが」
「・・・・・翠が食べたい方を食べたい」
ええ!! 僕が食べたいのを食べるんですか? どういう理論?
「え~・・・なんですか、それ~・・・」
「で、どっちがいい?」
「うーん、どうしよ・・・」
結局、悩んで選んだのはとんこつ。でも僕はしょうゆを食べて、とんこつは卯一郎さんの腹の中に収まった。卯一郎さんはスープも残さず綺麗に完食し、次
はしょうゆを食べたいと、カップラーメンをいたく気にいったようだった。
満足そうで嬉しそうなその素敵な笑顔に、食費を切り詰めてます、とは言えなかった。
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