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第7話 私以外に誰があなたを守れるというんですか
それは、聞いたことがある。僕と同じ名の御先祖様は世界のすべての秘密を知る魔道師で、伝説によれば誰とも結婚していない。魔道をよくしたかの人はその力でひとがたをつくり、それに国を預けたのだという。
そういえば、こいつって『偉大なるエリヤ・バアル』と同じ瞳をしている。紫色の、あやしい瞳だ。
僕はいつでもこの眼に騙されるんだ。
いけない、またひきこまれ、あれ?
いつの間に側にきたのか、アスランが目の前だ。その長い手が僕の手から短剣を奪いとる。強い力に傾いた身体が、アスランの胸に倒れこんだ。
「返せよ!」
アスランがそれを放り投げ、そして、僕の身体をしっかりと立たせて言った。
「カシャ・エリヤ・バアル」
険しい瞳だ。
「今、決めるのです」
「え」
「王になるか、ならないか。この因襲の王国をパライオロゴス家やその他の貴族たちの蹂躙にまかせるか、否か」
「あ……だって、」
「あなたが王になるかどうか、です。王妃も弟君も殺して王位につくかどうか、その覚悟を問うているのです」
「そんな……」
「逃げることも許されましょう。王家に生まれたからといって王になる必要はございません」
「僕は……」
僕は、こわかったのだ。
殺されることは少しも恐ろしくなかったけれど、母上様をこの手にかけることが、ううん、母上様に愛されていない、憎まれていると認めることが恐ろしかったのだ。
僕は……
「あなたのお気のすむように。どう転んでもよいように、手配はしてあるのです。あなたの御決断によっては、手の者が王妃を、」
「アスラン」
僕は、顔をあげた。アスランの事務的な、淡々として抑揚もなく続く声をさえぎって、
「いいんだ」
「カシャ様」
「ごめん。でも、僕には、できない……」
梢を揺らす風の音に僕の声がのみこまれて彼に届かなかったのかと思うほど、アスランの応えは長い間なにもなかった。不安になった僕が彼を見上げようとしたとき、やっと、すべてを了解したように、アスランが吐息をついた。それから、
「そう、おっしゃると、思っていたのですよ……」
呟きが落ちた。
僕は、泣きそうになりながら、うなずいた。
アスランが僕の頭を抱え寄せる。そうしてうつむいて見えた地面の色は、しっとりと濡れたこげ茶色だった。
あれはいつのことだろう……泣いた僕を母が強く打ちすえて、青い目の王子は親を殺し国を滅ぼすものだと、昔は生まれたときに殺したのだと、そう、言ったのは。
プラキディア――僕を生みながら、僕を愛さなかった僕の母。僕を疎み殺そうとする僕の母。
彼女が僕に死ねといえば、僕は、死ねただろうか。
僕は、彼女のためなら死ねただろうか。
あの女のためなら、死ねただろうか……? 僕は……あの女を愛していたのだ。
嫌われても疎まれても、あの女を、好きだった。
好きだった。
あの女以上に好きだったものなどいない。それどころか、この世の中に、彼女以上に好きだったものなど何もない。
僕が、アスランのように王家の血をひくものとして姿なり、魔道の才能なり、その証をもっていたら、僕は誰かに命を狙われたりしなかっただろうか。
僕は本当に、王家のものだったのだろうか。
僕が僕であることを、誰が、いったい認めてくれるのだろうか。
僕は……
「これからどうなさいますか?」
常に現実的なアスランが僕のからだをはなしてたずねた。そのときには、僕のこたえは決まっていた。
「とりあえず国を出る。けれどアデン王家の世話にはならない」
アスランは眉をひそめただけで続きを待った。
「よその国で恋人を探す」
「は?」
「僕は、恋人を探すぞ」
「カシャ、様?」
「絶対に幸せになってやる! だいたいこの国の王家の人間は悲恋体質なんだ。これで僕は王家の人間じゃなくなったわけだし」
「……体質なら、お生まれの時点で決まってしまうのでは」
「うるさい、体質改善だ。僕は絶対に幸せになってやる。世界一の女性と恋をして結婚するぞ!」
「そ、……れは凄い野心ですね」
心の底から驚いているようだった。こんな呆然とした顔をしたのは見たことがなかった。
「アスランは城に帰りなよ。僕の遺骸は川に流された。それでどう?」
「ご冗談でしょう?」
「冗談じゃなくて。僕の遺体がどうしても必要だっていうならどこかで手配してよ。魔道でもなんでもつかって誤魔化して」
「まったくあなたは、御自分がなにを言っているのかわかってない。あなたひとりでどうやってこの先いきていくんですか。死んだことになったからもう安心だとか思っていませんよね?」
「……アスランが、後のことはどうにかしてくれるかと」
その瞬間、ものすごい勢いで殴られそうになったけれど今度はちゃんと構えてよけた。アスランは切れ長の目になんともいえない笑みを浮かべて口にした。
「……次にそんなふざけたことをのたまうようなら手加減しないで殴って犯しますよ」
「犯すは余計だ」
「殺されるよりましでしょう」
「おまえのために死ぬほうがまだましだ」
「けれど私の為に王位についてはくださらない」
「……母上様を愛してる。あの人の邪魔になりたくない」
見つめ合ったまま、しばらく動かなかった。
動けなかった。
太陽がだいぶ西に傾きはじめた。この森が闇に包まれればそこに魔物が跋扈(ばっこ)する。僕がほんとうに闇王家の王子なのだとしたら、魔物は僕の膝下に跪くことだろう。けれど残念ながら僕にはその天稟がない。ここにひとり残されれば喰われるだけだ。
「馬を置いていってほしい。行けるところまでひとりで行く」
「その馬は私の気に入りです」
「じゃあもう行ってくれ。僕は王子として生きられない。でもおまえに殺されるのも嫌だ」
「私以外に誰があなたを守れるというんですか」
僕はアスランの顔をもう見ていなかった。項垂れて、ただ何かを我慢するために唇をかんだ。
彼に婚約者がいるのも知っている。立派な従騎士に囲まれていることも。その館だけでなく城にも崇拝者はたくさんいる。王になってもならなくても、アスランはこの世に並ぶものなきパライオロゴス家の嗣子なのだ。
「……おまえが僕に従ってアデン王国に亡命となればパライオロゴス家が割れる。内乱は避けるべきだ」
「私は礼と秩序を重んじる人間です」
「争いに巻き込まれる無辜(むこ)の民の命のほうが重い」
「それゆえに範を示すのが王家や貴族の証かと思いますがね」
言いながら僕を担ぎ上げた。
「アスラン!」
「城には戻りませんから抵抗しないでください」
馬の背にあずけられ、手綱をひいたアスランを見おろした。彼はこちらを見なかった。西をむいていた。
「今日のところは致し方ありません。殴って言うことを聞かすのは最後の手段です」
「四回も叩いておいて殴ってないつもりか!」
「そんなの、ものの数に入れないでください。この先どうなるかもわからないのに。あなたは路銀どころか明日の分の食糧すら携えていないくせに」
言われてみればそのとおりだった。
「……アスラン、乗れば?」
「城から全速力で走らせましたから、今日はもう無理をさせたくありません」
「だから僕がおりるよ」
「明日はあなたに歩いてもらいますのでそういう配慮は無用です」
目を合わせもしない。
困った。
これでは礼も言いようがない。
「私はよほど前世で罪深いことをしたんじゃないかと至極反省しているところですよ。けれど仕方ありませんね。あなたのお守りができるのは私だけだと思うと見捨てられないんですから」
「アスラン……」
アスランがようやく振り返る。
「恋人を見つけるのなら、とにかくしっかり者にしてくださいね。そうでもしないとあなたを任せられません」
「そうするよ」
僕は、なんとなくアスランがとてもかわいそうな気がしていたけれど、黙っていた。かわいそうだなどと言える立場でもないのだし、それに、よくわからないけれど僕は僕でじぶんがなにを仕出かしたのか考えなければならないと思った。
つまりアスランに、アスラン・パライオロゴスであることを今、この瞬間に捨てさせたのだという事実を。
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