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第1話:酒は飲んでも飲まれるな(梅)
その日、俺はとても恐ろしい夢を見た。
7年付き合った彼女がどこぞの馬の骨と浮気をし、俺を捨てる夢だ。プロポーズにと彼女に贈った指輪を左手の薬指にはめたまま、別の男とハメてる夢だ。
なんて夢見が悪いんだと悪夢から目が覚めたはいいものの、スマホに表示される彼女からの別れのメッセージを見て、これが夢ではなく現実に起こった事なんだと実感させられた。
「なんで俺が振られなきゃならないんだよぉ!」
いわゆる大失恋をした可哀想な俺は、今日仕事終わりに帰宅を急ぐ後輩を無理やり引き連れ居酒屋に来た。
「ちょ、先輩!ジョッキ割れちゃいますって〜!」
勢いよくテーブルにジョッキを叩きつけた俺を見兼ねて、まるで暴れ馬を宥めるようにして後輩に肩を揺すられる。
「悪いなぁ…明日彼女とデートなのにこんな付き合わせて…」
「何言ってるんですか!俺の事はいいんですよ、先輩にはいつもお世話になってますし!」
「うう…田中ぁぁあ…うし、今日は朝までやり切るぞ!」
「え"っ…や、それはちょっと…あはは」
若干嫌がる後輩の田中をよそに、もう一杯ビールを注文した。
この時の自分の酒を飲むスピードは言うまでもない。しかし俺は酒を飲まなきゃやってらんねぇところまで来てしまっている。
止める後輩を振り払い、怒りを腹の底に流し込むようにとにかく飲みまくった。
「先輩、大丈夫ですか?ちゃんと帰れますか?」
「だーいじょうぶだってぇ…ヒック、今日はありがとなぁ」
「先輩、俺まだ大丈夫ですけど本当に…」
「おう、でも明日は大事なデートだろ?早く帰って彼女に連絡してやんな」
「……先輩……っ…あざっす!」
「急に元気じゃん、さてはお前、帰りたかったんだろぉー?ちくしょうやっぱもう一軒行くかぁ⁉︎」
「違いますってー!勘弁してくださいよぉ」
冗談を交えながら、その後田中は頭を下げて帰路についた。
さっきはああ言ったけど、田中をこのまま付き合わせるのは悪いと思い、理性が効く内に帰らせてやる事にした。
あんま、後輩に迷惑はかけたくないし。
店を出る頃には街中はすっかり賑わっていて、すれ違うカップルを見るとますます酒が欲しくなった俺は、次の酒場を探して歩く。
「……ほんとなんだったんだよ俺達…」
ひとりになると、怒りを通り越して悲しさが込み上げてきた。
給料3ヶ月分の婚約指輪。見え張ってちょっといいブランド物にした。返さなくていいとは言ったものの、あれ今頃質屋にでも売られてんのかな。
学生時代から付き合って、お互いの両親とも仲は良く、これから一緒に住む家を探し出した矢先に発覚した彼女の浮気。
浮気なんかするような子じゃないと思っていたのに、彼女からは「刺激が欲しくて…」なんて言われてしまった。
要は、俺では物足りなかったわけだ。
――――――なんで?
自分で言うのもなんだけど、俺めっちゃ一途だし、仕事もそこそこできるし、顔もそこまで悪くない…よな?
俺の一体何が悪かったのか。刺激が欲しかった?
もっと強引な男が好きだったのか。
確かに最近お互い「好き」とか言い合わなくなっていたし、セックスも月に一回あるかないか…だったけど、十分思い合ってると思っていたし、彼女も満足してると思っていた。
彼女の行動や人間関係を縛る事もしなかったし、彼女も俺を縛る事はしなかった。俺はそれが心地いいと感じていたし、信頼関係がそこにはあったはずだ。
俺の一体何がいけなかったのか。
いつから彼女の心から俺がいなくなってしまったのか。
いつから、彼女の中で俺が裏切ってもいい存在になってしまっていたのか。
「なぁぁ、なんでぇえ」
「…………」
ふらふらと歩き回って適当なバーに辿り着いた俺は、カウンターに突っ伏し隣で飲んでいた客に疑問を投げかけてみる。
この際誰でもよかった。話を、愚痴を聞いてくれる人なら誰でも。
「俺の何がいけなかったんだよぉぉ」
「…………」
薄暗い店内で静かに酒を傾ける男は、少しの沈黙の後、グラスを傾けてこちらを向いた。
「知らないですよそんなの」
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