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第5話
最初は中将を騙していることをなんとも思っていなかった佐理だったが、最近は微かな罪悪感を覚えるようになってきていた。
花月嫌いな中将が、自分がせっせと文を贈っている相手が男だったと分かったらどんなに腹を立てることか。
同じ花月嫌いの佐理にはその気持ちが痛いほど想像できた。中将がいい人なだけに、後ろめたさが増した。
中将は光り輝くようなイケメンだと噂だが、佐理は一度も中将の顔を見たことがない。下流貴族の佐理と、上流でもトップオブトップの中将は雲の上の存在で、普段全く接点がないのだ。
最近の中将は、実際に高子に会いたいと文で伝えてきているが、佐理はうまくかわしている。
本来ならとっくに文のやり取りの段階を経て、御簾越しで会話をし、早ければエイヤッと中将が御簾をくぐり抜け、イチャイチャと事を及んでいてもいいくらいなのだが、中将はお預けを食らった犬のように、とても行儀よく待っている。
これには佐理も本当に驚いている。リアル光の君のことだから、てっきり手が早いと思い込んでいた。
この辛抱強さも幾多の恋の噂を流すプレイボーイのなせる技なのか。それともいつもなら簡単に落ちるはずの相手がなかなか落ちないことで、清友の言うようにやはり意地になっているか。
そうでないなら光る君の何かに火をつけてしまったのかも知れない。
近衛中将、いったいどんな男なのだろう。一度見てみたいものだ。
その佐理の願いはそれからすぐに叶うことになった。帝の十九歳の誕生日を祝う天長節(てんちょうせつ)で、中将が青海波(せいがいは)を舞っているのを見ることができたのだ。
遠くて顔はほとんど分からなかったが、背がすらりと高く、所作がとても美しいのが遠目からでも分かった。
匂い立つ梅のような華やかさで、中将にだけ光が当たっているように見え、なるほど光る君とはよく言ったものだと、佐理は感心した。
御簾の向こうに座る帝と親しげに中将が会話をしているのを見た時、中将は本当に本当の殿上人なのだと佐理は改めて思った。
そんな雲の上の存在が佐理に――実際には高子にだが――熱烈な和歌をもう何度も贈ってきていることが不思議に思えた。
本来だったら中将と佐理は友にでさえなれない間柄なのだ。
同じ貴族でありながら、中将と佐理はあまりにも違いすぎた。同じ日、同じ時間、同じ場所にいながら、中将はとてつもなく遠かった。
そろそろ終わりにしなければならない。
佐理は思った。
もう十分いろんな物を貢いでもらったし、これ以上花月嫌いの中将を騙し続けることに佐理は罪悪感の限界を感じていた。
中将は本来、然るべき上流貴族の姫君と恋を語り合うべき人なのだ。決して落ちぶれ下流貴族の、それも男ではないのだ。
――麗しき花の命は短かけり 後ろ髪引かるめれど 終はりのほどきためり
(美しい花の命が短いように楽しい時間はあっという間に終わってしまいますね。後ろ髪引かれるようですが、そろそろ終わりの時間がきたようです)
佐理は中将に文を贈った。
すると中将は、一度でいいから会いたいと言ってきた。絶対に失礼な真似はしない。御簾越しで話をするだけだ、と。
最初はそんなこと絶対に無理だと思った。が、佐理が詠んだ和歌は佐理の本心でもあった。
後ろ髪引かれるも……。
佐理が女で恋愛対象として中将を見るなら、プレイボーイの中将は難ありだが、佐理は男として純粋に中将の人柄に惹かれていた。
もし佐理と中将がこんなにも身分の差がなく、出会いもこんな形でなければ、佐理と中将は良い友になれたのではないだろうか。共に人生を語り恋の話に花を咲かせる、かけがえのない友に。
男嫌いの佐理が清友以外の誰かにこんな気持ちを抱くのは初めてだった。いや、中将へのこの気持ちは清友よりも強いかも知れない。
それに、それまでいろいろと貢いでもらったのもある。中将を騙しているという罪の意識も手伝って、佐理も一度だけならと承諾した。
問題は高子と佐理のどちらが中将と会うかだった。御簾越しといえども、さすがに声で佐理が男だとバレるのではないかと思われた。が、父と母は口を揃えてこう言った。
「大丈夫、佐理と高子の声はそっくりです」
佐理の声が高いのか、高子の声が低いのかは分からないが、両親も聞き違えることがあるというのだから佐理の声は女でも通るということだ。
それに和歌の一つも満足に詠めない高子に中将の相手が務まるとは思えなかった。
すぐにボロが出てしまい今までのことがバレてしまいそうだ。中将の和歌の腕前を見る限り、中将はかなり頭がキレる男とみた。
高子も青い顔をして中将と会うのは無理だと拒否したこともあって、ここでも佐理が高子の振りをして中将と会うことになった。
中将の訪問に備え、荒れ果てていた庭を高子と母が手入れをし、佐理と父は家の修繕にあたった。
久しぶりに御簾を下ろしてみると、古い葦の御簾はスカスカで、これでは目隠しにならない。
「これは大事(おおごと)だ」
佐理は御簾に葦を足してしっかりと補強した。
本来御簾は、室内の暗いところから外の明るいところは見えるものだが、これだと内側からもうっすらとシルエットが確認できる程度になってしまった。が、それもいた仕方ない。
ずっと使っていなかった几帳(きちょう)を家の奥から引っ張り出してくると、これもあちこち破けていて、これは母が綺麗に縫い合わせてくれた。
つぎはぎだらけではあるが、一応几帳の役目を果たしてくれるようにはなった。
そうしてその日を迎えた。
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