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「そうだ、トラヴィス・ヴェレッタだ。お前、ラッキーだな。本人が電話に出たぞ」
快晴の空の下、星条旗とテキサス州旗が気持ち良さそうに風になびいている様子を見ながら、トラヴィスは饒舌に喋る。
「で、お前は誰だ?」
通話の相手は押し黙った。
「おい、生きているのか? 死んでいるのならそう言え」
『……生きているとも。勿論、生きているからお前に電話しているんだ』
その若い男の声は少々苛立っているようだった。その雰囲気を感じ取って、トラヴィスは素直に謝罪する。
「悪かった。お前をからかうつもりじゃなかったんだ。こっちはいい天気で、つい気分が天使のように舞い上がってだな」
『もう、いい』
声が噛みついた。
『用件だけ言う。一分もかからない。それでお前とは永久にサヨナラだ』
「おい、ちょっと待て」
さすがにトラヴィスは慌てた。
「永久にサヨナラする前に、一度だけやり直そう。ところで、お前は誰なんだ? 俺に用事があるのか?」
『俺自身に用事はない。ミリーに頼まれたから、電話しているだけだ。貴重な人生の時間を無駄にしてな!』
「ミリー? ミリアムか?」
『そうだ。俺はミリーの弟だ』
トラヴィスは思い出したというように指をパチンと鳴らした。ミリアムにアスランの件で頼んでいたことがあったのだ。
『俺はジェラード・ウィリアムズ。三十秒だけ黙っていろ!』
「OK、ミスターネイビー。三十秒なら俺は良い子になれる」
海軍将校であるジェラードの鼻息が、通話口からでもわかるくらい荒々しくなった。
『どうしてミリーがお前みたいな野郎とパートナーを組んでいるんだ! ミリーにもそんな口を利いているのか! 貴様絶対許さないぞ!』
「おいおい、落ち着けよ」
早口でがなりたてるジェラードの声がうるさくて、携帯を耳から少しだけ遠ざける。
「ミリアムは俺の大事な同僚だ。尊敬もしている。だから、ミリアムに頼んだんだ。お前が連絡をくれたってことは、ミリアムがちゃんと仕事をしてくれたんだ。さすがミリアムだ。いつも仕事が早い」
本心から言った。日頃から一緒に捜査をしているので、誰よりもミリアムが優秀な捜査官であるのを知っているのはトラヴィスである。
「俺はミリアムにいつも助けてもらっている。感謝しているって伝えといてくれ」
通話の向こうが、不気味なぐらいに沈黙した。やや待って、軽い咳払いが聞こえた。
『ミリーがとても優秀で素晴らしくて、なにより魅力的なのは、弟である俺も知っている。俺のミリーのことを、今さらお前に教えられる筋合いはない』
トラヴィスは無言で頷いた。首筋が痒くなったのか、指で撫でる。
『誰よりも大事な俺のミリーのためだ。ミリーのためならお前に電話だってする。そうだ、全てミリーのためだ!』
「……」
トラヴィスは閉口したように青い空を仰いだ。耳元でまくし立てられる熱い主張に、こいつはあと何回ミリーと口にすれば気が済むんだと呆れた。
『ミリーのために、お前の知りたいことを調べた。ミリーのために頑張ったんだ。お前はもっとミリーに感謝しろ!』
「わかったよ」
もうお手上げというように、トラヴィスは片手を上げた。ミリアムの弟がこれほどのシスコンだとは知らなかった。あいつも大変だなと、余計な同情心まで湧いた。
ジェラードは言うだけ言ってすっきりしたのか、また咳払いする声が聞こえた。
『これから話すのは、ラインハート少尉についてのある噂だ』
トラヴィスは携帯を持ち直す。
「噂?」
『そうだ。それが真実かどうかは俺もわからない。だが、密かに流れた興味本位な噂だ』
トラヴィスはしばらく不動の姿勢で、携帯を耳に押し当てていた。数分後、携帯の電話を切ると、小さな溜息を洩らし、頭を横に振りながら保安官事務所へと戻った。
ちょうどレイフが自分の執務室から出てきたところだった。愛用のカウボーイハットを手で無造作に掴み取ると、険しい眼差しのまま、乾いた唇から息を吐きだす。
「ジェレミーとのデートは終わったようだな」
トラヴィスはジョークで出迎えた。すると若干疲労の影があったレイフの顔が、みるみる憎らしそうに生き返った。
「お前がいなくて、最高のデートだった」
「あいつのエスコートはプロフェッショナルだ。お前らも参考にしろよ」
レイフは横柄に頷いた。
「そうだな。胡散臭いお前とは比べ物にならないくらい、プロフェッショナルな男だ。本物の捜査官は全く違う。ちゃんとネクタイも締めているからな」
「捜査が終わったら、ネクタイを買いに行ってやるよ。ついでにカウボーイハットもかぶってやる」
互いに皮肉たっぷりに睨み合ってから、フンと通り過ぎた。相変わらずレイフと反りが合わないことに肩をすくめながら、トラヴィスは執務室へ入る。ジェレミーは保安官の椅子に座り、デスクを挟んで、パイプ椅子が一つ置かれていた。
「よくその椅子に座れたな」
保安官としてのプライドが高いレイフが、自分の椅子にFBI捜査官が座って、さらに自分が取調べをされることに抗議の一つもしなかったのが不思議だった。
「彼は自制した」
ジェレミーは簡潔だった。
「以前にも言ったが、彼は愚か者ではない。地域住民から保安官に選ばれた男性だ。感情を抑制できる」
「俺には全く抑制してくれないぜ」
「お前にはスペシャルな感情があるのだろう」
これまた簡潔なコメントに、トラヴィスは文句を言うように口笛を鳴らした。
「お前の主張は後で聞く。次は副保安官だ。早く椅子に座れ」
くそったれとぼやきながら、壁に立てかけてあったパイプ椅子を引っ張り出す。その脇にある書類棚に、何気なく視線が伸びた。最初にこの部屋を訪れた時にもあった写真立てが二つある。
その一つに写っているのはエリスとレイフだった。レイフがエリスを片腕で抱き寄せている。二人の前には小さな少女が二人、愛らしく立っている。
モルグでダナの遺体を前に泣いていたエリスの姿が脳裏をよぎった。トラヴィスは記憶のページをそっと閉じるように、隣の写真立てに目を移す。
その写真には、三人の男性が写っていた。
一人はレイフだとすぐにわかった。今よりも若い。カウボーイハットをかぶり、気安げに隣の男性の肩を組んでいる。
真ん中にいる男性は白人だった。レイフと同じくカウボーイハットをかぶっている。年齢もレイフとそう変わらない感じだ。
三人目は、年配の黒人男性だった。
トラヴィスはその写真立てを手に取ると、自分の胸元まで持ってきてじっくりと見る。レイフが肩を組んでいる白人男性は、背が高く、がっしりとした肉体の持ち主だった。年齢はレイフとそう変わらないだろうか。カウボーイハットの下に見える顔立ちは男らしくて野性的だが、どこか甘い雰囲気も匂わせている。映画に登場するような人を引きつける容姿が、とても印象的な男性だった。
レイフの友人だろうかと、トラヴィスは考えた。親密そうな様子は写真からでも伝わってくる。
「――彼がレスリーです」
突然、背後から声がした。
振り向くと、いつの間にいたのか、ロイドが肩越しに覗き込んでいた。
「背後から声をかける時は、ノックしてからにしろよ」
トラヴィスは皮肉る。
「すみません」
ロイドは茶化すように謝った。
「あなたが熱心に眺めていたので、つい声をかけてしまいました。次からは、ちゃんと背中をノックしてから声をかけます」
「俺がいいぞって言うまで口を開くなよ? さもないと、どこかの保安官のように空気銃で撃ってやるからな」
トラヴィスも嫌味で応戦する。
「覚えておきます」
ロイドはわざとらしくカウボーイハットを少し持ち上げた。
「で、隣の黒人男性は誰だ」
トラヴィスはずけずけと尋ねた。
ロイドは冷ややかな眼差しになったが、質問には答えた。
「ブルッキーです。レスリーの副保安官だった、ブルックス・クラーク」
トラヴィスはもう一度写真に目を落とした。クラーク副保安官は体格の良い男性だった。一緒に写っている二人の白人男性とは親子ほどに年が違うが、仲が良さそうなのは満面の笑顔でわかる。首からかけてあるロザリオが、太陽に反射して光っていた。
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