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幽霊列車④

顔を上げた拍子に距離が開き、小走りに駆け寄る。重苦しい沈黙。微妙な雰囲気。テント内の口論を思い出す。 『人殺しやねん俺。絶交するか』 「茶倉、あのさ」 喉元までこみ上げた言葉が出ず、車窓に映った顔を睨み付ける。 『仲間割れ?』 反射的に目を上げ、俺の顔とだぶった白い顔に息を飲む。魚住じゃねえ、もうちょい年上の知らねえ女黒いゴスロリ服を纏い、同じく黒いレースでデコった日傘をさしている。 「葉月さん?」 名前を呼ぶなり虚像がかき消え、すぐ横の座席に寝かされた、人形が目にとまる。 「落とし物だ」 「文化人形やな。実物見んのは初めてや」 「ふみちゃんも乗ってんのか」 「持ってく気か」 「ひとりぼっちで置いてけってか?可哀想じゃん、届けてやんねえと」 汚れを払った際に前掛けがめくれ、裏地に刺繍された平仮名が見えた。 「お人形さんのスカートめくり?欲求不満やね」 「よく見ろ」 「まさこ……持ち主はふみちゃうんか」 「お下がりって言ってたし姉ちゃんの名前じゃねえか?」 シャツん中に突っ込み、襟からぴょこんと顔だけ出す。 「カンガルーみたいで可愛くね?」 スルーされた。虚しい。貫通扉を開け放ち、連結部を渡り、隣の車両に踏み込む。 むっとする人いきれに面食らい、瞬きする。車両中に人が犇めいていた。 膝の上に風呂敷包みをのっけた老婆、干し芋を咀嚼する男、文庫本を読み耽る紳士。 「どうなってんだ、ドア開ける前まで確かに」 「しっ」 茶倉が口元に人さし指を立てる。 真ん中の通路を挟み、左右二列に配置された座席は老若男女に埋め尽くされていた。 乗客は一様に貧乏くさい身なりをし、女の人は継ぎを当てたモンペを穿いていた。男は外套と学ラン、防災頭巾を被った子供もちらほらいる。カーキ色の軍服を纏い、髭を蓄えた男は、偉そうに股を開いて踏ん反り返っていた。 「旧日本軍の軍服や」 貫通扉を背にした茶倉が呟く。禁煙車両じゃねえのか、噎せ返るような煙草の煙が充満していた。時代錯誤な風景に圧倒され、周囲のざわめきに耳を澄ます。 「千人針は持ったか」 「ちゃんとここに」 「死線を越えて五銭、苦戦を越えて十銭。許嫁が縫ってくれたんだろ、果報者め」 「赤紙が届いた日からお国に尽くす覚悟はできていたが、いざとなると別れが辛い」 「貴様女々しいぞ、非国民に成り下がりたいか」 「俺は別に……」 「芋はいらんかね~美味しい干し芋だよ~」 「疎開先は?」 「静岡。親戚が茶畑をやってるんだ」 「下の倅はビルマの前線に送られて……」 「大日本帝国万歳。天皇陛下の御為に」 カーキの軍服を着た兵隊が熱心に語り合い、坊主頭に学ラン短パンの少年が駆け回り、繰り返し手紙を読む老婆が涙ぐむ。席からあぶれた奴は網棚に横たわり、腕枕で高鼾をかく。 「タイムスリップしちまったのか」 「みたいやな」 ガタンゴトン列車が揺れ、周りの人たちが変な顔をする。 「変な子たち」 「見てよあの服」 「日本男児が髪を伸ばすとはけしからん」 不躾な注視。ベリーショートの俺はともかく、長くも短くもねえ茶倉の髪は悪目立ちする。他が坊主刈りなんで尚更。 どうしたもんか途方に暮れてると、すぐ近くに掛けていた髭の軍人が腰を浮かし、シャツの胸ぐらを掴んできた。 「貴様あああああああああ敵性言語を書いた服を身に付けるとは何事かああああああ、さては米英の手先だな!?」 「やばっ!」 伸びきった胸元を見下ろし、よりにもよって『VICTORY USA』の英字プリントに青ざめる。 「誤解です誤解、これはお袋がしまむらのワゴンセールでゲットした一枚五百円のやっすいシャツで大日本帝国に反旗を翻すとかそーゆー意味じゃなくってですね」 「非国民め、指導してやる!」 聞いちゃいねえ。怒り狂った軍人が席に立てかけた木刀を掴む。振り下ろされた切っ先を寸手で躱し、茶倉の腕を掴んで逃走。 「待てー!」 脱いだシャツを裏返し袖を通す。列車ン中は芋洗い状態、人が押し合いへし合いして進み辛え。 後方で浮き沈みしていた頭が溺れ、どうにか逃げきれたとホッとしたそばから新たなハプニングが発生した。 「まさこちゃん知りませんか」 いきなり声をかけられぎょっとする。赤ん坊の泣き声が響く車両の片隅に、防災頭巾を被った小さい女の子が佇んでいた。まん丸い瞳は大粒の涙で潤んでいる。 「まさこちゃんて」 「ふみのお人形。ちょっと目を離したすきにいなくなっちゃった」 この子が守屋のじいちゃんの……。 「これか」 しょんぼりするふみちゃんに人形をさしだす茶倉。脱いだ拍子に吹っ飛んだのを拾ったらしい。 「まさこちゃん!」 「隣の車両に落っこちとったで」 「ありがとうお兄ちゃん。えーと」 人形を抱きとるや頬ずりしたふみちゃんが、目をぱちぱちさせ俺たちを見比べる。茶倉が代わりばんこに指をさす。 「俺は茶倉、こっちが理一。気軽にりっちゃんて呼べ」 「待てこら」 「茶倉おにいちゃんとりっちゃんね、覚えた。ねっねっあっちであそぼ、ず~っと真っ暗なトンネルで退屈だったの」 俺たちの手を掴み、とっとこ席の方に連れていく。幼児特有の高い体温と柔い感触にたじろぐ。 「さわれる、よな?」 「ああ……」 「幽霊じゃねえのかよ、さっきのおっかねえおっさんにも胸ぐら掴まれたし」 「列車ん中限定で実体化しとるっぽい」 「周りの人みんな……」 強張った表情で周囲を眺める。 「早くー」 ふみちゃんが正面席にちょこんと腰掛け、俺と茶倉は反対側の二人掛けに並んで座る。 「てめっ、窓際とんな!」 「どっちでもええやん」 「じゃあ譲れ」 「真っ暗で見えへんで」 「それもそうか」 当たり前だが座席は固い、長時間座ってたら尻が痛くなりそうだ。ふみちゃんは列車の旅に浮かれ、短い足をぶらぶら揺らす。 「この席にいた人は?」 「操縦室見に行っちゃった。しばらく帰ってこないよ」 「そっか」 ガタンゴトン列車が弾む。真っ暗な窓が顔を映す。新聞が報じる戦局の悪化のせいか長旅の疲労のせいか、乗り合わせた大人たちの大半はムッツリ黙り込むか寝たふりをしていた。 「聞いた?広島と長崎に新型の爆弾が落ちたって」 「ピカドンでしょ。大本営の発表は」 「酷い惨状だって。一面焼け野原で……」 「同級生があっちに疎開したのよ。無事だといいのだけど」 斜め前の席に掛けたおさげ髪にモンペ姿の女学生が囁き合い、斜め後ろの席を占める兵隊が深刻な調子で議論を交わす。 「兄貴は大陸で死んだ」 「このご時世に骨が返ってきただけ幸運だぞ」 「配給も減る一方じゃないか。日本はどうなっちまうんだ」 「しっ、滅多なこと言うな」 鬱々とした雰囲気や滅入る会話に毒されず、ふみちゃんが優しい手付きで文化人形の頭をなでる。 「まさこちゃんねえ、よく迷子になるの」 「お姉さんの名前?」 「まさこちゃんはまさこちゃんだよ。ふみの大事なお友達」 なるほど意味わからん。気を取り直し尋ねる。 「これからどこ行くの?」 「長野のおじちゃんちに疎開するの。ふみはお姉さんだから一人で行けるんだよ」 「へ~偉いなあ」 「ホントは耕にいも一緒のはずだったんだけど、お腹壊して寝込んじゃった」 「兄貴はウチにおるんか」 「どのお兄ちゃん?いっぱいいるよ」 「すぐ上の兄貴や」 「耕にい?」 行儀よくお座りさせた人形の頭巾を整え、前掛けの皺を均す。瞳には優しい色。窓辺に頬杖付いた茶倉が聞く。 「仲ええの」 「あんまし。すぐ意地悪するもん」 「ほな嫌いか」 黙って首を振り、まさこを高い高いする。 「耕にいねえ、とっても食いしん坊なんだよ。お腹壊したのだって、お地蔵さまのお供え物を盗み食いしたせいなんだ」 「うちの姉貴みてえだな」 「りっちゃんのお姉ちゃん?」 「冷蔵庫のプリン食ったら半殺し。そんな大事なら油性ペンで名前書いとけっての、お返しに蓋んとこにカロリー書くから」 「ぷりん?」 茶倉に睨まれた。慌てて捕捉する。 「上にカラメルかけたプルプルしたお菓子。この時代にはねーんだっけ?俺が好きなのは安いプッチンプリン、底の爪を折って皿によそんの。面倒だからそのまま食っちまうけど」 「知らない知らない教えて!どんな味?甘い?カルメラ焼きとは違うの?れいぞうこってなあに、しまっとくの?」 「落っこちんぞ」 はしゃいで身を乗り出すふみちゃんを押し返す。茶倉が質問を投げる。 「お前の好物は?」 「かぼちゃの煮物!」 無邪気な笑顔で答えたのちに黙り込み、おずおず口を開く。 「……あのね、耕にいね、お芋の煮っころがしとかすいとんとかときどき分けてくれるの。耕にい猫舌だから、ほくほくで熱いの苦手なんだって。かぼちゃの煮物の甘いとこも」 「てっぺんの色が濃い所?」 小さく頷く。 「自分は皮だけ食べる。そっちの方が栄養あるからって」 こけしみてえなおかっぱが縁取る、あどけない顔が綻ぶ。 「本当は優しいんだ。だけど優しいのがかっこ悪いと思ってるから意地悪するの、変だよね」 守屋のじいちゃんは幼い妹への仕打ちを悔やんでいたが、ふみちゃんはご飯を分けてくれる、優しい兄貴を慕っていた。数十年越しの真実を知り、胸がじんわり熱くなる。 「かまへん、三人ぽっきりの秘密や」 「そーそー」 「本当?」 「指きりするか」 「する!」 ふみちゃんが元気よくお返事し、右手で茶倉と、左手で俺と指きりげんまんを交わす。 「長野に着いたらいっぱい遊んでもらうの。ちゃんばらごっこでしょ、野球でしょ、おままごとでしょ……畑仕事も手伝うよ、ふみの大好きなサツマイモがた~くさんとれるってお母さん言ってたもん。もうすぐ戦争終わるから、そしたら家族みんなそろって、また一緒に暮らせるんだあ」 生きてるうちに訪れなかったその日を指折り数え、期待に目を輝かせる。 「ねえねえ知ってる?長野はこっちみたいに空襲警報聞こえないの、アメリカのヒコーキ来ないんだって。爆弾落とされておうちが燃えたり鉄砲で撃たれたり怖いことないんだよ。お姉ちゃんたち、おるすばんでかわいそうね。工場のお仕事忙しいのかな?お母さんも来ればいいのに……」 せっかちな瞬きで涙を追い出し、洟を啜る。茶倉は渋い顔。 「みっともない」 「わかってる」 ふみちゃんは恨んでねえよと守屋のじいちゃんに教えてやりてえ。ここにいるべきなのは俺たちじゃねえ。 車窓に視線を放った茶倉の右手が俺の左手をまさぐり、握り締める。 「りっちゃんたちの家族は?」 「お袋と親父は家、姉貴はバンドの追っかけで九州遠征中。じいちゃんはもうねてっかな、年寄りは朝早えし」 ふみちゃんが茶倉に顔を向ける。癖のない黒髪の下、切れ長の双眸が物憂く瞬く。 「おらん。死んでもた」 「ご、ごめんなさい」 しおらしく謝るふみちゃん。慌てて話題を変える。 「向こうでたくさん友達作れよ」 「がんばる。でもね、一番の友達はまさこちゃんだよ」 「まさこちゃんは人形だろ?」 「そっちのまさこちゃんじゃなくて―……」 じれったげに反駁した矢先、レールを削って列車が跳ね、周囲の人間が遠心力で投げ出された。 「うわっ!?」 「掴まれ!」 咄嗟に肘掛けを掴んで前傾、茶倉も窓辺に突っ伏し耐える。 「しまった、ふみちゃん!」 手を伸ばすも時すでに遅し、ふみちゃんが人形ごと通路に叩き付けられる。 「何だ?」 「米軍機の機銃掃射だ!」 「野郎、入口と出口で待ち伏せしてやがった!」 「鬼畜米英め、挟み撃ちとは卑劣な!」 「お母さんさんどこー!?」 「伏せろ、来るぞ!」 耳を劈く振動と爆音。頭上を薙ぎ払った弾丸が座席にめりこみ、窓や壁や床を抉ってガラス片と木っ端を散らす。 「無事か茶倉!」 「辛うじて生きとる!」 「機銃掃射ってマジか、どっから」 窓に張り付いて前後を睥睨、後方から凄まじい勢いで追撃してくる機影に惑。出口からも異形の影が迫っていた。

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