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第4話

 今日一日、視線が追ってくるのを蓮は感じていた。啓司が、見ている。今まで、蓮は彼の視界にも入ることはなかった。それが、うって変わって、蓮を追いかけている。そのことに、蓮は満足感を覚えていた。 (また、夜に会いにいける)  少なくとも、蓮が、また、触れたいと思っていることは理解しただろう。  それにしても、音楽の話が通じたのは意外だった。  蓮は、啓司のことをクラッシック音楽など聞かないと思っていたからだ。  知らないことばかり。  啓司が、昨日のように、部屋で自慰行為をしているとも思わなかった。  一日、啓司の視線を感じながら過ごし、授業と補講を終えて部屋に戻る。  全寮制であるこの学校では、食事の時間の影響で、強制的に規則正しく時間を過ごすことになる。異なるのは寝る時間くらいなものだ。  食事の時間は、大抵、私服で参加して良いことになっている。だが、創立記念日などの特別な日には、制服着用が義務付けられている。平日の今日は、服装は自由。蓮は、部屋着として用意しているシャツとスラックスを着て、食堂へ向かう。  決められた席は、朝と同じなので本当は鴫原が目の前に座っているはずだが、またも、啓司が目の前に座っていた。 「鷲尾くん、ほんとうに鴫原くんと席を交換したの?」 「ああ、あいつも、そうしたいみたいだったからさ」  そうしたい、という言葉の理由が、良くわからない。そうすると、啓司は指を僅かに曲げて蓮に、顔を、貸せというようなジェスチャーをする。 「何?」  テーブル越しに顔を近づけると、耳元に、啓司が囁く。温かい、吐息を感じた。 「……鴫原、俺が座ってたあたりに、好きなやつがいるんだよ」 「えっ!?」  驚いて思わず声が漏れてしまい、つい、口元を手で覆う。 「本当、ですか?」 「だから、俺と鴫原は、ウィン・ウィンってやつだな」 「というか、僕には鷲尾くんがこっちの席に来る方がわからないんですけど」  そういいながら離れると、啓司は一瞬、つまらなさそうな顔をしてから、 「同じ趣味のやつがいたら、仲良くなりたいと思うのは普通じゃないかな」  などと、言って明るく笑う。 「そう、いうもの?」 「鳩ヶ谷が俺と会話したくないなら別だけどさ」  啓司が、ポツリと呟く。 「そういうわけじゃないよ」 「それなら良かった。鳩ヶ谷は、あんまり人とつるまないだろ? だから、気になってたんだ」  人と、つるまない。  何気なく言われた評価が、蓮の胸に刺さる。人として、とても、欠けているように思えるからだ。 「鷲尾くんは違うよね。みんなの、人気者だし」 「お前もある意味、人気者だろ、優等生」  人気者、という言葉に、蓮は、引っかかる。確かに、啓司の言う通りだ。優等生で、そして、綺麗な顔をしている。だから、遠巻きに見られていることがある。たまに、危ない目に遭うこともある。その程度で、友人さえ居ない。  嫌なことを、言うものだなとは思ったが、不愉快を表に出すほど、子供ではなかった。にこりと、微笑む。これが、大方の人間には、思考を奪う武器になるのも蓮はよく知っている。 「鷲尾くんに、そういってもらえるのは嬉しいな」  啓司が、一瞬見とれたのを見て、少しだけ胸がすいた。次の瞬間には、その、薄暗い喜びに嫌悪感が湧いた。  夕食のメニューは、大抵、身体に良さそうな、たっぷりの野菜と、肉や魚という感じだった。ヘルシーだが、量が多い。男子高校生の成長に必要な栄養素が、十分に考慮されているのだろう。しかし、そもそも、食が細い蓮には辛い量だったが、特に今日は酷かった。そもそもの肉の量が多かったし、目の前には啓司がいて、何やら意味ありげな視線を投げてくる。おかげで食欲は下がっていたが、食事は残しづらい。  部屋につくなり疲れが込み上げて、ベッドに倒れこんでしまった。  いまからは、勉強の時間だ。それが終わったら身支度を調えて、自由時間。大抵、勉強をしているが、今日は、啓司の部屋を訪ねると決めている。自由時間に友人と過ごすのは、勿論、認められているので、問題はない。 (そういえば……)  蓮は、外国語の勉強もあるし、CDプレーヤーを持ち込んでいるが、啓司はどうなのだろうか? 最近、クラスメイトたちの中には、CDを扱ったことがないという人もいる。  それならば、CDを、持っていくのもおかしいし、そもそも、音楽の話など、一切しないだろう。 (まあ、良いか……)  あのときは、なんとなく思いついて口にしたが、そもそも、バイロンもリストも大して詳しくはない。  このまま横になっていると、うっかり寝そうだと思い、蓮はベッドから這い出た。身体が、異様に重い。 (勉強……)  せめて宿題を、やらなくては。長文の英語読解、単語の書き取り、数学の計算問題、現代国語と古文の予習も必要だ。  まずはテキストを開いて、タイマーをかける。集中するには、これが一番手っ取り早い。そして、集中している間、何も、考えなくてよいのも、有り難いことだった。

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