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                      * 「知希、お前中華って何がいいの?」 「あ、大皿中華? 作ってくれるの?」  明後日から夏休み、という7月も半ば過ぎ、学校帰りに寄った桐人の家で、玄関に入ってすぐにぎゅうと抱きしめられて訊かれた。  暑い中自転車で帰ってきて汗だくなのに嬉しくて、桐人の背中に腕を回して抱きしめ返した。 「来週父さんが泊まりの出張なんだよ。だから知希、うち泊まりにおいで」  耳元で囁かれる甘い誘いにくらくらした。 「うん、来る。楽しみ!」  えへへと笑いながら見上げると、桐人がメガネの奥の目を細めて見返してくる。 「お前はほんとに可愛いな」  そう言いながら優しくキスをされた。  2人になると、桐人は何度も何度もオレに「可愛い」って言う。 「オレも一応男だからさ」 「うん?」  格好いいなあと思いながら見上げた。 「女子とかに可愛いって言われてるの、ビミョーだなって思ってるんだけど、でも」 「でも?」 「桐人に言われるのは、嬉しいから不思議」  ぎゅっと抱きついて言うと、強い力で抱きしめられて大きな手が顎にかかった。  促されるままに上を向いて唇を合わせる。膝の力が抜けてくるようなキスをされて、必死で広い背中にしがみついた。 「いっそ夏休みの間中うちに閉じ込めておきたいぐらいだな」  くすくす笑いながら言う桐人の胸に耳を当てると、いつもより少し心音が速い。  期待感に心臓が跳ねてきてしまう。 「毎日遊びに来ちゃおっかな」  これは本心。 「全然オッケー。でもお前ん家にも行きたい」 「うち暑いよ。エアコン入れても」  そう言いながら、去年の夏休みは何してたっけと思い出す。なんかしょっちゅう邦貴たちと会ってた気がする。 「そういえば最近、邦貴の様子がなんか違くない?」  先に帰っても何も言わないし、ベタベタもしてこなくなって、ありがたいけど何でだろう。 「ん? ああ、まあ、いいんじゃね? それよりほら、中華何にする?」 「えー、迷うー。どうしようかなぁ」  当たり前のように桐人の家に上がりながら、長身の後ろ姿について歩く。 「CMはホイコーローだったよね」 「じゃ、そうする?」  冷蔵庫から炭酸水のペットボトルを出しながら応えた桐人が、飲む?と目で訊いてくる。  うん、と頷くと手渡してくれた。2本目は出さない。  プシュッと蓋を開けて半分くらい飲んだところで大きな手がペットボトルを攫っていった。  炭酸水を呷る横顔と、上下する喉仏。それをうっとりと眺めた。 「お前はいっつもそういう目で俺を見てるな」 「だって…」 「だって?」  ちょっとイジワルな笑みで覗き込んでくる桐人がやたら格好よくて頬が熱くなる。  唇を噛んでその顔を見上げた。 「…だって、格好いいから…」  思い切ってそう言って、くるりと背を向けた。さすがに恥ずかしい。  桐人はよくオレに可愛い可愛い言うなと思ったけれど、ちょっと立場が違うのか、と思い直した。 「お前にそう言われると俺も嬉しい」  後ろから抱きしめられて、頬を擦り寄せながら低い声でそんな事を言われたら、身体がぐにゃぐにゃになってしまう。  オレにタチ悪いって言ったけど、桐人も充分タチが悪い。  首筋にキスをされながらそう思った。    自分で背中を向けたくせに、やっぱり顔が見たくて振り返った。  2人でいる時の、いつもよりオレに甘い桐人。  オレが『お兄ちゃんモード』と呼んでいた桐人。  あれ『お兄ちゃん』じゃなかったんだよなぁ。  桐人の首に腕を回してキスをせがむと笑いながら唇を重ねてくれる。  前に、桐人は好きな人を全力で落としにいきそうって思った。  マジで全力で落とされてんじゃん、オレ。  でも分かんない。桐人が何もしなくても、本当に普通の友達として再会してても、オレは桐人を好きになったかもしれない。  そんな事を考えながらキスをしている。  段々頭がぼんやりしてくきた。  2人だけの、秘密の時間が始まろうとしてる。  夏の夕方はまだ明るくて、背徳感にさらに気持ちが煽られる。  桐人のシャツを握って、覚束ない足取りで廊下を進んだ。  もう見慣れた、桐人の部屋。  ぱたんとドアが閉まって、力いっぱい抱きしめ合った。  息苦しさが幸せを連れてくる。  桐人の大きな手がシャツの中に忍び込んできた。  熱い手のひらに撫でられて、オレはあっさりと理性を手放した。  了

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