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第1話 湯気の向こう

 知ってた? 山に雨が降ると、しゅうしゅうと湯気みたいのが立ち(のぼ)るってことを。  特に夏頃の涼しい日なんかに起きるんだけど、それを見るとまるでここが仙人の国になったみたいに思うんだぜ。山の上の雲と立ち昇る湯気の霧が一体化して、もうここが天に届いたみたいに思えてさあ。  俺はその光景が好きだ――それは俺の生活が山も湯気も身近だからかもしれないけど……。  俺の家は、山間(やまあい)の地域にある風呂屋だ。  最初は俺の祖父(じい)ちゃんの時代にうちの山の土地から温泉が出て、近所の人にふるまうだけの湯殿だった。それが、ゆくゆく祖父ちゃんと祖母ちゃんは小さな風呂屋を営むようになった。  父はそれを継いだけれど、決して経営は楽ではなく、何度か商売を畳もうとしたらしい。  それでも近くに大きな道路が出来て、しだいに温泉地として名が知れるようになった。一大温泉観光地にするべく市も力を入れるようになり、うちは市の資金協力も得て、天然温泉の風呂屋を続けることになった。  その延長線上で、俺――竹藪湯人(たけやぶゆひと)もここで働いている。  どんだけ温泉が好きなんだか、祖父と父は俺に湯という名前を付けた。  俺は街の専門学校に行ったのだが、卒業すると家に戻り、風呂屋の仕事を手伝っている。  別の仕事も考えたことはあって、今でも時々別の仕事をしようかなあと思うこともあるのだけれど……。家の仕事は単調だし、刺激はないし。  それでも結局、風呂も山も好きだ。だからこの仕事も嫌じゃない。将来家業も継ぐかもしれないけどまだわからない。そんな感触で仕事をして、はや一年になる。掃除も番頭役も板に付いてきたものだ。  そんな中、ちょっとだけの息抜きのようなものが俺の仕事場に出来た。  最近時々来る客のことである。

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