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第1話
こいつを見ていると胸が騒ぐ。
胸が騒ぐというか、動悸がする。
こいつ、とは俺の真正面に座る葵という男のことである。
その男は今、薄いブラウンの髪を揺らし、船を漕いでいる。
今日は放課後に、他に誰もいない図書室のテーブルを借りて、向かいあって葵と図書部の作業をしていた。
作業というのは、押し花のしおりを作ることだ。今月に3冊以上借りた者に、先着でしおりを配るというキャンペーン。ターゲットは新入生で、図書室に来てもらうべく、部長が発案したものだ。
図書室の入口には、「本をたくさん読もう!〜読書キャンペーン♪〜」と、でかでかとマジックペンで書かれたスローガンが貼られている。
この作業以外にも、花を摘んで来る係、しおりの宣伝係があったが、くじ引きで葵と組むことになったのだ。
テーブルのちょうど真ん中に、花を挟んであった厚い本が2冊、並べられている。
クローバー、サクラ、タンポポ、アンズ……どれも最近咲き始めた色とりどりの花や葉が、2週間前から本の上で眠っているのだった。
3月。まだ少し肌寒い日もあるが、先月に比べると日差しが暖かい日が確実に増えた。近くの窓からは桜の木がよく見える。中々咲く気配がないなと思っていたのに、3月の下旬にさしかかると、桜達は約束してたみたいに一斉に咲き始めたのだった。
「ユキ〜」
葵が俺の名前を呼ぶ。
だが、俺は無視してクローバーを手に取り、作業を続けた。
「ユキってば〜ユキ!雪斗〜!」
「うるさい」
「ねえ、もう帰ろうよ……」
葵が腕を天井へ伸ばし、うーん、と背伸びをする。そのまま机に突っ伏して、たれ目がちな瞳を俺に向けた。
欠伸をしていたのか、瞳が少し潤んでいる。
ああやっぱり、動悸がする。
葵とは家が近く、いわゆる幼馴染という関係だった。
昔からクラスが同じになる事が多かったし、幼馴染だからといって周囲からマイペースな葵の世話をよく頼まれていた。そのまま高校も同じところに入り、意図せず部活動も同じ図書部に入ることになった。
俺は図書室が好きだったためこの部活に入ったが、葵は1番楽そうで、学校でだらけられそうだから、などという邪な理由で入部していた。
「帰れる訳ないだろ、あと20個だ。やれ」
俺はわざとらしくならないように葵から視線を外し、作業を再開した。
「図書部ってもっと楽だと思ってた」
「楽だろ、しおり作るだけなんだから」
しおり作りは簡単なものだ。
本に挟んである花を取り出し、長方形の台紙に載せ、ラミネートフィルムで挟む。そしてハサミで形を整えて完成である。
葵は作業に飽きたのか、さっきからずっと愚痴を垂れている。ねえゆき?と同意を求めるように俺の名を呼んだかと思えば、ふあ、と欠伸をしてまた潤んだ瞳で俺を見つめた。
……そのうるうるした目をやめろ。なんか変になる。欠伸するな。
俺はそう言いたいのをグッと堪え、手元に視線を戻した。
「あ、ユキのそのクローバー、三葉だね」
「そうだな」
俺は小さなクローバーを3つ載せたしおりを、爪で途中まで剥がしたラミネートの中に挟んだ。
こういう、細かい作業を黙々とするのは俺は好きな方だった。
「せっかくクローバーなんだから、四葉だったら良かったのにね」
「なんでもいいだろ、三葉でも四葉でも」
「よくないって〜。四葉のクローバーの花言葉は幸運で、持ってたら幸せが舞い込んでくるらしいよ」
「そんなの迷信だ。……もし本当だったら欲しいけど」
「でも四葉、なかなか見つけらんないんだって」
「ふうん」
俺はハサミでしおりの角を丸く切り落とした。
ごみが溜まったので、両手ですくってゴミ箱に落とす。
「てかさ!雪斗、もうすぐ誕生日でしょ」
「ああ……そういえば。忘れてたな」
「忘れてたって…自分の誕生日だよぉ?」
ふつー忘れる?と、葵がむうと口を尖らせた。
「別に俺が覚えてなくても、葵が覚えてるんだからいいだろ」
今度は菜の花を手に取り、台紙に載せた。
黄色い花弁の1枚がはらりとテーブルの上に落ちた。
葵の返答がない。
不思議に思い、視線を台紙から葵の方へ向けると、目がバチリと合った。
葵の、薄いブラウンの瞳が揺れる。
「……なに」
「僕が覚えてるんだったらいーの?」
「誕生日のことか?…別に。いつも昔っからお前が俺の誕生日だなんだって、何か寄越すだろ。そのせいで俺が忘れてても嫌でも思い出すし」
だから、いちいち俺が覚えなくても、葵が覚えてたらいいって意味。そうつけ加える。
……またしても沈黙。なんだ、こいつ。
葵が数回パチパチと瞬きをして、それから、へへっ。と笑った。
「なんで笑った?」
「ふふん。もしかして、僕からの誕生日プレゼントいつも楽しみにしてたりする?」
「…なんでそうなるんだよ」
葵からのプレゼントは、はっきり言ってプレゼントと呼べるのかよく分からないものばかりだった。若干使ったあとのある文房具だとか、庭に生えてた花だとか、そういうものをいつも渡してきた。ただ俺の誕生日を知ってから、毎年欠かさず何かしらを持って来て、満面の笑みでおめでとうと言ってくる。誕生日プレゼントを楽しみにしているというより、忘れっぽい葵が毎年恒例でやってくるのが、なんだか面白いなとは思っていた。
葵は照れなさんな♩とか何とか言って、しおりの作業を再開した。
さらには、目を細めて、体を少し揺らしながら鼻歌のリズムを取り始めた。なにやら上機嫌である。
小言を言ってやりたかったが、作業を再開したので良しとした。
ふん。ふふーん。何の歌かは分からない。遊園地とかで流れてそうな曲だと思った。
葵の方をちらりと見やる。色素の薄い、瞳と同じ色の猫っ毛が揺れている。
触ったら、きっと柔らかいんだろうな、と思った。
いつの間にか自分の手が止まっていた事に気付き、再開する。
「ユキ。僕が誕生日いいもんやるよ」
「いらん」
「だめ。押し付けてやる」
俺は無言でこいつの足を踏んづけてやった。
葵が、痛ってえ!と叫んだ。
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