16 / 16
第16話
祖父母の家を振り返る。雲ひとつない青い空の下で、屋根の瓦がつるりと光っている。
祖母が作ってくれた朝食を食べ終え、京一と瀬良は家を出た。ちなみに、昨夜祖母は眠っており、何があったかは知らないらしい。修二によると、祖母は昔から霊障のある場所に居ると、ぐっすり眠ってしまうのだそうだ。京一はまたも自分の家系の人物にオカルト要素があることを知り、大興奮した。
祖父母には礼を言い、また来ることを約束した。
雲ひとつない青い空から、貫くような光が京一達の肌を焼く。
できるだけ木や建物の影を歩くようにして、緩い傾斜を歩いていった。右手に木々が茂る道路をひたすら進んでいくと、海が目下に徐々に見えてきた。人は他におらず、蝉の鳴き声が辺りに響き渡っている。
ようやく到着した場所で、ガードレール越しに家々と田畑の先にある海を見下ろした。
「満足した?京一」
「んー、うん」
瀬良が眼鏡を外して顔をタオルで拭った。京一は帰る前に海がみたいと言って、しぶる瀬良に遠くからなら、と許可を得てここへやってきた。
「あんな目にあったのに、よく海が見たいだなんて思えるね」
瀬良が不服そうに言う。瀬良の言う通りだと思った。どうして、あんな怖い目にあったのに、また海が見たいと思うんだ、そう思った。
「俺もそう思うけど……なんか、なんつーか、ヒトミってやつ、寂しかったんかなって思って」
「寂しい?」
「ん……、俺、あいつにヤベーことされてたみたいだけど、あいつ、俺とただ遊びたかっただけなのかなって、そう……思って」
「は?」
「怒んなよ。分かってる、俺もなんでこんなふうに思うのか自分でも意味わかんねえし。ただ……ヒトミに遊ぼうって言われたことがある気がして……。怖いことされたけど、ただ俺と遊びたかっただけなのかもって」
太陽の光をうけ、キラキラと輝く青い海を見つめる。瞬きの一瞬、大きな麦わら帽子を被った少女が瞼に映った気がした。怖くはなかった。誰だか分からないが、なんとなく、懐かしい気がしただけだ。
京一は海に近づきたいと思って、1歩、ガードレールに近づこうとした――が、瀬良にぐいと腕を引っ張られ、それは叶わなかった。
「京一、言ってることがよく分からないけど、もうヒトミのこと、思い出さないでよ。なんだか、京一はまだあの海に惹かれてる気がする」
「え……」
「京一が、どこかに行ってしまいそうで嫌だ」
自分より身長の高い瀬良が、なんだか小さく見えた。眼鏡のレンズのヒビが、太陽に反射して光っている。
「京ちゃん……」
瀬良の縋るような声にはっとする。
そうだ、瀬良は怖かったんだ。あの日、俺がいなくなるかもしれないと、怖いと思ったんだ。改めてそう感じると、胸の奥がほんのり熱を帯びる。
「大丈夫だ。お前の傍にいるっつったろ?どこにも行かねえよ」
瀬良は不安そうな表情のまま、腕を掴む手を離した。
「あー、でも、瀬良は遠くの大学行くんだったな。だったら、ちょーっとは離れ離れになるな?」
少しからかってやろう、そう思った京一は、にやにやしながら瀬良の顔を覗き込んだ。
「行かないよ」
「へっ?!なんで?!」
「もう、行かなくていいようになったから」
「は?どういう意味?」
「……僕も地元の大学に行く。だから帰ったら京一、一緒に勉強会ね」
柔らかい微笑を唇に湛え、瀬良は後ろを向いて来た道を歩き始めた。京一も瀬良の後ろに続く。瀬良の金色の髪が、歩く度に光を散らした。
「なんで急に地元に?」
「……京一は僕が近くにいる方がいいと思わない?」
「へ?そりゃ……まあ……うん」
瀬良の視線を片頬に受けながら、京一は地面を見てそう言った。
「ふふ、帰ったら勉強頑張ろうね。地元目指すんなら京一の勉強、しっかりみれるから」
「おう、よろしく……って結局瀬良の理由なんだよ」
「もう京一が理由言ってくれたんだけどな」
「は……?俺いつ言った……?あーもう、まあいいや。おまえが近くに進学すんの、ふつーに、嬉しいし……」
京一は頭をかいて、隣にいる瀬良を上目遣いで見つめた。瀬良が嬉しそうにこちらをみて微笑んでいる。
「んだよ、にやにやして……変なこと別に言ってないだろ」
京一は顔を赤らめ、ふいと顔を逸らそうとした。しかし、その前に瀬良の繊細な指で顔を上に向かせられる。え、と思った時には、瀬良の顔が近づいて、柔らかい唇が当たっていた。
近くでけたたましく鳴く蝉の声が消え、辺りが無音になった気がする。
離れた唇の隙間から、遠くで鳴った風鈴の音が通り抜けた。
「な……、急に……」
「……嫌だった?」
瀬良に頬を愛おしそうに撫でられて、カッと顔が熱くなる。暑さだけが理由ではない汗が、喉仏を下っていった。
馬鹿じゃねえの、京一はそう言って、瀬良の顔を見ることが出来ずに大股歩きで進んでいった。
「待ってよ京一、何急いでるの?」
瀬良が後を追って小走りで来る。京一は顔を見られまいと、足下のアスファルトに熱視線を送った。
「ば……バスがもう少しで来るから、急がないとだろ」
「バスはまだだよ。だから、京一……」
瀬良に手首を引かれ、立ち止まる。バクバクと心臓が煩い。京一はごくりと唾を飲み込んだ。
「あと1回だけ、キスしたい」
向かい合わせになり、手首から手のひらへ、指を絡められる。くぐもった熱を帯びる瞳で見つめられて、京一は動けなくなる。
「い、1回だけだぞ」
「うん、」
瀬良の体温が近づく。昨夜の瀬良とのキスを一瞬思い出してしまい、ぞくりと震える。京一は期待で高揚した眼差しを向けて、瀬良に身体を寄せた。
おわり
ともだちにシェアしよう!

