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第2話
あれから、なぜか葵は俺を避けるようになった。
正確にいうと、普段の会話はいつも通りなのだが、放課後の態度が変わったのだ。
いつもは授業が終わると、途端に俺の席へやって来て、帰ろ〜。とヘラヘラ言ってくるのだが、さっさと1人で帰って行くのだ。
いつもは俺がなんと言おうとくっついて帰ろうとしてくる癖に、急に態度を変えたのはなぜだ。
今日も、
「ユキ、今日も僕よーじあるから」
と言って、そそくさと帰って行った。
用事って何だ。
――まあ、いい。別にいい。あいつが居なければ静かに下校できるし。
それから、あいつの態度が変わってから数日が経った。
今日は朝から雲行きが怪しかったが、遂に昼休みが始まる頃に雨が降ってきた。
「あー降ってきたか……。僕、今日傘持ってきてないよ」
俺の机に、勝手に椅子を引いてきた葵が、窓を見ながらぽつりと呟いた。
「折り畳み傘くらい携帯してろ。……まあ、帰る時も降ってたら、入れさせてやってもいいけど」
「あー……、いや、いいよ。僕用事あるから、早く帰らないと」
「ふうん……」
昼休みが終わる頃には、校舎の周りに咲いていた桜の木は、風と雨にせっかくの花を攫われ、寂しそうだった。
――なんだ、用事って。どうせ、どうでもいい事だろ。俺がせっかく傘に入れてやるって言ったのに。
俺は葵に何かしてしまったのだろうか。もしかして、俺以外に一緒に帰りたい奴でもできたのだろうか。それで、俺に気を使って用事、と言っている…とか。葵は鈍臭いし超マイペースだけど、人当たりもいいし、昔から万人受けするタイプだ。そんな奴ができてもおかしくない。
ムカつく。
こうなったら、尾行してやる。俺と帰ることより優先すべき「用事」とはなんなのか、この目で確認してやる。
放課後、やはり葵は授業が終わると直ぐに教室を出た。
俺は少し距離を取って、着いて行くことにした。外は土砂降りである。
♢
強くなる雨の中、あいつは川岸に到着した。
「ここに何の用事があるんだ…」
葵の家とは正反対にある、大きな川である。
昔、葵と川遊びに行ったことを思い出した。
その日、葵が川で転んで足を擦りむき、泣いた。
俺が何をしても葵は泣き止まず、大粒の涙をぼろぼろと零していた。
泣きじゃくる葵をおぶって家に帰した後、ずっと葵のことがなぜか頭から離れなかった。――もう、泣き止んだだろうか、血はもう止まってるかな……と。でも、葵が頭から離れないのはその日だけじゃなかったのだとようやく気づいた。昔からずっと。葵はいつも俺の頭のなかにいる。なぜかずっと気がかりでたまらない。
それに気づいた時、鼓動が早くなって、このことを葵には知られてはならないと思った。
自分でさえ、よく分からないこの気持ちを。
ザアア。強風と共に雨が傘を叩きつける。
雨は時間が経つにつれ大粒になってきた。川の水が激しい音を立て、うねっている。
天気予報で雨になると知っていたが、まさかここまで降るとは。
葵はこの雨の中、何やら真剣な顔をして、河川敷に生える草をかき分けている。
何か捜し物でもあるのだろうか。……誰かと待ち合わせをしていた訳ではなさそうだ。
葵の制服もカバンも濡れてしまっている。このままでは風邪を引いてしまうだろう。
何かは知らないが、今日は止めておけばいいのに。
あいつは本当に馬鹿だ。
あんな馬鹿にかまっている時間がもったいない、帰る、の一択だ。
なのに――
「おい、葵」
「わっ?!あれ、雪斗?どしたの」
俺は草むらにしゃがんでいる葵に傘を差し出した。
葵が不思議そうな顔をして俺を見ている。
「こっちのセリフだ。何してるんだ」
「あー……えっと…秘密」
葵は、ゆっくりと目線を逸らし、へらっと笑った。
「秘密?どうでもいいけど、風邪引くぞ」
「でも、今日探さないとダメなんだ」
葵はそう言った後、仕舞った、といった顔をした。
「探す?やっぱり何か捜し物があるんだな。何を探してる?」
葵が、口元をむぐむぐして、俺の視線から逃れようとする。何か言いたくないことがある時の、昔からの癖である。
「……明日がユキの誕生日でしょ」
「それが、なに」
「えっと……雪斗に四葉のクローバー、あげようと思って」
「四葉のクローバー?」
「うん。幸運の、四葉のクローバー。ユキに」
そう言って、白い歯を覗かせて笑った。
「俺に……」
予想外の回答に、少し動揺する。
幸運の、四葉のクローバー。迷信だって言ったのに。
「でも、なかなか見つからなくって……。ついに誕生日前日になっちゃったよお」
「……お前ってほんと馬鹿。そんなことして何になるんだよ」
「何になるって…。幸運の四葉で〜す♡わおユキ嬉しい♡ってなるでしょー?」
「ならん、キモイ。いつもはテキトーなもん渡してきてただろ。何で今年はこんな…」
「えー、ユキにはいつもお世話になってるからさ…。今年はさ?それにいいものあげるって言ったじゃん?僕」
そう言って、葵はまた四葉のクローバーとやらを探し始めた。
葵の白いワイシャツが濡れて、肌が透けて見えている。
何となく、視線を外した。
「……もういいって。葵。帰るぞ」
「ユキは帰ってて。僕もうちょい探したいの」
「葵」
葵はんー、と生返事を返して、俺の方を見ない。
俺は葵の腕を取り、無理やり引っ張りあげた。
「えぁっ?!ゆき…?」
葵の腕は、とても冷たい。
俺は眉間に皺を寄せて、もう一度葵を傘の中に入れてやる。
「お前の、その……、気持ちで十分だから。俺のために風邪引いたりしたら、ほんとの馬鹿になるぞ」
俺は、「馬鹿」という言葉の語気を強めて、そう言った。
葵の冷たい腕が、掴んだ手のひらに染み渡る。
「…いいよ、馬鹿になっても」
葵の、いつもとは違う、穏やかな声を聞く。
思わず顔を上げた先で、葵の視線とぶつかる。
「ユキは僕が馬鹿になっても、ずっと傍にいてくれるんでしょ」
葵の瞳が細められる。なんだかいつもと少し雰囲気の違う葵に緊張する。鼓動が早い。変だ。
「……もう葵は馬鹿だけどな」
「えーひどお」
俺は今、どんな表情をしているんだろう。傘の中に無理やり入れたせいで、葵と近い距離に居ることに今更気づく。離れないといけないと思った。自分の心臓のために。でも、手は葵の腕を掴んだまま離せなかった。自分の体が自分で上手く制御できなくて、馬鹿みたいだと思った。
「……あ、葵は、俺に世話になってるとか言ったけど、俺だってお前が居てくれて…」
俺は何を言おうとしているんだろう。ドキドキして、頭が上手く回らない。
「その……いつも、」
一緒にいてくれて、俺の名前をたくさん呼んでくれて、頼りにしてくれて、誕生日覚えててくれて、いつも可愛くて――いや違う!!ていうか可愛いって何だ?!いつもの俺じゃない!
言葉が頭の中でグルグル回って何も言えず、無様に口が開いたままになる。
「ユキ…?」
「えっと……」
何とか無難なことを言おうとしたその時、
「あーーっ!!!」
突然、葵の大声が河川敷に響き渡る。
「なんだよ急に!」
「雪斗の足元にあるやつ!もしかして!」
なに?と、瞬間的に足を引こうとしたが、
「踏んじゃダメ!」
と言って、葵が自らの胸元に強引に俺を引き寄せた。
ぐらりと一瞬、視線が傾く。
葵の、水を吸収し切った制服に身体が触れる。冷たい制服の下に、葵の体温を確かに感じた。
「あー危なかった。あ、やっぱり四葉だ!やったよ、雪斗!!……雪斗?」
離れた後、黙り込む俺に葵が不思議そうに名前を呼ぶ。
ヤバい。
今葵の顔を見れない。なぜなら俺は、確実にヘンな顔をしているからだ。
「あれ?ユキ?だいじょびっ?」
「だいじょばねえっ…冷たいし最悪っ」
「ごめん〜ユキ顔真っ赤じゃん!怒ってる?」
葵は俯く俺の顔を覗き込んで、ケラケラ笑った。最悪だ。
「クソッ……」
「あ、そうだ、ユキ。四葉のクローバー。誕生日前だけど、せっかく今見つけたしどーぞ」
葵がクローバーを摘んで、俺の目の前に差し出した。
へへっ、と笑う葵の、唇に流れる水滴から目を離すことができない。
「俺が、踏みかけた奴かよ…」
「いーじゃん!踏んでないんだし」
「……まあ…、その、あ、ありがと」
貰った四葉のクローバーを、くるくると回す。 回転する度に葉からピンピンと水が弾け飛んだ。
「うん!ああ、そういえば……四葉って他にも花言葉があるんだよ」
「なに?」
俺がそう聞くと、葵が1度、瞬きをした。
「僕のものになって」
「は……」
ドク、心音が耳に響く。ずるい。告白するみたいに言うなよ、ばか葵。
胸が苦しい。
ロマンチックでしょ。葵がそう言ってにこりと笑って見せた。
顔が熱い。俺は今日、何度赤くなればいいんだ。ぜんぶ全部、葵のせいだ。
「あ、ああ…そうだな……」
「あはっ、顔赤〜!意外〜」
「うるさい!お前だって……え、なんでお前も?」
葵の顔が、確かに赤くなっているのが分かる。口元が僅かに震え、緊張している様にも見えた。
……なんで?
俺は疑問に思いまじまじと葵を見つめると、葵の顔がさらに赤く染まっていった。
「え……あ、えと、ユキ、のがうつったのかなああっ!?」
葵が早口にそう言って、不意に俺の傘を取って走り出した。
「俺の傘!」
そう叫んで、葵の後を追って走り出す。
傘を取られたせいで、俺の服やカバンが雨に濡れていく。濡れた髪が額にへばりついて鬱陶しい。
最悪だ。
それなのに、前を走って笑う葵の顔を見ると、自然と口元が緩んでしまう。
こいつを見ると動悸がする理由も分かってしまった。
でも、その理由を言葉にすると、葵に負けてしまう様な気がするので、今はまだ、心の奥に仕舞っておくことにする。
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