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第17話
突然やって来た佐理を叔父夫婦は喜んで迎えてくれた。中将のことは一切話さず、神宮に参りに来たというと納得してくれた。
伊勢の紅葉は京とはまた違った趣があった。美しいがどこか寂しげで、見る者の心に染み入るような風情がある。
そんな山々に囲まれ、清らかな五十鈴川を眺めていると、心が洗われていくようだった。
雅だが空気にいろんな匂いと人の噂が混じっている京に比べ、伊勢は神の膝下とあって、その空気には背筋を伸ばしたくなるような神聖さがあった。
信仰は人の気持ちを澄み渡らせる。
佐理は伊勢にいる間、毎朝、夜明けと共に神宮に参った。参る毎に、佐理は自分の中の澱みが純化されていくような気がした。雑多で余計なものがなくなり、大切なものだけが結晶のように沈下する。
佐理の心の底に溜まったうっすらと桃色をした結晶。
それは本来、伊勢に来るまでに、そうでなくともこの伊勢で、すっかり消し去る予定のものだった。
なのに今、それは純度を増して可視化するほどはっきりと佐理にその存在の重さと大きさを主張してくる。
優しい桃色をしたその結晶、それは佐理の中将への想いだった。
十一月の終わり、神宮で新嘗祭が行われた。
その年の五穀豊穣を祝うこの祭りは大内裏でも毎年盛大に行われている。
叔父から聞くまで佐理は知らなかったのだが、神宮の新嘗祭には京から帝の使者である勅使(ちょくし)がやってくるという。神宮の主祭神である天照大神は天皇家の祖先と言い伝えられているだけに、両者の関わりは深い。
その日佐理は新嘗祭の儀式を人々に混じって見物した。
神楽殿(かぐらでん)では四人の舞姫たちによって五節舞(ごせちのまい)という舞が披露された。
舞姫は未婚の女性たちから選出されることになっていて、舞姫に選ばれることは女性として名誉なことでもあった。
大内裏で舞われる五節舞は毎年華やかで見事だったが、神宮のそれは京と違って質素ではあったが、とても神秘的で厳かなものだった。
その後、宮司によって長い祝詞が唱えられ、その年採れた穀物や酒が祭壇に供えられる。
その中に一際目立つ存在があった。神職たちは、みなこの日は黒の装束に統一しているのに、一人だけ眩しいほど真っ白な装束をまとっている者がいた。
しかし佐理が目を奪われたのはその白さだけではなく、その者が顔に能面をつけていることもあった。
卵型の白い顔に小さな赤い唇。男らしく意志が強そうで、だがどこか優しげでもある眉。若々しい青年を表現した美しい顔立ちをした男面だった。
「あの面をつけているのは誰ですか?」
佐理は隣で儀式を見物している叔父に尋ねた。
「あれが帝の勅使だよ」
なるほど、帝の使者だからああやって面を被っているのだろうか。
神宮が皇族直系の神社であるにも関わらず、帝が神宮に参拝したのはその昔、持統天皇だけだという。
それ以来どの帝もこうして勅使を派遣するだけで本人は参拝していないらしい。その理由は様々だが、帝が多忙で伊勢までわざわざ来られないというのが本当のところだろう。
佐理にとって帝は遠い遠い、雲の上のそのまた上の、神様みたいな存在だ。
多くの人と同じに、佐理もまた帝のお姿を実際には見たことがない。大内裏で行われる行事の際も、帝は佐理からは遠く遠く離れた上段の、それも御簾の奥深くにいらっしゃる。
佐理は勅使をまじまじと見つめた。
背が高く、白い装束がよく映える体格はどこか中将を思わせた。
黙ってそこにいるだけで高い品格が滲み出ているのは、さすが帝の勅使だ。どんな人物が帝の勅使に選ばれるのか知らないが、それなりの人物であることには違いない。
帝の代わりであるが、まるでその姿は神の加護を一身に受けているように光り輝いて見えた。
背格好と勅使の放つオーラがどこか中将と似ていることもあって、佐理の胸がざわついた。
それにしても今回、中将の追跡から逃れるために何の気なしに伊勢を選んだのはいいが、新嘗祭のことをすっかり忘れていた。
もし、帝本人が神宮の新嘗祭に参加するなどと言い出したら、皇族を護衛するのが一番の仕事である近衛府の中将が帝に付き添って伊勢にやって来ることは大いにあり得た。
危ないところだった。京と違って伊勢は人が少ない。どこかでうっかり中将と鉢合わせ、なんてこともあり得た。
それでは何のためにわざわざ京から遠いこの土地に逃れてきたのか分からなくなる。
儀式が終わり、神職たちが鳥居をくぐって神宮を出て行く。
佐理の目が自然と勅使の姿を追う。
中将を忘れるためにやって来たというのに、中将と全くゆかりのないこの土地で、未練がましく中将の破片を探している自分の愚かさに佐理は苦笑した。
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