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幽霊列車⑬

雅子さんが気丈に頷き、耕作くんが唇を引き結んで武者震いする。板尾が殺気走って質問。 「どうすんの?」 「念じるんだ」 「そんだけ?行き当たりばったりが過ぎんぞ」 「さんざん常識外れなもん見てきて現実離れした体験したろ、今度もやれるって信じろ!」 茶倉が板尾に手を伸ばす、板尾が雅子さんに手を伸ばす、雅子さんが耕作くんに手を伸ばす、耕作くんが俺に手を伸ばす。全員輪になって手を繋ぎ、昭和二十年三月十四日、大阪大空襲の夜に想いを馳せる。 火の海。爆弾。避難者。倒壊する家屋。赤ん坊や年寄りをおんぶしぐずる子供の手を引き、伴侶や友人と励まし合って地下鉄入口に殺到した群衆の煤けた顔。 皆が逃げ惑い泣き叫ぶ阿鼻叫喚の地獄絵図、火の海と化した地熱と人いきれで蒸す空間、箒星のごとく隧道を貫く一条の光が煌々と照るのに負けじと廻る車輪、力学幾何学の仕組みで駆動する弁。 「今だ!」 実体を備えた電車が時間を跳び越す。 繋いだ手から通い合うぬくもりが心臓を燃やし汗が蒸発、俺の右手の数珠と茶倉の左手の数珠が輝く。 コマ落としめいて車窓に投影される断片的な情景、繋いだ手を介し巡り来る記憶の濁流『超かわいい~とってよ正孝』デート中の魚住がクレーンゲームのぬいぐるみをおねだり『おばあちゃん大好き』膝の上で小さい八神が甘える『耕ちゃんのせいじゃないわ、誰も恨んでない』法要を営む寺の境内、喪服のお婆さんが慰めるのは『練が学校帰りに摘んできたの、河原の土手にいっぱい咲いてるんですって』『懐かしなあ、子供の頃うちの周りにぎょうさんあったで。今度みんなで散歩にいこか』若い夫婦がおっとり微笑んで、誰かの頭をなでようとする。 広角で闇を薙ぐ光の収束、縫い伝うざわめき、どよもす歓声。蒸気音と共に扉が開き、憔悴しきった群衆が乗り込んできた。 「深夜に地下鉄が?」 「臨時列車か」 「もたもたすな、はよ行け!」 「神様仏様助かりました」 防災頭巾にモンペの女の人が、カーキ色の軍服の男の人が、学帽に半ズボンの少年が、風呂敷を背負ったお婆さんが押し合いへし合いしながら列車に雪崩れ込み、安堵の息を吐く。 「梅田は無事かな」 「ここよりマシやろ、上は火の海や」 「地下鉄走っとってホンマ助かったわ、車掌はんの機転に感謝せな」 「下りる時お礼言わな」 成功した。 全身の力を抜いて崩れ落ちた俺の鼻先、眼鏡の男の子が躓く。反射的に手を出し受け止めりゃ、はにかむような笑顔を返された。 「おおきに」 「しっかり掴まってろよ」 男の子に注意し、人ごみをかき分け移動する。地上から響く轟音……爆弾を落としてるのか? 「茶倉ー板尾ー!雅子さんー耕作くんー!」 はぐれちまった仲間を捜し回る。車内は立錐の余地もねえ過密状態、網棚にまで人が詰まってる。 「きゃっ!」 「大丈夫か、崩れるんちゃうか」 爆弾の衝撃が地面を通して地下に届き、乗客が怯える。 「落ち着いてください、この列車は必ず梅田に着きます!」 「なんで断言できんねんけったいな標準語使いよってからに、おどれ東京もんか?」 関西人は血の気が多い。野太い怒号と罵声を躱し、蟹を思わせる横歩きで車両を行き来する。 唐突に扉が開き、周囲の人たちが我先に駆け出していく。 「梅田に着いたで」 プラットフォームに吐き出された人々が無事を喜び合い、盛んに泣き笑いする。俺が助けた男の子もおり、窓越しに手を振ってきた。列車が再び動き出す。 ホームの群衆が両手を振り、あるいはハンカチを振りたくり、線路に飛び下りて追っかけてくる。 「おおきにーっ」 「あんさんは命の恩人や、一生忘れへんでえ!」 梅田まで送り届けた人々の姿がどんどん縮んで遠ざかり、闇に溶け込む。 「これでよかったんだよな」 だしぬけに眠気が訪れ、座席にすとんと尻を落とす。 『次は‐―‐駅、次は‐――駅。お降りの方はお忘れ物がないようご注意ください』 まどろみを邪魔するアナウンスに飛び起き、反射的に下車する。最寄り駅の名前と間違えたのだ。 「へ?」 開け放たれた扉から駆け出し、ホームを踏み締めた途端に目が覚めた。どこだここ? おそらくはド田舎の無人駅。 長方形のホームの下には等間隔に枕木とレールを打ち込んだ線路が続き、その向こうに青々した草がさざめく。ホームの此岸と彼岸を繋ぐ跨線橋は古く、所々ペンキが剥げてみすぼらしい。時間帯は午前中、だろうか?頭上には爽やかな青空が広がっていた。 「ファンタ飲みてえ」 喉の渇きを覚えて自販機を探す。が、それらしい物が見当たんねえ。 「イマドキ自販機もねえとかマジか、インフラ整ってねー」 田舎なら仕方ねえか。気を取り直し歩き出す。まずは茶倉たちと合流しねえと……。 立ち止まる。 「トンネルの外、なのか?」 うたた寝してる間にトンネルを抜けた?まさか、周囲の景色にはまるで見覚えねえ。冥賀トンネルの出口付近にこんな場所ねえのは下見で確認済み。 漠然とした不安に駆られ、直接線路に飛び下りる。錆びた跨線橋を渡り、対岸ホームに行くのはなんでか躊躇した。 線路を遡ってしばらく歩く。前方に野原が見えてきた。一面に咲いた貧乏草が風にそよぐ。写生大会でも開きたくなるような、のどかな日なたの風景に心が和む。 「あれは」 砂礫を敷き詰めた線路際に茶倉が佇んでいた。俺に背中を向け、何かを一心に眺めている。視線を追い、立ち止まる。 「何度呼んでも振り向かん。顔も上げん。俺んこと気付かんねん、こない近くにおんのに」 断言する。 「おかんや」 固い声で。 「ずっと不思議やった。幽霊は未練があるから化けて出る。遊びたい盛りに死んでもた子、サッカー選手になる夢諦めきれへんヤツ、多かれ少なかれこの世に心残りがあってさまようとる。ほな、おとんとおかんは?」 風に吹かれた花が茎をもたげ、俯き、内緒話でもするみてえにさざめいて、白い斑模様が青草に点描を施す。 「ガキ一人置いてってなんで出てこんねん。心配ちゃうんか。心残りちゃうんか。夜寝る前に何度も考えた。頭ん中ぐるぐるした。どんだけ会いたい願てもちいとも来てくれへん、気配もせん。おとんとおかんならいくら化けて出たかてかまへん、ふたりに会えるなら豆電消す、せやのになんでホンマに会いたい人だけ来てくれへんねん」 声変わりしてねえ。 図体もでかくねえ。 盲目的に親を頼り、甘えんのが許される子供のまんまだったら、迷わず駆け寄ったのに。 「手話、どんどん忘れてくんや」 零れ落ちてく記憶。 「それが嫌で、俺ん中からおかんが消えてくみたいで。手え動かさな落ち着かんさかい、結んで開いて印の切り方学んだ」 術の起動時に茶倉が結ぶ印は手話と似てなくもねえ。 手話のおさらいしてるとこ見付かっても、術の復習をしてたと言い逃れができる。 「俺は、未練ちゃうんか。あの人たちの未練に足らん存在なんか」

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