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第45話(最終回)

 三夜、佐理は帝に揺すられながら月を眺めた。  四日目の夜。 「宗尊様、今夜はもう無理です。私もいい加減明日から大学に戻りたいです。歌合戦にも呼ばれていますし」  佐理は単衣の間から手を差し入れようとしてくる帝を押しとどめた。 「これも帝の花である佐理の務めだろう?」 「そうですけど……」  帝がこんなに絶倫だとは知らなかった。清涼殿にいた時、強い精神力で自制していることは分かっていたが、どちらかといえば淡白な方なのだと勝手に思っていた。  帝は側室はいっさい持たないと宣言したが、帝の欲望を一人で担当するのは無理なのではないか。側室の一人くらいいてくれた方が自分が楽なのでは……と、思い、いやいやいやと頭を振る。  帝が他の誰かを愛すなんて絶対に嫌だ。考えただけで死にたくなる。同じ死ぬのだったら帝に抱き潰されて死ぬ方がいい。 「佐理、何を考えている?」 「やっぱり大丈夫です、今夜も抱いてください」  帝は意外そうに眉根を引き上げたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。 「いや、今夜はいい。その代わり佐理、長恨歌を舞ってくれないか?」  今度は佐理が意外な顔をする番だった。  が、やがて佐理は、「喜んで」とうなずいた。  夜の闇が霞むような明るい月夜だった。草陰で鈴虫が羽を震わせ鳴いている。 「漢皇(かんこう)色を重んじて傾国(けいこく)を思ふ」  佐理は長恨歌の歌い出しを口ずさむ。  蝶の模様が入った檜扇(ひおうぎ)を花びらが散るように、はらりとはらりとひるがえす。  黒翡翠の瞳が佐理を見つめる。  佐理はその瞳を見つめ返す。  深すぎる愛ゆえに国が傾き、死で引き裂かれた皇帝玄宗と楊貴妃。  佐理はこの歌と自分達を重ねずにはおられなかった。  帝と自分は今、始まったばかりなのだ。  二人の未来はこのまま平和な光に包まれていてくれるだろうか。  どんな運命がこの先待っていようとも、佐理は帝を愛し、愛されたことを後悔はしない。  玄宗と楊貴妃のように死が二人を分つとも、そして死した後でも、永遠に佐理は帝を愛すだろう。  舞は終盤を迎え、死んだ楊貴妃が二人だけに分かる秘密の言葉を玄宗に送る場面に入る。  それは楊貴妃と玄宗が互いの永遠の愛を誓い合った、二人の思い出の言葉だった。  天に在りては願はくは比翼(ひよく)の鳥と作(な)り (天にあっては、願わくは比翼の鳥となり)  地に在りては願はくは連理(れんり)の枝と為(な)らんと (地にあっては、願わくは連理の枝となりたい)  佐理は檜扇を持った手で空を仰ぐ。  開け放たれた御簾の向こうには膨らんだような白い月。 「天に在りて」  佐理が詩を詠もうとした時だった、帝の声がした。 「聞こえむや 我が心の 早鐘を 君と会ふ 契りせるほどより」  佐理と帝は時間が止まってしまったかのように、見つめ合った。 「佐理、今だってそうだ」  だから今日だって急いで帰って来た、また今宵、佐理と会う約束をしているから。  帝の瞳がそう語っていた。  ここまで帝の心臓の音が聞こえるようだった。けれどそれは帝だけではない。  佐理は自分の胸に手を当てる。  帝に見つめられ、佐理の心臓もこんなにどうしようもなく早っている。 「私もです、宗尊さま」  佐理の声が月光の下に響いた。  帝は佐理を抱き寄せると深い口づけを落とした。 「やはり今夜も佐理が欲しい」  そう言って、御簾をするりと下ろした。 「月に佐理を見られては困るからな」  微かな笑みをたたえていた佐理は、帝に触れられ切なげな声をあげる。  これから長く濃い夜を愛し合う二人の横で、夜風が御簾を揺らしていた。    了 *最後まで私の拙作にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。  読者の皆様には感謝しかありません。  次作は現代高校生青春ものの連載を始めますので、もしお時間がある方はお付き合いいただ    けると嬉しいです。  それでは、また新しい物語の旅で皆様とお会いできますのを楽しみにしております。  最後に、お読みいただき本当にありがとうございました。  八月 美咲

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