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『My Chocolate』③

その瞬間、カメラマンが勢いよくシャッターを切り始めた。 「その表情!!すごく良いです。 西郷隆盛を想う恋心と、その気持ちに葛藤する歪んだ心との狭間が見事に伝わって来ます!」 カメラマンは奏を褒めながら、無我夢中でシャッターを押し続けていた。 ——暫くして、カメラマンはレンズから顔を離すと、自分の横にいる響と速水を見て言った。 「あー、なるほどなァ! 西郷隆盛役の速水さんを連れて来たわけですね! それでさっきの、愛憎入り混じったような複雑な表情が作れたわけですね! 役者魂を感じますねぇ」 「え?あー、ははは……」 速水は何かを察したらしく、乾いた笑いを浮かべた。 響も、奏が速水に対しては愛憎入り混じった——ではなく、憎悪だけ向けていたのだろうと察した。 そしてその隣に自分を配置して、愛憎入り乱れた表情をうまく作り出せたらしい。 奏の分かりやすい戦略に、響は思わず噴き出してしまいそうになった。 「じゃあ、最後にお二人揃っての撮影します!」 再び速水も呼ばれ、二人での撮影が始まった。 向かい合って互いの目を見たり、背中を向けて地面を見つめたり、手前と奥に別れて奥行きのあるカットを撮ったり——と撮影が続く。 二人並ぶと、速水がカットごとに表情や仕草を少しずつ変えていく一方で 奏が一貫して動きのないことが響の目にもはっきりと分かる。 だが、その場で撮れた写真をパソコンのモニターに映していくと、速水が悲観の声を漏らした。 「はぁー。やっぱ奏さんの隣に立つと、改めて顔面レベルの違いを突きつけられるなあ」 「いやいや、右京だってかっこいいし、オシャレでオーラもあるじゃん」 咄嗟に響が言うと、速水はこう続けた。 「いや、俺なんて盛りまくってこれだから。 それに演技だってさ、奏さんめっちゃ上手だったよ。 特に恋心を秘めている表情とか、野心が見え隠れする言い回しとか、間の取り方も絶妙なんだよね。 芝居の勉強をしたこともないだなんて信じられない——って五十嵐監督も言ってたし。 ほんと、天は二物も三物も奏さんに与えたんだろうなあ」 速水が周囲によく聞こえる声で奏を絶賛する姿を見て、響は、もしかしたら奏に気を遣っているのかもしれないと感じた。 速水のほうは、奏に対して何も敵対感情など持っていないのだと、周囲にも奏本人にも知らしめたいような——そんな意図を感じ取った。 それを見ていた響は余計に、奏がもう少し右京に対して心を開いてくれたらいいのに……と願った。 撮影を終えると、今度は別室でのインタビューが始まった。 『2月のセレナーデ』について、雑誌レオナルドのスタッフが速水と奏へ交互に質問を投げる。 「——奏さんはこれが初めてのお芝居ということですが、どんな心持ちで撮影に臨んだのでしょうか?」 「監督に出演してって言われたから出演しただけ」 「……何かこう、新しいことに挑戦する気持ちだとか、抱負みたいなものは……」 「特にない」 「なるほど……。ええと、つまり——自然体で挑んだってことですね!」 会話がまるで膨らまないことに、スタッフもやきもきしているのが分かり、ここでも部屋の奥で控えていた響は額に手を当てて項垂れた。 大久保利通の役はあんなに自然に演じられるのに、愛想を振り撒くような演技はまるでできないんだな——するつもりも無さそうだけど。 「奏さんにとって、大久保利通はどういう人物だと思いますか?」 「明治維新に関わった人物」 「あ、ええとそうではなくて……。 彼の性格とか、考えていることとか、奏さんはどう解釈しましたか?」 「俺は台本に書いてあるセリフを、監督やスタッフの指導に沿って演じただけだから。 大久保利通の考えてることなんて、本物の大久保利通しかわからないでしょ」 あまりに突き放した回答しかしない奏に、その場のスタッフ達の困惑がどんどん大きくなっていく。 すると隣に座っていた速水が「あの」とインタビュアーのスタッフに声を掛けた。 「彼——奏さんの本業は作曲っす。 もっと音楽の方を根掘り葉掘りしてやってください。 演技でここが難しかったとか、どのシーンが大変だったとか、芝居のことは俺が何でも答えるんで!」 「……速水さん」 奏が僅かに目を見開く。 スタッフも、速水のパスを受けて空気を読んだらしく、奏への質問を変えた。 「そうでした、そういえばこの映画のテーマ曲は奏さんがご担当されたのだとか。 なんでも、曲のタイトルに合わせて映画のタイトルの方を変えてしまったのですよね?」 「うん。監督が気に入ってくれたみたい」 「監督が映画のタイトルを変えてしまうほど気にいるなんて、素晴らしい音楽なのでしょうね! 映画館でその曲が流れるのを聞くのが楽しみです。 ちなみに、『2月のセレナーデ』の曲作りでこだわったことはありますか?」 「——この曲は、特にこだわり無く作った。 普段は仕事として依頼された内容に沿って曲を作ることが多いから、依頼に寄せるようにこだわっているけれど、今回は逆に何のしがらみも無しに思いついたままを書き出した」 「ほお、ありのままを……」 「ここまで自由に音楽を作ったのは初めてだったけど、結果的に色々な人からこの曲を受け入れてもらえてありがたいと思う」 「なるほど、曲を聴いてくれる人達にも感謝していると」 先程までとは一転して、奏の言葉数が多くなり、スタッフもスムーズに会話が進むようになったことで表情が朗らかになる。 響もほっとしていると、スタッフが最後にこう尋ねた。 「『2月のセレナーデ』という曲は、タイトルにもセレナーデとあるように、特定の誰かを想って書いた曲なのでしょうか?」 すると奏は面食らったような表情を浮かべたが、唇の端を少しだけ上げて答えた。 「……秘密」 ——撮影とインタビューが終わり、スタッフ達が解散した後。 「奏さん、響!このあと空いてたら、ご飯どうすか?」 帰り支度をしていた奏と響の元に速水がやって来た。 「何で?」 奏が返すと、 「せっかくの再会なんで!お互いの近況も話したいし」 と速水が笑みを見せた。 「そうそう。さっきインタビューの場にいたスタッフさん達が噂してましたよ。 最後に奏さんが口元に笑みを浮かべて『秘密』って返してたじゃないっすか。 『若干ハタチであの色気はヤバい』って、女性スタッフさん達の間でキャーキャー騒ぎになってたって!」 「別に、秘密にしたいから秘密って答えただけなんだけど」 「きっと奏さん、響のこと想像して表情がにやけちゃったんでしょうね! でもまあ、響も奏さんの色気にヤラれた一人なんだろうなー」 速水がニヤニヤしながら響を見ると、響はシッシッと手を振ってみせた。 「はいはい、どうせ弁明もさせてくれないだろうからそれでいいよ。 ——俺、店に予約の電話入れてくる。 近くに良いトコあるからさ」 響はそう言うと、スタジオに備え付けの電話を貸してもらうからとその場を離れた。 奏と速水だけが残され、奏は居心地悪そうに腕を組んだ。 「人の前で腕を組むのって、その人を警戒している心理状態の現れらしいっすよ」 すると、その仕草を見た速水が言った。 「俺、奏さんと長らく相手役として一緒に仕事してきたっすけど、どうやらまだまだ警戒されてるみたいっすね!」 「……」 「マネージャーさんを口説いたせいっすか?」 「……別に」 奏は組んでいた腕を解くと、両手をそのまま腰に当てて続けた。 「別にいいよ。マネージャーのこと、口説いたって。あんたがマネージャーを傷つけないなら」 「!」 「俺にとっては長らく、マネージャーがたった一人の家族みたいな存在だった。 心を開ける相手はマネージャーだけだった——響に出会うまでは。 ……だからマネージャーには、ちゃんとした人とちゃんと良いお付き合いをして欲しいって思ってる」 「……奏さん……」 「速水さんが良い人だってことは分かってるよ。 でも、マネージャーへの気持ちがどのくらいのものかは俺に計り知れないところだから慎重になってた。 ……あんたがマネージャーに対して責任を取る覚悟があるなら、デートして来なよ」 奏がそう言ったところで、響が戻って来た。 「お待たせ。二名で予約取れたよ。 駅前の『バル・タイニーハピネス』」 「二名?」 奏と速水が聞き返すと、響は速水を見て言った。 「さっき加納さんにも声を掛けて、後から皆合流するからって言って先にお店に向かってもらった。 ——右京、行ってきなよ」 「……っ」 速水は息を呑み、響を見た後、再び奏を見つめた。 「……早く行けば?」 「——ありがとう……奏さん、響……」 速水は二人に頭を下げると、 「マネージャーさんのこと、真剣に口説いてくる」 と言い、小走りで去って行った。 それから暫くして、『2月のセレナーデ』の撮影がオールアップを迎えた。 物語のラストは、奏演じる大久保利通が暗殺されるシーン。 ——地面に積もった雪が自らの血で赤く染まっていく。 史実では大久保が暗殺されたのは五月とされているが、五十嵐監督は映画のタイトルを『2月のセレナーデ』に変えたことから 季節外れの雪が降り、その日だけまるで冬のような景観となった演出を加えたのだった。 暗殺者が『これまでお前の指示でどれほどの血が流れたか、身をもって思い知れ』と捨て台詞を吐いて去って行く。 大久保は、『私の理想が血に染まったものであっても、理想を追い求めることはやめない。敵対してでも己の理想を通したというのに、追い求めるのをやめたとあっては、あの男に顔向けできないだろう』と、雪降る空を見上げながら一人溢す。 いつかの戦勝記念パーティーで、広間を抜け出し奏でたピアノの音色が頭の中に流れてくる。 人の死ぬ瞬間を何度も見てきた人生だというのに、走馬灯となって流れてくるのは故郷で過ごした懐かしい日々ばかり。 西郷と敵対する以前、笑顔で理想を語り合った日々が昨日のことのように思い出される。 大久保は、愛も理想も夢半ばで潰えたが、それらを追いかけて必死に生きた人生に悔いなどないと微笑み、ゆっくり瞼を閉じた。 「お疲れ様でしたー!」 カットの声が掛かり、スタジオ中から拍手が上がる。 血糊で身体が真っ赤に染まっている奏も、目を開けてむくりと起き上がった。 「素晴らしい演技だったよ!」 五十嵐監督が奏に近寄り、一際大きな拍手をしてみせた。 「君を起用できて本当に良かった。 この作品は間違いなく、私の監督人生において最高傑作となるだろう!」 「……ありがとうございます」 奏がコクリと頭を下げると、スタッフの一人が五十嵐の元にやってきて言った。 「打ち上げの会場、一時間後で抑えました!」 「おお、ありがとう」 五十嵐は礼を言うと、奏に向き直った。 「この後、オールアップを祝って演者やスタッフ皆での打ち上げをするんだ」 「打ち上げ……」 「君の相方の速水君にも声を掛けてある。 主役の二人にはぜひ揃って参加して欲しいんだけど、君も来てくれるかな?」 奏は少し考えるそぶりを見せたが、 「……わかりました」 と返した。

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