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ピアス①

血糊で汚れた衣装から着替え、奏が打ち上げ会場に着くと そこには既に多くのスタッフが集まっており、その中に速水と早苗、そして響が談笑している姿を見つけた。 「!——奏、お疲れ様!」 奏の姿に気づいた響が声を掛けると、奏はぎこちない表情で速水に会釈をした。 「聞いて、そーちゃん」 お酒のグラスを持ち、奏が三人の輪に入ると、早苗が切り出した。 「私と速水くん——付き合うことになったの」 「……ふうん」 沈黙の間、皆緊張した面持ちをしながら奏の反応を待っていたが、 奏本人は思いのほかあっさりと報告を受け入れた。 「おめでと」 「……俺たちのこと、認めてくれるんですか?」 速水が怪訝そうな表情で問うと、奏は 「認めるも何も、マネージャーの人生だし」 と返した。 「でも、付き合うならちゃんと責任取ってね」 「もう、そーちゃんっ! 私たち、まだお付き合いが始まって間もないのよ? そんな責任だなんて重いことを持ち出したら、速水くんも困っちゃうでしょ」 早苗が笑って嗜めようとすると、速水は 「俺、本気ですよ」 と即座に言った。 「本気で早苗さんとお付き合いして、きちんと責任を持つ覚悟です。 もちろん、付き合っていく中で、早苗さんが俺に幻滅して離れていくこともあるかもしれませんが——」 「やだっ、逆もしかりでしょ? むしろ私の方が速水くんに引かれちゃう要素いっぱいあるし。 特にお酒の場での失態は未だ見せたことないから……」 「じゃあ、今日見せてくれますか? 多分、そんなことで引いたりはしないと思いますけど」 「ええー?そんなこと言われたら、遠慮せず飲んじゃうわよ?」 「いいですよ。どんな早苗さんでも受け止める覚悟です」 「嬉しい……!」 二人が熱い言葉を交わし合っているのを、奏と響は死んだような目で傍観していた。 ——やがて、二人の呆れた視線に気付き、我に返った速水がコホンと咳払いをした。 「と、とにかく奏さんが心配することのないよう、誠意ある交際を心掛けますので! 俺のこと、今後ともどうぞよろしくお願いしますっ!」 奏に向かって速水がガバリと頭を下げると、隣で見ていた響は思わず噴き出して言った。 「ははっ!右京、それじゃまるで加納さんの父親に結婚の挨拶をするみたいになってるよ」 すると早苗もつられて笑いながら言った。 「ふふ、でもあながち間違ってないわ。 私のお父さんは何でも私の好きなようにすればいいって考えの人だから、私が誰と結婚しようが反対しないと思うの。 だからどっちかと言えば、そーちゃんの方が私の身を案じてくれて、周囲に対して厳しい節があるのよね」 「俺、マネージャーの父親になった覚えはないんだけど」 奏が不服そうに言ったところで、会場中にマイク音声が流れてきた。 「それでは、監督と主演のお二人からそれぞれ撮影を終えての一言を頂けたらと思います!」 「一言?」 奏がぽかんとすると、速水がこう囁いた。 「あ、事前に言われてなかったですか? 打ち上げの終盤、壇の上に登ってマイクで喋ってくれって」 「言われてないんだけど」 「……ああー、なるほど」 「何が『なるほど』?」 「多分、奏さんに事前に相談したら断られるだろうってスタッフさんが考えたんじゃないっすかね」 「こんな大勢の前で喋るなんて嫌だから断るよ」 「いやいや。そんなことしたら司会と監督のメンツを潰しちゃいますよ。 俺が先に喋ってくるんで、奏さんは適当に俺の言葉パクって喋ればいいっすから! じゃっ、行って来ますね!」 速水はそう言うと、足早に前の方へ歩いて行った。 「えー、まずは皆さん、今日までお疲れ様でした! 無事この日を迎えられて本当に感無量です。 『2月のセレナーデ』は時代モノかつ同性愛もテーマにしている難しい作品で、その中でも俺の演じさせて頂いた西郷隆盛という人物は歴史の教科書で誰もが習う偉人ということもあるので、彼の人物像を彷彿とさせるよう演じながらも役者として『速水右京』らしさもあるというオリジナリティをどう出して行くかのバランスに悩みました。 そんな役作りに悩む俺を支えてくださったのは、紛れもなくここにいる皆さんのお陰で——」 その後も、予め文章を作って来たかのように流暢に話す速水。 響は彼の舞台度胸と、周囲を気遣う言葉を交えて話す速水に関心しながらスピーチを聞いていたが、不意に隣を見ると、石のように固まっている奏の姿が目に入った。 「……奏。大丈夫?」 「……」 「緊張してるよね。喋れそう?」 響が言うと、奏は突然響の腕を掴んだ。 「えっ?なに」 「……速水さんのスピーチが終わるまで、こうさせて。 響に触れてると、少し落ち着けるから」 奏が早苗の元までは聞こえないよう小さな声で囁くと、響はくすりと笑った。 「それで緊張が解れるなら。いいよ」 ——速水の雄弁が終わり、司会者が奏の名前を呼ぶと、奏はそっと指を解いた。 「頑張れ」 響が小声で送り出すと同時に、こちらへ戻って来た速水も 「頑張ってください!」 とすれ違いざまに奏へ声を掛けた。 奏は少し緊張した面持ちで壇の上にあがると、司会からマイクを受け取った。 「……」 奏がその場で固まってしまい、皆の心配そうな視線が集まる。 壇の下に立っている五十嵐監督が「私が先に話そうか」と囁くと、奏はようやくマイクに口を近づけた。 「……俺、速水さんが話してたような立派な挨拶はできない。 スピーチする機会なんてこれが初めてだし、何を話せばいいかよく分かってない。 そもそも演技自体が初めてだったから、自分の演技が正解だったのかも分からないし、スクリーンで放映されたら速水さんとの演技力の違いにきっと愕然とすると思う。 ——でも、最後の撮影までやり遂げられたことは自分でも誇りに思ってる。 最後までやれたのは、ここにいる皆のお陰。 俺に的確な指示をくれる監督や共演の役者さん達、俺の演技が良く映るよう撮影や編集をしてくれたスタッフの方達、映画のプロモーションや上映の手配を進めてくれている関連会社の方々……。 皆頑張ってるのを見て、俺も手を抜いちゃいけない、最後まで頑張ろうって思えた。 俺に誇りを持たせてくれた皆にお礼を言いたい。 ここまで一緒に頑張ってきてくれて、皆ありがとう。 ……それから、俺が演技する姿を見守ってくれていた人にも。 ——ありがと」 辺りがシンと静かになる。 その直後、奏の真下から拍手が上がった。 五十嵐監督が大粒の涙を流しながら 「こちらこそありがとう!」 と言って手を叩くと、 会場の至るところから大きな拍手が沸き起こった。 奏が少し照れた表情で壇を降りると、続けて監督がマイクを受け取り、トリとしてスピーチを始めた。 奏はスピーチを聞くのに集中している人々の脇を抜け、静かに会場を出て行った。 響は、奏が自分たちの居るところに戻って来ないことに気付くと、速水に「お手洗いに行く」と伝えて自分も会場を出た。 「——どうしたの?」 響は、会場の外に設置されているベンチに腰掛けている奏を見つけて声を掛けた。 「なんか、疲れた」 「スピーチ頑張ったもんな。お疲れ」 「ん……」 奏は頷くと、隣に腰を下ろした響の肩にもたれかかった。 「もしかして具合悪い?」 「……会場のお酒と食事の匂いとか、沢山の人の話す声とか、色んなノイズに気分が悪くなった」 「そっか。まあ、ああいうパーティーってその場に居るだけでも気疲れするよね」 「うん。……少し、こうさせてて」 奏は響にもたれたまま、静かに目を閉じた。 響が視線を肩の方に向けると、奏の長いまつ毛や筋の通った鼻が見える。 髪からは自分と同じシャンプーの香りを漂わせ、それに混じってアルコールの匂いも漂っている。 ここが家の中だったなら、奏のことを抱き締めたかったな。 響は、奏の色気にくらりとしそうになるのを理性でぐっと抑えた。 代わりに、奏がもたれているのと反対側の腕を伸ばし、奏の頭を優しく撫でた。 「今までお疲れさま。頑張ったな、奏」 すると奏は、再び瞼を開いた。 「……頑張ったから、ワガママ言わせて」 「うん?」 「キスして」 「ここで……!?」 響はぎょっとして、辺りを見渡した。 「あ、後でならいいけど……」 「なんで今じゃ駄目なの」 「いや、だっていつここを人が通るか分からないし……」 「俺とキスしてるところを誰かに見られるのが嫌なの?」 「だって恥ずかしいだろ……!」 「なんで。露天風呂に入った時だって、知らない人たちの前で抱きついてきたじゃん」 「いやっ、あれは奏を庇いたくて…… あの時とは状況が違うというか——」 「あっそ。そんなに俺とキスしてるところ見られたくないんだ」 奏はむっすりとした表情で響から身体を離すと、立ち上がって歩き始めた。 「戻るの?」 「うん」 スタスタと歩いて行く奏の後ろ姿を、響はもやもやとした気持ちで見つめた。 そりゃ、俺だってしたいよ! だけど誰が見てるか分からないんだぞ。 それに他の人達だって、他人がいちゃついてる姿なんて視界に入れたくないだろ。 でも、そういう俺が自然と身についた感覚を奏は待ち合わせてないんだもんな。 奏との価値観の違いにはだいぶ慣れてきたけれど、だからといって奏の価値観を受け止めるのと、奏の望む通りに行動するのとは別問題だろ? 俺にだって羞恥心があって、理性で我慢してるものがあるんだから、奏にだって歩み寄って欲しい。 ——そんな燻った思いを抱えながら、再び会場に入り、速水や早苗の元に合流すると 待っていたとばかりに早苗が声を掛けて来た。 「ねえっ!サツキくん。 さっき速水くんと話してたんだけどね、今度四人の休みが合う時に旅行しない!?」 「旅行……?」 響がきょとんとすると、速水も口を開いた。 「そうそう。せっかくこの映画がきっかけで仲良くなれた四人だし、ダブルデート旅行なんて楽しそうだなって思ったんだけど、響はどう?」 「いいね。俺も四人で旅行したいな」 響は笑顔を浮かべながら視線を奏に移した。 「奏、行く?」 「……響が行きたいなら……いいよ」 奏は相変わらず拗ねた表情ではあったが、素直に誘いに応じた。 「やった!奏さんもオッケーってことなら、早速旅程立てますよ!」 「旅のスケジュールと宿の手配なら任せて!仕事柄、私が一番慣れてると思うから」 速水と早苗がはしゃぎながら言う。 「それにしても、自分で口にしておいてなんだけど ダブルデートって言葉、成人した大人が使うのはちょっと恥ずかしかったかも……」 速水は照れ臭そうに笑ってみせた。 すると響は、「はは」と笑いながら同調した。 「確かに。ダブルデートなんて言葉、久々に聞いたかも。 ——学生時代が懐かしくなるな」 それを聞いた奏は、持っていた酒のグラスを机の上に置いた。 「帰る」 「えっ!今?!」 唐突にそう言い出した奏に、響は驚いたような声を上げた。 「あらそーちゃん! せっかくだから四人揃ってる今のうちに行き先とか決めましょうよ。 それに、もう少ししたらお開きになるから皆で一緒に帰りましょ?」 早苗もそう声を掛けたが、奏は聞く耳を持たず、スタスタと歩いてあっという間に会場を出て行ってしまった。 「……追わなくていいの?」 速水は、そっと響を小突いた。 「いや、でも……なんで急に、あんな不機嫌になったのか分からないし……。 理由もわからないうちに追いかけても藪蛇かなって」 「確かに、何の前触れもなく眉間にシワ寄せていたね。 ——俺が調子に乗って旅行しようとか言い出したせいかなあ。 奏さんの中ではきっとまだ、俺って早苗さんのことを口説いたイヤな男だろうし……」 「いや。右京は悪くないよ。 奏は旅行がイヤなら『行かない』ってハッキリ言う性格だし。 ……多分、原因は俺だと思う……」 きっと、さっきキスを断ったのを根に持ってるんだろうな。 響がぽりぽりと後頭部を掻くと、早苗はこう言った。 「じゃあ、うちに帰ったらゆっくりそーちゃんと話してみたら? ここじゃ私達もいるし、無理にそーちゃんを呼び戻しても、気を遣って本音を話せないと思うから」 ——それから間も無く打ち上げが終わり、響は監督に挨拶した後、早苗や速水と別れ如月邸へ戻った。 先に戻っているはずの奏と話をしようとリビングやピアノの部屋を通ってみたが、奏の姿はなかった。 ふて寝しているのかもしれない、と思い寝室にもそっと寄ってみたが、ベッドはもぬけの殻だった。 バスルーム、キッチン、トイレ、書庫—— どこを探しても奏の姿が見当たらず、響はふと玄関へ向かった。 先に帰っているだろうと思い込んでいたため帰宅した時には気づかなかったが、玄関に奏の靴がなかった。 まだ帰ってなかったのか—— 響はため息をつくと、きっと奏ももう少ししたら帰ってくるだろうと思い、リビングで作曲の続きをしながら待つことにした。 しかし、日付が変わった後も奏は戻らない。 電車もバスも出ていない時間だが、タクシーで帰ってくる可能性も考え、その後もリビングにいた響だったが、深夜2時を過ぎても戻らないのは流石に違和感を覚え、響は固定電話から早苗の携帯に電話をかけてみることにした。 『もしもしィ?』 「加納さん。もしかして奏が加納さんの家に行ってたりしないですか?」 『来てないけど? ——えっ、もしかして帰って来てないの?そーちゃん』 「はい。俺たちより先に帰ったんだからとっくに家に着いてるだろうと思ったら玄関に靴がなくて。 家のどこにもいないし、奏が他に行く場所っついったら加納さんの家かな?って思いついて電話したんですけど……そっちにも行ってないんですね」 『……庭のほうは見た?』 「庭?」 響がきょとんとすると、早苗が受話器越しに続けた。 『そーちゃんは昔から、落ち込だ時には庭でぼーっとしてることがあったの。 ほら、あのお家って元々お母さんと住んでいて、良くも悪くも……というか、悪い思い出が多い場所でしょ。 ただでさえ気分が落ちてる時に家の中に居るのはしんどいみたいで、かといって遠出する気力もないから、気持ちが晴れるまで庭でぼんやりして居ることが多いのよ。 だからもし、庭に出てみて、そこにも居なかったらまた連絡ちょうだい』 響は「わかりました」と言って電話を切ると、コートを羽織り靴を履いて玄関を出た。 さっきの帰り道は、お酒が残っていたことや歩いて息が上がっていたこともあって寒さを感じなかったが、 ドアを開けるとひんやりとした風が頬に当たり、思わず身震いをした。 響が、普段あまり来ることはない庭の方へ回り込むと、早苗の言った通りそこには奏の姿があった。 「——奏!」 響は、庭の芝生の上で体育座りをしている奏の元へ駆け寄った。 「こんなところに居たのか。 ……しかもこんな薄着で……」 響は、羽織を何も着ていない奏を見て、自分のコートを脱いだ。 奏の肩にコートを掛けると、隣に座って訊ねる。 「——不機嫌なのって俺のせいなんだろ?」 「……」 「……キスしなかったのが、そんなに不満だった?」 響が奏の顔を覗き込もうとすると、奏はふるふると首を横に振ってみせた。 「……違う」 「もしかして、本当は四人での旅行に乗り気じゃなかったとか?」 「……そうじゃない」 「じゃあ、何なんだよ」 奏が拗ねている理由が分からず、響はやや荒い口調になって尋ねた。 すると奏は、小さく口を開き、ぼそぼそと答えた。 「……響が……ダブルデート、懐かしいって話してた……」 「え?——ああ、うん。言ったね」 「響がダブルデートしてた学生時代のこと、想像したら……なんか悲しい気持ちになった」 「えぇ……?」 響は思わず呆れたような声を出した。 「……今、露骨に呆れたでしょ」 「そりゃ、だって。奏だって女の子とデートしたでしょ、学生時代」 「……したことはある、けど……。 強い圧で迫られて、仕方なくデートした思い出ばっかりだよ。 告白されて断ると、せめて一度だけデートしてほしい……とか、一緒に遊んでお互いのことを知ってから振るかどうか考えて……とか」 「ほら。なんなら俺よりモテたでしょ。奏はイケメンだし、学生時代から作曲家として活躍もしてたし」 「俺は楽しくなかったよ。懐かしいとも思わない。ただ記憶として残ってるだけ。 でも響は、懐かしいって思えるだけ良い思い出になってるんでしょ。 それにダブルデートって、特定の相手と真剣に付き合ってるから横の繋がりも出来て、複数で出かけたりする訳だよね。 そういう、特定の誰かと濃厚な関係を築いてた過去が、俺にはないから」 「加納さんとは充分濃厚な関係じゃん」 「……マネージャーはそういうんじゃないから」 「そういう、って?」 「だから……っ、俺は特定の誰かに恋愛感情を持ったことなんて今まで無かったんだって。 ——俺にとっては、そういう意味で人を好きになった経験って、響が初めてなんだよ」 奏は吐き出すように言うと、じわりと目元に涙を浮かべた。

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