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第16話

後方に山賊の男たちが地面に倒れているのが見え、その身体には何本もの矢が突き刺さっていた。  白馬はどんどんスピードを増し、うめき声を上げる男たちはあっという間に遠くなり、やがて見えなくなった。  佐理は自分を抱き込んでいる男を見上げた。自分は助けられたのか、それとも別の山賊にさらわれたのか?  男は山賊にしては品がありすぎた。男からは中将がしているような上等な香の香りがした。  何気に見ると着ている衣も極上の絹だった。この男は山賊なんかじゃない、貴族の男だ。それもかなり上流の。  男は山道を颯爽と白馬で駆け抜け、やがて見晴らしのいい明るい所へ出るとそのスピードを緩めた。  月明かりの下で見る男はまだ若く、非常に整った顔立ちをしていていた。  中将とどちらがイケメンかと問われればそれは中将だが、この男もなかなかのものだった。 「これはまたべっぴんさんだな。花月の趣味がない俺でも惚れそうだ」  男は佐理を見てニヤリと口の端を上げた。  イケメンだが、それとなく漂う雰囲気がどこか軽薄だ。やはり断然中将の方がダントツいい男だ。  けれどこの手の男が好きな女もたくさんいるだろう。上流貴族なのに下流の男のような粗野な喋り方にギャップ萌えするとか言いそうだ。  あっという間に何人もの山賊を馬上から射り、佐理を軽々と抱きかかえ走り去る男前っぷりは相当なものだと佐理も認める。  何よりも山賊から助けてもらったのだから、ここは感謝しなければいけないところだろう。  佐理は男の弓術と馬術の見事さを褒めると礼を言い、自分は瀬央氏の嫡男、瀬央佐理だと名乗った。  自分が京に戻った時は、然るべき礼がしたいと男の名を尋ねる。 「そうだなぁ、月光の君、とでも言っておこうか。ハハ冗談、礼には及ばないよ。それに弓なんて俺の周りにいる男たちの方がよほど上だ、だから俺はいつも面目丸潰れ……おっと、口が過ぎたな」  佐理が何度訊いても男は自分がどこの誰だかを教えてはくれなかった。 「さて、この後どうするものか……」  男は首をかしげる。 「私はここで下ろしていただければ、この先は歩いて行きますから」 「まさかこんな暗い山道に、君のような美しい人を置き去りにする訳にはいかないよ。また山賊に襲われたらどうするんだ。俺が言ってるのは……」  男は何やら考え込むように黙ったが、やがて馬にかけ声をかけスピードを上げた。 「俺もちょっくらお伊勢参りといこうか」 「えっ! ちょ、ちょっと待って」  佐理は男を止めようとするが、揺れる馬上ではうっかりすると馬から落ちてしまう。 「別れてこそ味わえる、狂おしいほどの恋しさよ〜」  男は訳の分からない事を歌うように口ずさんだ。  その夜、佐理が泊まる予定だった寺院の前を白馬は月光のように駆け抜け、ずっと先の立派な宿場に二人は泊まった。  佐理が遠慮する間もなく男は二部屋分の代金を支払い、佐理をその一部屋に押し込んだ。 「ぐっすりおやすみ、美しい人。大丈夫、夜這いはしないよ、俺に花月の趣味はないから」  そう言って片目を閉じると、自分の部屋に入っていった。  宿場の寝具は佐理の家のものよりずっと立派で寝心地が良かった。  床につき、横になると心に蓋をしたはずなのに中将の顔が瞼に浮かんだ。  佐理の最後の文を読んだ中将はどう思っただろうか。きっと今日、瀬央の家を訪れたに違いない。両親と高子はどう中将に対応しただろうか。  中将は今頃、必死になって自分を探しているだろうか、それとも呆然と悲しみにくれているだろうか。  もし自分が山賊に捕まってどこかに売り飛ばされていたら、もう二度と生きては中将に会えなかったかも知れない。  そう思うとゾッとした。そしてすぐに、自分はもう二度と中将に会わないつもりで伊勢に逃げてきているのに、と、矛盾した気持ちに苦笑した。  中将、中将。  打ち寄せる波のように中将のことばかり考えてしまう。  身体はここにあるのに、心だけ京に置いてきてしまったかのようだ。  それでも今日一日、普段歩かない距離を歩いた佐理の身体は疲れ果てていた。足元から睡魔が這い上がってくると、やがて佐理をすっぽりと飲み込んだ。  最後に佐理が瞼の裏で見ていたのは、中将の笑顔だった。  佐理の閉じられた瞳から一雫の涙が伝って落ちた。  次の朝早く宿場を出発し、丸一日馬を走らせ伊勢に到着した。男は佐理を馬から下ろすと、 「無事、送り届けたからな」  そう言って手綱を握り直した。  辺りはすでに薄暗くなっていた。今晩は泊まっていって欲しいと佐理は訴えたが、男は頭を縦に振らなかった。  そして最後まで自分がどこの誰だかを教えてくれなかった。 「これではあんまりです。恩人に恩を返せない辛さも分かってください」  佐理は肩でため息をついた。すると男はひらりと馬から飛び降りた。 「それでは礼をもらうとするか」  男は佐理の顎に手をかけ自分の方に向かせたかと思うと、佐理の頬に口づけた。  呆気に取られている佐理を横目に男は高らかに笑いながら、またひらりと馬に飛び乗った。 「それでは美しい人よ、さようなら」  男が手綱を引くと白馬は一度大きく前足を上げていななき、薄闇の中へと消えていった。  本当にあの男はいったいどこの誰だったのだろう。  夜の山に彗星のように現れ佐理を山賊から助け、あっという間に伊勢まで送り届けてくれた。  派手な朱色の装束に身を包み、白馬に乗ったちょっと軽薄な貴公子。 「月光の君、かぁ」  確かにキラキラだった。  花月の趣味もないくせに佐理を美しい人と呼び、佐理の頬に口づけた。あれは相当なプレイボーイに違いない。  この世に生まれた落ちた瞬間から産婆を口説くような男だ。  ふふっと、佐理は鼻で笑った。  けど、とても気持ちのいい男だった。  それにしても、と、佐理は微かに首をかしげる。  昨日からずっと思っていたが、あの男の声、どこかで聞いたことがあるような気がする。  それがいつ、どこであったのか全く思い出せない。ただの思い違いかも知れない。  とにかく京に戻ったら、男を探してみよう。やはりちゃんとお礼がしたい。  あの立派な白馬は男の愛馬に違いない。馬を目印に探すという手もある。  雪のように白い、あんな立派な白馬、今まで見たことがない。  ちなみに佐理は占いを理由に宮仕えを休んでいる。  占いでそう出た、と言えば立派に通用するのである。

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