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第6話

「ユキだいじょーぶ?」 「大丈夫だ」 「でも鼻血出てたし痛そう」 「別に、もう止まったから」 「ほんと……?」 隣に座る葵が、心配そうな顔をして俺を覗き込んでいる。俺たちは今保健室にいる。ボールが直撃した後、鼻血を出した俺を葵がここまで連れてきてくれたのだ。葵が取ってくれたティッシュで鼻をつまみ、顔を下向きにして五分ほどで血は止まった。保健室の先生はというと、少し前に席を外していた。 「もう俺のことはいいから、授業戻れよ」 「うーん、僕ももう少しここに居ようかな」 「なんでだよ」 「え、サボりたいから」 そう言って葵はへへっと笑ってみせた。たれ目がちな瞳が細められる。……本当に可愛い。 「ばか」 そうは言っても、葵が自分の傍に居てくれるのは嬉しかった。鼻血を出した不恰好なところは見られたくはなかったが。 「てかユキなんかボーッとしてたでしょ、ボール当たる前」 めずらしーよね。そう言って葵が不思議そうな顔をして俺をじっと見つめてくる。 「何か考え事してたの?」 「べつに……」 「僕に言えないことー?」 そうだ。葵には言えないことだ。お前のことを考えていた。 「何も考えてない。ただちょっと寝不足だっただけ」 「ふーん」 葵は俺の答えに不服そうに、両足をばたつかせてみせた。 「なんだよ」 「絶対考え事してたと思ったのに」 「例えば?何考えてたと思ったんだよ」 葵がなぜかこの話題に妙に突っかかってくるので、逆に質問してみる。すると、葵は口元をむぐむぐし出した。何か言いたくないことがある時の、例の癖である。 「え、何」 「べ、別にい……」 そう行って葵は目を泳がせる。おかしい。何か隠し事をしているに違いない。俺はそう思い、葵の目をじいっと見つめた。 「なんだよ、葵」 じいっ。葵は俺の目線に耐えかねたのか、むぐむぐしていた口を開いた。 「あー……、き、昨日のこと、考えてるのかなって思った……だけっ」 「え」 葵が顔を赤くして、ふいと顔を背けた。昨日のこと――昨日のことって、例の看病のことか。……葵も意識してたってことか。それってつまり、あの時「変」だったと思ってたのは俺だけじゃなかった?……いや、早とちるな、俺。 「昨日って何だ。別に何も無かっただろ」 いや、俺『何も無かっただろ』ってなんだ。何かあった時に言う言葉じゃないか。何とか平静を装うとしたつもりが、全くできていない。仕方ない。葵の発言から俺の心臓はバクバクなのだから。 「うん……でも僕変なこと言ってたよなって。その、し、下も拭いてとかほんと変だったよね」 あは、葵が照れたような顔で笑う。 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。それを葵からぶり返してくるのか。脳裏に嫌でもあの時の葵が思い浮かんで、さらに俺の心音が早くなる。 「あの時は……お前も熱あったし変になってただけだろ」 俺は何とかいつもの口調で何ともないようにそう言った。 「そか。うん、ユキに変って思われてなかったかちょっと僕心配だったから」 「俺もあの時変だったから。葵に言われるままに拭こうとしてたし」 「え、あ、そうだったっけ……」 葵の顔が赤くなったのを見て、俺はようやく自分が墓穴を掘ったことに気付いた。あの時の葵には体調不良という理由があったが、俺があの時変だったのには都合の良い理由がない。このままでは、俺が変態(になってしまった可能性)であることがバレてしまうのではないか。 「あー、俺もあの時……その、ちょっと寝不足で変だったしな。テストのために徹夜で勉強してたし。そういうことだ」 俺はなんとも見苦しい嘘の理由で通すことにした。嘘がばれないか少し心配したが、葵は信じたようで「そうだったんだ」と納得したようだった。これで恐らく一安心だ。俺は心の中でほっと息をついた。 「じゃあ、あの時母さんが帰ってこなかったら、あのまま拭いてくれてた?」 ――ほっとしたのも束の間、葵からまた爆弾発言。葵には振り回されっぱなしである。俺はどうすればいい。上目遣いで俺を見つめる葵に、もう頭がうまく回らない。 「は……」 「また……僕が熱出したら、拭いてくれる?」 「何言って、」 「ユキ……」 葵が縋るような目でじっと見つめてくる。葵がまた変だ。俺は、頭に血が上るのを感じた。 「え?!ユキ、また鼻血出てるよ?!」 葵が目を丸くしてティッシュを俺に渡した。だいじょーぶ?葵はそう言いながら俺に接近する。近い。葵の足が俺の足にピタリとくっつく距離だ。葵は気付いてないのか、その距離のまま、心配そうに俺を覗き込んでくる。葵の体温と匂いが近すぎる。あ……やばい、やばすぎる……!俺は俺の異常事態を察し、よろよろと立ち上がった。 「え、どしたのユキ」 「トイレ……」 俺は若干前屈みになりながら、保健室のドアへと向かった。……最悪だ。 「大丈夫?僕も付き添いする」 「来なくていい……だ、大の方だから……ひとりで集中したい」 俺は最低(最悪)の言い訳をし、何とか葵が着いてくるのを拒否する。何としてでも1人でトイレに行かなければならない。 「そか……。でもユキ猫背になってるし、気分悪そうじゃん。トイレ着くまで僕ついてくよ」 「いやいい……ほんとにいいから。1人で行けるし」 「なんで?!行く!」 なぜか意地になっている葵が、俺の目の前にある保健室のドアをスパン、と大きな音を立てて開けた。……俺はどうすればいいんだ……。横にいる葵を猫背のまま見上げると、いつもの笑顔で「友達じゃん!」と言ってきた。 「うう……」 俺が罪悪感で呻くと、葵は俺の手を肩に回してきた。 「だいじょーぶ。僕が安全にトイレに行かせてあげる!」 最悪だ。俺はどうして、こんな純粋で良い奴の前出勃起なんかしてるんだろう。俺は友達のお前に勃起してる、最悪な男なんだと土下座してしまいたい気分だった。

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